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「人と違う」は当たり前? 周りにどこまであわせるべき?──CLAMP大川七瀬先生に聞いてみた

この記事のAI要約
Target この記事の主なターゲット
  • 大学生
  • 若者
  • LGBTに関心のある人
  • マンガファン
  • 心理学に興味がある人
Point この記事を読んで得られる知識

この記事によれば、人はそれぞれ異なる価値観を持っているため、『普通』の基準は個人の持つ「定規」によって変わってくることがある。しかし、違う価値観や様々な愛の形を受け入れることが多様性であると考えられ、無理に誰かに合わせようとすることは、自分の本当の望みを見失う原因となることがある。

CLAMPの大川七瀬によれば、異なる価値観を持つことが人間の自然な状態であり、周囲に合わせて自分の価値観を変える必要はないと説く。ただし、他者を信じること、周りの理解や支えを信頼することが重要で、その中で自分自身の選択を尊重し、豊かに経験を積むことが大切であると考えられている。

また、人と異なることが必ずしも孤独や疎外を意味するわけではなく、個人が自身の幸福を主体的に追求することが基本であり、周りとの違いを楽しむことが個性や多様性を尊重することに繋がる。さらに、個人が持つ考えや感じ方が多様性そのものであるため、すべての人が「違ってあたりまえ」と考える社会が来ないこと自体が本当の多様性の証拠であると述べられている。

Text AI要約の元文章

インターン大学生の疑問

「人と違う」は当たり前? 周りにどこまであわせるべき?──CLAMP大川七瀬先生に聞いてみた

人気漫画『カードキャプターさくら』(なかよし)の中では、李小狼(リ・シャオラン)が月城雪兎(つきしろ・ゆきと)に好意を抱くというエピソードがあります。男の子同士ですが、多様な愛の形が登場する本作の中では自然な出来事として描かれていました。しかし、現実に置き換えると、今やLGBTが一般的に知られるようになったとはいえ「普通と違う」と捉える人は少なくありません。

そこまで明確な出来事でなくても、「普通と違う」ことを恐れて本音が言えず、周りの雰囲気に何となくあわせてしまうことがあります。しかし周りの人も隠しているだけで、本当は多くの価値観が混在しているはず。今回お話をうかがったCLAMPの大川七瀬先生(主にストーリーを担当)も「自分とまったく同じ人は存在しない」と言います。違う価値観を許容しながら、周りに合わせる窮屈さから逃れるにはどうしたらいいのでしょうか。

CLAMP(クランプ)。いがらし寒月、大川七瀬、猫井椿、もこなの女性4名からなる創作集団。1989年「サウス」(新書館)にて、『聖伝 RG VEDA』で商業誌デビュー。以降、『東京BABYLON』『X』『魔法騎士レイアース』『カードキャプターさくら』『ANGELIC LAYER』『ちょびっツ』『ツバサ-RESERVoir CHRoNiCLE-』『×××HOLiC』『こばと。』『GATE 7』など、少女誌、少年誌、青年誌と幅広い分野で活躍し、数多くのヒット作品を発表。現在、「ヤングマガジン」にて『xxxHOLiC・戻』を、「なかよし」にて『カードキャプターさくら クリアカード編』を連載中。


「普通」の基準はそれぞれの「定規」の中にある

サイボウズ式編集部でインターンをしております、伊藤です。自分は、「普通」と呼ばれる枠に嫌悪感を抱きながらも、そこから外れたくないという思いを同時に抱いてるような気がしているんです。なぜ、そんな風に思ってしまうのでしょうか。

それぞれが持っている自分の「定規」というものがひとつしかないからかもしれませんね。

「定規」ですか?

自分の持っている「定規」で人を測ったり、世間を測ったりするのは仕方ないことだと思うんです。ただ自分の「定規」が正しいと思い込むと、違う人の「定規」を見たときに「変じゃん」って思うことになりますよね。

じゃあ相手に合わせて変化させれば……。

どうでしょう。私は自分の「定規」を伸び縮みさせることに、あまり賛成ではないんですよね。

どうしてですか?

多様性が、と言われる中で、嫌悪感とかないほうがいいとは思うのですが、完全に嫌悪感がない状態だと、人に影響されて、自分が好きなものまでわからなくなっちゃうと思うんです。自分が辛くなる。

相手にあわせすぎて、後からドッと疲れがくる感じでしょうか。たまにありますよね。

だからこそ、自分の「定規」はきちんと持ちつつ、人と対峙するとき用にもうひとつあればやりやすいかなと。でも2本持つのは難しいんですけどね。

そういう「定規」って、どうやって形成されていくんでしょうか。

人に会ったり、本を読んだり、映画を観たり、一人で考えることだっていいと思います。だいたい、人間って全く考えないということができない生き物なので。

お坊さんも無我になるために修行していますよね。私も昔やってみたことがあるんですが、できないんですよね。何も考えないってことが。

考える方が大変そうな気がするのですが……。

考えていないようでいつも無意識に考えているんですよ。だからこそ、経験を積めば「こういうこともあるんだ」って気づきが得られるかもしれません。

「定規」からずれるかもしれないのですが、「普通」って何だろうといつも思っていて。普通でなければいけないような気がしながら、それでは嫌っていう気持ちもあるんですよね。

