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「100年生きることを前提に働く」って、本当に想像できますか?

この記事のAI要約
Target この記事の主なターゲット
  • ビジネスパーソン
  • 人生設計に興味がある人
  • 働き方改革を考える人
  • 健康や長寿について考えたい人
Point この記事を読んで得られる知識

この記事を通じて、読者は「100年ライフ」という概念について具体的に考えることになる。著者は、自身の両親の老いを通じて、人間が老いていく現実を感じる中で、長寿社会が到来する現状に触れています。特に『LIFE SHIFT』という書籍を引き合いに出し、現代の50歳未満の日本人が100年以上の人生を過ごす可能性があることを前提に、人生の資産を管理する必要性を説いています。この資産には「お金」「スキルや知識」「仲間」「健康」が含まれ、特に健康を維持するためのライフスタイルの見直しが重要とされています。

著者は、寿命が延びても身体の老いを実感する中で、現実的に長寿時代に働く姿が想像しにくいことを共有し、そのギャップについても考察しています。健康的に長く働くための身体感覚を伴った理解の重要性、また、長い人生の中でどのように生きていくかを考える意識調整が必要とされています。これにより、読者は「100年ライフ」をどう計画するか、老いをどう受け入れて準備するかについて考えるきっかけを得ることができるでしょう。

Text AI要約の元文章
サイボウズ

複業って、なんだろう?

「100年生きることを前提に働く」って、本当に想像できますか?


サイボウズで複業をしながら、地方中心の働き方をしている竹内義晴が、これからの仕事や人生のあり方を語る「長くはたらく、地方で」。今回は、最近話題の「100年ライフ」と「老い」について。あなたは100歳を前に働いている「じぶんの姿」を想像できますか。

5月末、今年も田植えをした。子どものころからの恒例行事だ。



メンツは父親、母親、そして、私の3人。昔と違って、今は田植えのほとんどを機械で植える。わたしは田植え機に乗って、父親は田植え機まで苗を運び、母親は機械で植えられなかったところを手直しする。手植えと比べると、時間も、体力も使わないが、それでも、そこそこの体力は使う。

そんな折、近年ひしひしと感じるのが、後期高齢者となる両親の「老い」だ。

田植えをする苗は、「苗箱」と呼ばれるものに入っている。ひとつの重さは7キロほどあって、水分を含んだ苗は手にずっしりとくるほどの重さ。

過去に2度、肩の手術をしている父親は「よっこらしょ」という言葉なしでは苗箱を持ち上げられなくなってきている。機械で植えられなかったところを手植えする母親は膝が悪い。最近は腰も曲がってきた。

親父とお袋、すいぶん年寄っぽくなったな。

そんな両親を見ていると、「年齢を重ねると、人は老いる」という当たり前を、改めて実感するのである。

LIFE SHIFTの「100年生きる時代」

近年、ビジネススクールの教授が著した『LIFE SHIFT』が注目を集めている。

この本によれば、「2007年に日本で生まれた子どもの半分は、107年以上生きることが予想される」とし、「50歳未満の日本人は、100年以上生きる時代、すなわち100年ライフを過ごすつもりでいたほうがいい」としている。

今、わたしは46歳。あら、100年ライフを過ごすつもりでいたほうがいい年齢ではないか。

『LIFE SHIFT』には、テクノロジーの進化や長寿社会などの現実から、「100年生きる時代」の人生設計に対するさまざまな提言がなされている。一言でまとめるのは乱暴だが、100年生きることを前提に、「お金」「スキルや知識」「仲間」「健康」など、人生の「資産」を管理していくことが大切だという。

100年生きるとなると、今までのような「65歳で定年」を前提にしたライフプランでは、定年後のお金に不安があるし、少子高齢化がますます加速するこれからは、年金だってどうなるかわからない(と、個人的には思っている)。それならば、長い間働くことを前提に、スキルや仲間、健康について、今から考えておいたほうがいいだろう。

