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ハッカーの遺言状──竹内郁雄の徒然苔第21回:夏のホラー話(仕様変更秘話)

この記事のAI要約
Target この記事の主なターゲット
  • IT技術者
  • ソフトウェア開発者
  • 歴史愛好者
  • 廃虚マニア
  • 旅行愛好者
Point この記事を読んで得られる知識

この記事は、元祖ハッカーである竹内郁雄氏による連載記事で、彼のハッカーとしての経験や考えを共有するものです。特に伊豆地域の旅行経験や、そこでの廃虚である大仁金山の精錬所について詳しく描写しています。記事には、伊豆長岡の鵺祓い祭や伊豆温泉村「百笑の湯」といった地域の歴史的・文化的イベントに参加した経験も含まれています。竹内氏はこれらの旅行を通して得た廃虚探索の魅力を伝えるとともに、そこから得ることのできる深い自然や人間の営みに対する洞察を示しています。

記事中には、廃虚マニアが注目するその当時の精錬所の状態や、佐渡の奇岩といった観光名所についても言及されています。また、大滝らんど(旧大滝らんど)というキャンプ施設を取り上げ、そこでの大仏閻魔の歴史や逸話、仕様変更の経緯を通して、ソフトウェア開発に直結する深い教訓、つまり途中で仕様変更を行うことがどのような影響をもたらすかを伝えています。この記事を読むことで、伊豆地域の奥深い文化や自然、そして廃虚探索の魅力に加え、ソフトウェアやプロジェクトマネジメントにおける仕様変更のリスクについて理解を深めることができます。

Text AI要約の元文章

tech

ハッカーの遺言状──竹内郁雄の徒然苔
第21回:夏のホラー話(仕様変更秘話)

元祖ハッカー、竹内郁雄先生による書き下ろし連載の第21回。今回のお題は「夏のホラー話(仕様変更秘話)」。

ハッカーは、今際の際(いまわのきわ)に何を思うのか──。ハッカーが、ハッカー人生を振り返って思うことは、これからハッカーに少しでも近づこうとする人にとって、貴重な「道しるべ」になるはずです(これまでの連載一覧)。

文:竹内 郁雄
カバー写真: Goto Aki

第16回で伊豆長岡の鵺祓い祭に言及したが、これに限らず、以前から伊豆に旅行する機会が多くあった。ともかく伊豆は面白いというか「深い」。

今はあまり目立たないが、15年ぐらい前までは国道136号線(下田街道)、あるいは伊豆箱根駿豆線を南に下って大仁おおひとを過ぎて国道も線路も東向きに曲がったころ、南側の山肌に6〜7層はある天守閣のような建物が見えた(写真1)。

写真1:取り壊される前の大仁金山の精錬所(1994年、天海良治君提供)。遠くから見るよりやっぱり下から見上げるほうが迫力がある。ガラスが残っている窓があるのが奇跡。

廃虚マニアなら知らない人はないという名跡だった。ガラス窓のガラスはほとんど割れてしまい、老朽化が激しく、危険な状態になったので1999年9月に取り壊された。そして多段のコンクリートの壁だけが山肌に張りついたような形で残った(写真2)。

写真2:コンクリートの壁だけになった大仁金山(2007年)。実は2000年にはすでにこのような恰好になっていたのだが、この写真を選んだのは、人が上っているのと、イルミネーション(!)のための配線が見える珍しい光景だったため。

それとほぼ同時に伊豆温泉村「百笑の湯」がその足元に開設された。百笑の湯はいわゆるスパリゾートであるが、いつ行っても結構地元のお客さんが来ている。

このリゾートにはパオの形をした独立家屋の宿泊施設があり、一度そこをベースに鵺祓い祭に参加したことがある(写真3)。

写真3:伊豆温泉村の百笑の湯に隣接したパオ型の宿泊施設(2006年)。この時点ではまだ建設中だった。左奥のほうに写っている赤い屋根の建物が百笑の湯。

見てお分かりのように天井が丸い。おお、これはプラネタリウムに使えるというので、小型のプラネタリウムを持参した記憶がある。幸い天井も白壁で大変具合がよかった。

私が仲間たちと大仁金山廃虚に毎年行くようになったのは、伊豆長岡の鵺祓い祭からちょっとだけ足を延ばせばいいからである。写真はバンバン撮ったはずなのだが、整理が悪く、今回いくら探しても見つからない。いつも同行していた天海良治君の写真をいくつか使わせてもらった。