「普通」ですか。

結局「普通」って何なのでしょうか。

私たちの世代と若い世代では、「普通」って言葉の使い方が違う気がするんですよね。私たちの世代には「普通においしかった」って言葉あまり聴きませんでしたし。

え! そうなんですか!

例えば「普通に就職したい」と言った時、「普通」って言葉に何がこもっているか、よくわからないんですよね。親が就職していたからそれを普通と感じているのか、どんな仕事のことを普通と感じているのか。

確かに「普通」といっても、基準は人それぞれかもしれません。

だから、あまり今の若い人たちは「普通」という言葉をそんなに無個性だと思っていないのかもと。

それぞれが勝手に「普通」という枠を持っているだけということですかね。

「普通」と言うことで安心するのかもしれません。実際、「普通」の子っていないですから。統計学として真ん中を出すことはできるけど、平均体重、平均身長の女子を連れてきたら「普通」かというと、それは違いますよね。

以前大学で、みんな同じ形のiPhoneケースを持っているけど、色だけはみんな違うということがあったんです。個人的な印象なのですが、こういうのが「普通」という感覚なのでしょうか。

限定ランチは食べたいけど、ゲテモノは食べたくないみたいなね(笑)。でもそういう人も一人ずつ話をしてみると結構面白かったりするから、「自分は普通」だって思わない方がいいとは思います。

でも、自分は個性的かと言われると、違うなって気がします。

個性的にしようと思って人生を踏み外す子もいるので、個性的と思うのもアブナイと思いますよ(笑)。

私は「普通」ってことは全く不幸ではないと思っているんです。むしろ自分で「普通です」って言える子は、本当に自分に自信がある子なんだと思います。上でも下でもない平均をきちんと生きているんだと言える子は腹が据わってると思う。

確かに、自分から「私は普通です」とは言えないですね。

相当覚悟がないと言えない。

「普通でいたい」と「普通です」は、結構差がありますよね。

「絶対大丈夫だよ」と言えるのは周りを信じているから

『カードキャプターさくら』1996年から2000年にかけてなかよし(講談社)にて連載。アニメ化・映画化もされ、単行本の発行部数は約1200万部を突破。2016年6月から16年ぶりの新章「クリアカード編」の連載がなかよしにて始まり、世代を超えて愛されている。

みんなでごはんを食べに行く時に、本当はおそば屋さんに行きたいけど周りにあわせてカフェに行くことってありますよね。どうしてついつい流されちゃうんでしょうか。

自分だけがそば屋に行きたいとなると、和も壊してしまうし、勇気もいりますよね。

「本当はそば屋に行きたい」と発言をする勇気が出せないのは、自分に自信がないところがあるのかなって思うんです。例えば木之本桜ちゃん(『カードキャプターさくら』の主人公)は一人で何かに立ち向かわなければならないときに「絶対大丈夫だよ」と自分を信じて前に進んでいると思っていて。

なるほど。

どうしたら桜ちゃんみたいに「絶対大丈夫だよ」と自分を信じられるようになるんでしょうか。

基本的には他人を信じることかなと。「絶対大丈夫だよ」は自分に言い聞かせているように聞こえているけど、さくらちゃんは周りがきちんと受け止めてくれると信じているからそう言っているんです。

何かあっても小狼君や知世ちゃん(さくらの一番の親友)が助けてくれる、ということですか?

さくらちゃんの場合はそうです。でも現実の場合は、もしかしたら「そば屋に行きたい」と言う自信がないというより、まわりから我儘だと思われるのが嫌だから言わないのかもしれないですね。

確かに、「そばは嫌だ」と言われることだけが嫌なのかと言われると、それはまた違う気がします。

もし本当に周りの人が、ある程度自分をわかってくれていると信じることができるなら言えるのかも。自分自身のことは信じられなくても。

自分のことを信じなくていいんですか?

「今日はいいインタビューができた!」と思っても、この後階段で転んだら自分のこと信じられなくなるでしょう? 

