サイボウズ株式会社

「休みたいのはサボりたいからだろ」──ぼくは社員を信頼していないのに、社長として信頼されたかった

この記事のAI要約
Target この記事の主なターゲット
  • 企業経営者
  • 組織マネージャー
  • 人事担当者
  • 中小企業の経営者
  • ビジネスリーダー
Point この記事を読んで得られる知識

この記事を読むことで、企業の経営者やリーダーは、社員の信頼を得る重要性とそのためのアプローチについて学ぶことができる。具体的には、厳しい労働環境や信頼関係の欠如が社員のモチベーションを低下させる可能性があること、自身の経営方針への反省が必要であること、そしてその改善を通じてより良い職場環境を作り出すことができるということである。記事では、蜂谷悠介氏と青野慶久氏それぞれのエピソードが紹介され、過去に持っていた社員に対する偏見や誤った考えを見直し、社員と腹を割って話し合うことの重要性が強調される。更に、社員の意見を取り入れ、業務フローの透明化や有給取得の推奨を進めることで、社内の信頼度や業務効率が向上するという具体的なステップが示されている。社員とのオープンなコミュニケーションの促進や、共通の企業理念の設定が、会社の成長を支える重要な要素であることが分かる。これにより、経営者にとって社員の信頼を得たリーダーシップがどのように企業の成功につながるかを理解することができる。

Text AI要約の元文章
カイシャ・組織

「休みたいのはサボりたいからだろ」──ぼくは社員を信頼していないのに、社長として信頼されたかった

「社長には、もうついていけません」

もし自分がとある企業の社長だったとして、社員からこのようなセリフを言われたらどうしますか──?

岩手県にある、創業100年の歴史を持つ染物屋「京屋染物店」。この会社を引き継いだ4代目社長の蜂谷悠介さんは、実際に社員から「ついていけない」と言われた経験があるそう。

衰退する業界で生き抜くために奔走するものの、ブラックな職場環境はなかなか変わらず、社員の心は離れるばかり……。「自分自身のあり方を本気で反省した」と当時を振り返ります。

サイボウズ代表取締役社長の青野慶久も、かつて似たような経験をしました。急成長の勢いに身を任せ、社員にハードワークを求め、M&Aを繰り返した先に待っていた大失敗。「もう社長を辞めたい」とまで思い詰めたそう。

京屋染物店もサイボウズも、現在では社員がいきいきと働く会社に変わりました。2人の社長は、どのようにして社員の信頼を取り戻していったのでしょうか。

逆転のストーリーを語り合いました。

「勝手に有給を取るなんて許さない」と本気で思っていた

蜂谷 悠介
社長になって8年ほど経ちますが、社長って本当に難しいですね。
青野 慶久
ははは。同じ社長として、思い当たる節はたくさんあります。
蜂谷 悠介
ありがとうございます(笑)

蜂谷 悠介(はちや・ゆうすけ)さん。大正7(1918)年創業の京屋染物店を受け継ぐ4代目社長。大学時代にウェブデザイン会社を起業するが、3代目の父・蜂谷徹氏の他界に伴い2010年に京屋染物店代表に就任。法人化や社内の改修、縫製工場の新設など新たな取り組みを進め、同社の製品は「いわて特産品コンクール・岩手県市長会会長賞」や「経済産業省・The Wonder500」(世界に誇れる日本の逸品500選)などに選ばれている。

青野 慶久
具体的にどう難しいと思われたのでしょう?
蜂谷 悠介
私たちがいとなむ染物業は、いわゆる衰退産業です。創業当時、同業他社は約14,000社もありましたが、今は約300社ほどしかありません。

そんな状態ですから、社長になった当初の私は、とにかく働いて、お客様の声に応えていくことが最優先だと考えていました。
青野 慶久
なるほど。
蜂谷 悠介
「休んでいる暇なんてない。有給なんて許せないし、週休2日もあり得ない」と、本気で思っていました。

それなのに、社員からは次から次へと言われるんですよ。

「社長は、ほかの会社で働いたことがないから、そんなことが言えるんですよ」とか、「普通の会社だったらこんな体制で、有給も取れて……」とか。
青野 慶久
それは……頭に来たでしょうね。

青野慶久(あおの・よしひさ)。1971年生まれ。愛媛県今治市出身。大阪大学工学部情報システム工学科卒業後、松下電工(現 パナソニック)を経て、1997年8月愛媛県松山市でサイボウズを設立した。2005年4月には代表取締役社長に就任(現任)。社内のワークスタイル変革を行い、2011年からは、事業のクラウド化を推進。著書に『ちょいデキ!』(文春新書)『チームのことだけ、考えた。』(ダイヤモンド社)『会社というモンスターが、僕たちを不幸にしているのかもしれない』(PHP研究所)など。

蜂谷 悠介
そうですね。「何のためにこの会社に入ってきたんだよ?」「状況を少しでも良くしようと思っているのに、なんで俺がこんなに文句を言われなきゃいけないんだ」と、最初は本気で思ってしまいましたね。

でも、最終的にはどうしようもなくなって。全社員の前で謝ったんです。

社員を信頼していないのに「ついてこい」という勝手な社長だった

青野 慶久
社長が謝った! 何があったんですか?
蜂谷 悠介
ある社員に、「社長にはもうついていけません」と言われたんです。

さすがに、そこまで言われたときは自分の社長としての振る舞いを反省せざるを得なくて、自分の考え方や行動を振り返りました。
青野 慶久
ショックだったんですね。
蜂谷 悠介
はい。それはもう落ち込みました。