大仁金山廃虚の往時の面影はもう見ることができないが、波多利朗さんのFunky Goodsという面白いWebページの「廃虚系」に、取り壊される直前の大仁金山廃虚の内部探訪の写真が出ている。これによれば正確には帝國産金興業大仁鉱山という名前のようだ。毎年「参拝」していた我々もさすがに中までは入らなかった。相当の危険を感じたからである。ちなみに取り壊されたあとの紹介ページも同じディレクトリにある。

「帝國産金興業大仁鉱山跡(1999年1月)」
http://www.funkygoods.com/hai/oohito/oohito_a.html

金山として有名なのは佐渡金山であるが、こちらは観光資源として整備されていて、廃虚感は薄い。ここへ行ったときに実は一番驚いたのが途中で見た「佐渡の挟み岩」と呼ばれている奇妙な岩である(写真4)。

写真4:佐渡の挟み岩。これは奇岩と言えよう。どうして(多分1000年以上)この状態を保てるのかが不思議である。佐渡に行ったら必見だろう。

いつからこの状態になっているのか分からないが、「佐渡弁慶」が投げたといった逸話以外に「いつから」という説明が見当たらないので、相当昔からこうなっているらしい。世の中には落ちそうで落ちない岩という観光カテゴリがあるそうだが、確かに一見の価値がある。検索すると、ドローンを飛ばして撮影している人がいた。ドローンくらいじゃぶつかっても落ちないか。

◆     ◆     ◆

さて、話が逸れた。通常は大仁金山廃虚を見て終わりなのだが、少し周囲も見ようというので、精錬所の背後まで足を延ばしてみると、これまたすごい。多くの廃虚マニアもここまでは気がつかなかったようだ。

実は大仁金山の上のほうに行くのは、内部の階段のほかに背後からも回っていたようなのだ。金の精錬は上から下へと流れるような工程なので、こういう山の斜面に張り付けたような建物が便利だ。つまり、いろいろなものは上から入るわけで、背後からのアプローチが必要なのである。写真5は金山を正面に見て左から上がっていく道を少し歩いたところにあった、何ともいえない建物である。

写真5:波のようにうねる廃屋(天海君提供)。純粋な自然の造形とは言えないかもだが、人間の営み+物理法則によって完成したスムーズな姿と言えるのではなかろうか。山の中を身をくねらせながら、すいすい泳いでいるように見える。恐くて中には入れないが……。後ろの山の右すぐ裏が大仁金山の精錬所跡。

ちゃんと建っている建物を一流画家がこのように描写して、おお、名画だと称讚することがあろうが、自然にこのような「描写」が可能になるとは、自然は実に奥深い能力を備えている。写真5の右上に空が見えるが、このあたりへ通じる坂道があり、そこを越えればいきなり金山精錬所の最上部に到達する。今は当然この建物はない。養蜂場になったかと思えば、資材置場になったりしている。なお、坂道はもう封鎖されているかもしれない。

文字どおり流線形のこの建物を過ぎてさらに奥に向かうと、昔の資材置場(もちろん同程度に流線形で、ダイナマイトと書いた箱などが転がっていた)があったり、潰れてしまって、そもそも何であったか分からない元建造物があったりと、ちょっとした廃虚テーマパーク気分で散策できた。もちろん、今はほとんど何も残っていない。

金山跡だけにあちこちに洞窟の入口がある。危険なのですべてコンクリートで封印されている。一部に「地震観測装置が設置されているので入るな」の掲示のある大きな洞窟もある。

そして、さらに奥に行くと鳥居が見える。神社があるのだ。地図では山神社(さんじんじゃ、やまじんじゃ、やまのかみしゃなどと読むらしい)となっている。山神社は全国どこにでもあるタイプの神社なので、ほとんど普通名詞である。帝國産金興業関係者が操業の安全を祈念して建立したものだろう。

この山神社、祠に至る階段が立派である。ほぼ45度の傾斜(※1)の階段が50段ほどある。45度というのはスキーのジャンプ台の最初のほうの急な35度を越える、通常の感覚ではほぼ絶壁である。登るのはまだいいが、下りが恐い。しかも、苔や落葉やらで滑べりやすくなっている。