そうですね(笑)。

だから基準は自分に置かない方がいいのかなと思うんです。転んだ後も周りの人が「大丈夫」ってフォローしてくれれば、そこまで落ち込まないかもしれない。

たしかに(笑)。

基本的に自分を信じることって相当レベルが高いんですよね。なので、まずは周りにいる安心できそうな人と仲良くなって、そのとき「自分はこう思う」といったとき受け取ってもらえれば、相手のことを信じられるかもと思います。

周りを信じるというのも結構ハードルが高い気がします……。

相当悩んでるのかな? 大丈夫かな(笑)。

大丈夫ですよ(笑)。

自分の何かを誰かに預けると思っていると難しいかもしれないですね。この人から信じてもらえようが、裏切られようが自分の価値は全然減らない。さっき言った「周りを信じる」ということはもちろん大切だけど、信じられなくなったら信じなくてもいい。

一回信じたら、ずっと信じないといけないような気がしていましたが、いいんですか。

この人の仕事は信じるけどプライベートはダメということもありますよね。だからもっと細分化して信じても構わないと思うんです。丸ごとすべて信じるというのは難しいですよね。

そうですよね。

そういうのは、マンガだから成り立つんです。マンガは素敵な人を書くのが仕事ですから。

創作集団 CLAMPは、マンガ制作で編集者とやりとりをするのに、サイボウズLiveを活用しています

まずは自分のことを幸せにしよう

今まで人はそれぞれ違うということを前提に話してきましたが、みんな自分と同じ考えを持っているはずだから「そこが違うのはおかしくない?」というスタンスで話してこられたときはどうしたらいいんでしょうか。

新婚さんに「子どもはまだなの?」とか聞いちゃいけないのに気軽に言っちゃう人とかね。そういう人は余計なお世話なので、まず自分の心をシャットアウトしても。

シャットアウトしちゃっていいんですか? 否定するのもいけないことなのかなって思っていました。

他人の人生は、基本的に放っておいた方がいいですね。

以前心理学者の方に、わたしの作品は非常に個人主義って言われたことがあるんですよ。自覚もあります。

ちなみにどのあたりが個人主義だと思ったんですか?

幸せの単位が「自分から」なんです。基本的には、まず自分のことを幸せにできる人がいいなと思っています。

それってどういうことですか?

ある一定の段階になると、仕事とプライベート両方付き合う人、仕事だけ、プライベートだけ、ある趣味だけ……と付き合いのパーツごとになってくるんです。

パーツですか。

パーツごとで付き合えば、全部わかってあげなくてもいいし、自分も全部相手に合わせなくていい。そうなると、まず自分が毎日をご機嫌に過ごそうって思える日がくるんです。ご機嫌で過ごしている人って見ていても愛らしいし、幸せになりますよね。

はい!

それに周りの人も、ご機嫌な人と一緒にいたいと思ってくれると思うんです。だからこそ、不機嫌になるような要素は全部排除したほうがいいと思っています。

作家同士としてわかり合えれば理解はいらない

個人的に少しでも互いに歩み寄れた方が、色々な話やアイデアが生まれて、もっと面白いものができるのでは、と思うのですが、CLAMPの皆さんはどうですか。

うちは全員趣味も違うし、わかり合えているかどうかというと、おそらく4人とも「いいえ」というと思いますよ。

でもお仕事はうまくいっていますよね。

若い時は本当にもめました。「あなたが死ぬか、私が死ぬかよ!」となるくらいに(笑)。

そんなにですか(笑)。

やっているうちにわかったのが、理解はいらないということ。仕事のやり方については作家同士としてわかり合いたいけど、人間としてはズレがあってもいい。それに、わかり合うと面倒くさいですよ(笑)。

面倒くさいんですか?

「わかり合えたって言ってくれたでしょ? じゃあ全部でしょ」と言われたら面倒くさくならない?

なりますね(笑)。

長く付き合える友達って、意外とわかり合えていない人もいますよね。仲がいいから喧嘩しないわけでもないし、喧嘩しなくて適度に距離をとって仲良しな人もいると思います。

「違う」が当たり前じゃないのが多様性の証拠

最後に、大川先生は、誰もが「みんな違うことは当たり前だ」と思う社会は来ると思いますか?

社会をどうとらえるかにもよりますが、私は来ないと思っています。

どうしてですか?

100人いたら、98人までが同じことを言っても、2人が違うことを言い始めると必ず影響を受ける人が出ると言われています。影響を受ける人が多数派になったり、少数派になったりして。

個人の意見ばかりじゃ秩序がない! いやいや、個人の意見を認めてよ! という状態の繰り返しですね。

そう。逆にみんなが「みんな違うのは当たり前だよね」という考えを持っているということは、多様じゃないんですよ。そういう社会が来ないことこそが多様性の証拠だと思います。

(左から)通称黒モコナと白モコナ。幾つかのCLAMP作品に登場するマスコットキャラクター。

文:ミノシマタカコ/写真:清原明音

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執筆

ライター

ミノシマ タカコ

WEBを中心に執筆・編集・運用などを行っている。日本参道狛犬研究会会員。

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