うん、確かにそうだ。それは分かる。頭では。

両親を見て感じる「老いの現実」

しかし、老いていく両親の姿を見ていると、理想と現実の間に大きなギャップを感じる。仮に、両親が100歳まで生きるとすれば、あと25年……今ですら「老い」を感じているのに、今のように働いている姿を、わたしは想像できない。

無理なんじゃないの?「100年生きることを前提に働く」って。

「体が老いる」……これは、自然の摂理である。というより、46歳の私自身、すでに体の老いを感じている。最近、めっきり目が悪くなった(いわゆる老眼)。100歳になったわたしが働いている姿を、現在のわたしは想像できない。

100歳の時点で、私の体はどれだけ動いているのだろう。どれだけ働くことができるのだろう。

『LIFE SHIFT』によれば、いつも運動し、たばこを吸わず、体重をコントロールできている人は、不健康期間が大幅に短縮される(言い方を変えれば、健康期間が大幅に伸びる)のだそうだ。それが事実かどうか、私には分からない。なんとなく想像はできるけれど、毎日飲むビールすら管理できていないのに、そんなにストイックに自分を管理できるか、自信はない。

この先、健康寿命が延びたら、老眼は60歳ぐらいから始まるのだろうか。いや、老眼が始まるのは今と同じでも、画期的な医療技術が開発されて、若いころのように見えるようになったりして。しかし、すでに老眼がはじまっている私には、どちらも説得力がない。もちろん、画期的な医療技術が開発されたらうれしいけれど。

本当に100年生きる時代は来るのだろうか。そのとき、働くことはできるのだろうか。未来は、まったく予測不可能である。

老いをどれだけリアルに感じられるか

100歳の自分がどのようになっているのか、どのように働いているのか、私には想像できないが、幸いなのは、後期高齢者の両親と同居していることで「老いの現実」を身近に感じることができることだ。

「あー、老いるとこんな感じになるのか」が肌身で感じることができれば、100歳生きることを前提に準備を始めることができる。少なくともわたしは、もう少し体を動かしておいたほうがいいみたい。ビールを控えるのは、難しいかもしれないけれど。

3世代、4世代同居が当たり前だったかつての時代、親や、おじいちゃん・おばあちゃんの世代を通じて、「老い」を身近に感じることができた。核家族化が進んだ今、身近に「老い」を感じることは、あまりないのかもしれない。

私たちが未来を想像するとき、「今」を基準にする。100歳になっても今の体力や思考力がある……とはさすがに思わないかもしれないが、老いがどういうものなのか、頭ではなんとなく理解できても、それが実際にどういうことなのかをイメージするのは難しい。

実際、どれだけの人が「100歳の自分」を想像できるだろう?「100年生きる時代」という意味を頭では理解できても、体が動かなくなっていくさまを、どれだけの人が身体で感じられるだろう? 「100年生きる時代」を考えるためには、単にスキルや知識として頭の中で理解するだけではなく、身体感覚を伴った理解が必要なのではないかと思う。

40歳を過ぎたころ、「人生も中盤だな。これからは収穫の時期だな」と思っていた。体にも老いを感じ始めて「もう、若くないな」と思った。けれども、100歳を前提にすると、まだ半分にも達していないという、この現実。

この先、どうなるか私には分からない。けれども、100歳生きることを前提にしながらも、「今を生きる」しか、ないのだろうなぁ。

2017年5月16日複業で「地方が軸、東京は拠点」に挑戦──人生100年時代を生きるために、サイボウズで地方中心の働き方を選んだ

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執筆

編集部

竹内 義晴

サイボウズ式編集部員。マーケティング本部 ブランディング部/ソーシャルデザインラボ所属。新潟でNPO法人しごとのみらいを経営しながらサイボウズで複業しています。

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撮影・イラスト

イラストレーター

松永 映子

イラストレーター、Webデザイナー。サイボウズ式ブロガーズコラム/長くはたらく、地方で(一部)挿絵担当。登山大好き。記事やコンテンツに合うイラストを提案していくスタイルが得意。

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