2005年の台風で伊豆地方が大きな被害を受けたが、この山神社も例外ではなかったというか、むしろ例外的にひどい被害を受けた。大木がどんどん倒れ、その1本の根っ子が階段の山肌をスコップのようにひっくり返してしまった。そのおかげで、階段の一部がめくれ上がってしまい、ますます参拝が困難になった(写真6写真7)。

写真6:山神社に上る階段の下から22段目あたりから階段の石がめくれ上がっている(2006年)。大きな台風のその左にある大木が倒れ、その根っ子がテコの原理で階段を持ち上げてしまった。白い手摺もふにゃっと持ち上げられている。この部分を通るのには細心の注意が必要である。ともかく、まだ通れるだけでも感謝しなければなるまい。

写真7:一旦小さな踊り場を経て、祠の手前へ。鳴らす鈴はまだ健在。

実際、かれこれ25年以上、鵺祓い祭のときには、ここに必ず参拝している。私がLisp言語の実時間ゴミ集めの実装をしていたころ、バグがあって回収されなかったセルや、逆に生きているのに回収されちゃったセルを供養するために、「car」「cdr」と書いた2つの箱を並べたLispのセル(図1)を厚紙で作り、この神社に奉納して供養したことがある。そのご利益があってか、実時間ゴミ集めシステムは無事完成した。

図1:セル供養のための御札。数枚を奉納した。掃除に来た人には意味不明だったはず。

この祠、以前は掃除や御札等ある程度はメンテされていたようだが、最近はサビだらけの賽銭が放置されたままになっている。山の神がお怒りにならなければいいのだが……。

地図を見ると、大仁金山側からではなく、反対側(修善寺側)からアプローチする道がある。神社周辺をちょっと見ても、階段の写真から想像がつくように道らしいものがあるようには見えない。一度そちらからどこまで近づけるのか挑戦しようと考えている(※2)。地図を見ると途中にフェリスという、かなり場違い(?)という印象の高級レストランがあり、そこからだと大仁金山側から行くのとほぼ同じ距離に見える(約500メートル)。そもそもこんな道がなぜ必要だったのかは謎である。金山効果だろうか。

◆     ◆     ◆

鵺祓い祭とは直接関係しないが、さらに南に下った西伊豆町の山奥に「ネイチャービレッジおおたき」(旧大滝らんど)というところがある。ここは今はキャンプ施設になっているが、大滝らんど(「おおたるらんど」と読む)という名前のころは実に不思議なところであった。ここも廃虚マニアには有名なところである(※3)。最近は行ったことがないので、あまり状況が分かっていないが、大滝らんどの痕跡はホテル予定だった建物と、あたりに散在しているモニュメントの残骸のみだろう。

1990年ころ、私がクルマ好きだったので定期購読していた月2回刊行の雑誌「ベストカー」に、根本敬さんによる「根本敬の世界は圓遊會だ」という連載があった。それの第二十三回のタイトルが「再び伊豆へ行った」である。これが大滝らんど(※4)の紹介であった。漫画がメインであるが、文章のほうの冒頭を引用させていただく。

「今まで私は、名付けようがないが、確かに存在する、あるモノに魅せられ、それを求めてこのページの取材に出かけたり、(後略)」(「根本敬の世界は圓遊會だ」より)

求めるものの正体はなかなか見つからなかったそうだが、この大滝らんどにあった「大仏閻魔えんま」を見て初めて得心したとのことである。

漫画に書かれていることをざっと粗筋で紹介しよう。

土地のえらい人に、占い師がこの辺に温泉が出ると告げた。村興しというわけで、温泉堀りと施設建設が始まった。ところが、温泉は出ない。プールにしようとしたら水温が低すぎて保健所からはNG。シンボルとなるべき大仏ができ上がり始めたが、契約した某有名寺の分家に、この大仏はうちの流儀でないと一蹴され、できかけの大仏は閻魔に仕様変更。そうこうしているうちに脱税事件やら利権争いで泥沼状態。こうして、開業する前に廃虚化してしまった。

これが大仏閻魔なる巨大な像が山の上にしばし鎮座することになった経緯である。これはぜひ行かなくてはなるまいと、1991年4月8日に私を含め数名が休暇を取って探訪した。雨のうえ、山道はすれ違いに苦労するような道幅だった。

大仏閻魔の向かい側にホテルと想定された建物がある(写真8)。

写真8:ホテルを想定した建物(1991年)。この建物は建って30年以上は経っている今でも白い壁はきれいなようである。手前にプールを作ろうとしていたことが分かる水槽風のものが見える。今この周辺にはたくさんの犬が飼われているというレポートがある。手前の赤いパイプは大仏閻魔に上るための階段の手摺。ちょうどこのときはペンキが新しく塗られた直後だったようで、場違いにきれいな赤色が目立った。]

ホテル開業が無理となったあと、宗教法人の施設になったり、ちょっとオカルトっぽい研究所になったり、またホテル開業の動きがあったりしたが、今は一部に誰かが住んでいるだけらしい。

大仏閻魔を遠景から近景への順に写真9写真10写真11に示す。

上から写真9、写真10、写真11:大仏閻魔へのアプローチ(すべて天海君提供。私も撮ったのだがなぜかみんなピントが甘かった)。ちょうど桜の時期で、ピンクの桜と、塗り直されたばかりの赤い手摺がアクセントになっている。階段は百数十段程度。上りつめると男女(?)の守護のレリーフの間に入口がある。といっても大きな賽銭箱がそれ以上の進入を止めていた。傘は内部に進入した2名のもの。そう思って見ると「消えた2人」。ホラーっぽい。大仏閻魔全体を眺めると、最初から閻魔として作ってはなかっただろうなということが分かる。実際、写真は載せないが、背中は大仏そのものである。

途中で仕様変更するとこうなるのかという奇妙さである。ソフトウェアの大仏閻魔もこんな感じなのだろう。根本さんの見出し「大仏か!?エンマか!?それとも人間の業の化身か!?」は実に的を射ている。

ここまで来たからには中も見たいという欲求が出てくる。人間の業だ、業に従えば業に入れ! 結局、私と片桐泰弘君(現はこだて未来大学)が進入した。内部の写真12〜15はさすがにちょっとおぞましいので、目をつぶってご覧いただきたい。

写真12:賽銭箱の正面奥に見える祭壇。明るく光っているのはストロボのせい。右側に階段が見える。勇気を出して上がってみると、窓のないガランとした和室があった。押入れは空っぽだったが、寝泊りできるように見えた。

写真13:地獄巡りの1シーン、地獄の最下層である無間地獄で苦しむ人がGIジョーで表現されている。舞台のベニヤが剥き出しになってしまっているところが余計不気味感を増している。

写真14:こちらは薄汚れているが、多分天国を表現している。ちょっと恐い天国に見える。この天使たちもきっとGIジョー。

写真15:これは2階の廊下で見かけた作りかけ(?)の3体の大きめの人形(3体目はこっちを見ている顔の一部だけが座蒲団の陰に不気味に見えている)。ここは地獄巡りではないが、場違いなツルハシ、片付いていないチリ取り、人形の中途半端な塗装。暗闇でこれを見たら腰を抜かすこと必定。明らかに中途半端な地獄巡りを超えている! 窓のようなものがあるが、大仏閻魔像の内部なので採光はない。

大仏によくある地獄巡りがご他聞に洩れず回廊になっている。かなり荒れ放題なので、却ってリアルな地獄感が出て、迫力がある。ちなみに亡者に使われているのは一時一世を風靡したタカラのGIジョーだった。

地獄巡りで心が洗われたというか何というか、やっとこさの思いで外に出て、空気の美味しさを感じてふと振り返ると大仏閻魔のお腹のところにもうひとつの小さい閻魔さまがいる(写真16)。

写真16:大仏閻魔のお腹のところにいた小閻魔。十字架をかけていることに気づいた人はほとんどいないのではないかな。

こちらは仕様変更がなかったせいかずっと悪魔っぽい。歯というか牙が左右で上下の向きが違う。それよりも驚いたのが十字架を首にかけていること。

ともかく、大仁金山や山神社よりも、途中で仕様変更しちゃあかんという深い教訓が得られた大仏閻魔であった。(つづく)


※1:手摺とそれを支える垂直の柱を真横から見ればそうと分かる。
※2:実は昨年夏そちら側から行こうとしたのだが、雨が降っていたのと、単独行だったので断念した。
※3:上で参照した波多利朗さんもここを取り扱っているが、写真の一部は天海君がWebに載せたものを使っている。
※4:そこでは大滝ランドと書かれていた。


竹内先生への質問や相談を広く受け付けますので、編集部、または担当編集の風穴まで、お気軽にお寄せください。(編集部)


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