仕事を減らせば会社が潰れる、でも仕事を増やせば社員が辞めていく。そんなふうに追いつめられていく中で、当時の私は、社員を信頼できなくなっていたんですよね。

「休みたいだなんて。みんなサボることばかり考えて、染物のこともこの会社のことも、どうでもいいのか?」と……。
青野 慶久
休みたいのはサボりたいからだと、社員を信頼せずに決めつけていた。
蜂谷 悠介
そうです。当時は、「いまは休んでいる場合じゃないでしょ」と、社員の休暇を頭ごなしに否定していました。

でも社員からすれば、説明もないのに社長が何を目指してるのかよくわからないし、どれだけ仕事をしても終わりが見えないし、残業は増え続けるし、そりゃあ「社長についていっていいのかな」と思いますよね。

さらには「俺がこんなにやっているんだから、みんなもっと信頼して俺についてこいよ」と勝手なことを言って……。最低なことをしていたと思いました。

社長が自分を強く見せようと威張り散らしても、会社は良くならない

青野 慶久
そういえば僕も、社員とバチバチやっていた時代がありましたね。

社員が会議で、「仕事を減らすべきじゃないか」と議論しているところに入っていき、「僕は仕事を減らすつもりはないよ」と言い放ったことがありました。
蜂谷 悠介
そうだったんですね!(笑)

青野さんの考えが変わったのには、何かきっかけがあったのでしょうか?
青野 慶久
会社としてもっと成長しようと思ったときに、人がどんどん辞めるようになってしまったんです。

これでは成長できない、何か間違えているんじゃないか。もっと社員ひとりひとりと向き合ったほうがいいんじゃないのか? と思うようになりました。
蜂谷 悠介
なるほど。私が全社員に謝ったのも、本質は同じだと思います。

社長が自分を強く見せようと威張り散らしても、会社は良くならないんだと気がついたんです。
蜂谷 悠介
時代がどう変化しようと、社長が常に正解を出し続けられるのなら、社長が威張っても、社員はついていくのでしょう。

しかし、時代は変わるし、お客さんのニーズも変わる。たくさんの価値観がある今の世の中で、どんな人に何が喜ばれるかなんて、自分1人ではとても考え続けられません。

だから、「社長がいつまでも威張って会社を動かしていくなんて、逆に非効率なんだ」と、思うようになりました。

社長だけで判断するのではなく、みんなで判断してやっていくスタンスに

青野 慶久
具体的な変化としては、どんなことがありましたか?
蜂谷 悠介
自分の思いばかり押しつけるのをやめました。腹を割って話し合い、みんなの夢も聞かせてもらいました。

それまでは企業理念なんてなかったのですが、社員それぞれの夢を叶えることにもつながる理念をみんなで打ち立てました。

「世界一の染物屋になろう」と。
青野 慶久
共通の理想を立てた。
蜂谷 悠介
はい。理想が決まれば、今度は、「世界一を目指す私たちは、今どういう道半ばにいるのだろう」と、理想の世界への距離を知りたくなります。それを知ることができないと、働く人たちはやる気が出ません。

そのために、会社の情報はすべてオープンにして、みんなで判断できるようにしました。売り上げも利益も、リアルタイムですべて公開して、「どうぞ見てください」と。

社長だけで判断するのではなく、みんなで判断してやっていくスタンスに変わりましたね。
青野 慶久
とても大きな変化ですね。

会社のビジョンとそのシステムを使う意味がつながった

青野 慶久
労働環境の問題は、どう解決したのですか?
蜂谷 悠介
まずは、有給を誰でも気軽に申請して取れるようにしました。いま考えれば、当たり前のことですよね(笑)
蜂谷 悠介
とはいえ……当時は怖かったんですよ。「社員が気軽に休めるようになったら、業務が滞るんじゃないか」と、不安がぬぐえませんでした。今まで、そんなに休みを取らせたこともなかったですし、本当にこんなことをして大丈夫なのか、と。

そこで、「業務フローをしっかり見える化していかなければいけない」と考えたんです。いま誰がどんな仕事をしていて、この先どんな仕事をする予定になっているのか。それさえ分かれば、先回りして対策できそうだなと。
青野 慶久
なるほど。
蜂谷 悠介
最初は、ふせんでのスケジュール管理を試しました。しかし、本社と工場が離れているせいで、いちいち見に行かなければいけなかったり、ふせんがはがれ落ちてしまってスケジュールが分からなくなったり、問題点が多くありました。

そこで、どこからでもスケジュールを管理できるように、予算を割いてシステムを作りました。しかし、今度は現場から使いづらいという声が出て、なかなか定着しませんでした。
青野 慶久
上層部が作ったシステムが、現場に受け入れられない。ありがちな話ですよね。
蜂谷 悠介
それで、今度はキントーンを導入しました。これなら現場のスタッフが、自分たちで使いやすいように、自分たちでカスタマイズできるだろうと。

導入はうまく進みました。しかし、「みんなの仕事の状況やスケジュールを、キントーンなら楽に共有できる」ということはわかっても、なぜそれをやるのかまでは社員に伝わっていなかったようなんです。
青野 慶久
つまり、「よく分からないけど、何となく使っている」という感じだったわけですね。
蜂谷 悠介
おっしゃる通りです。これが伝わるようになったのは、社員が見守るなか、「kintone hive」でプレゼンをしたことがきっかけだったんですよ。
青野 慶久
え、そうなんですか!

キントーンによる業務改善の秘訣やノウハウを共有するイベント「kintone hive」にて、蜂谷さんのプレゼンテーションは最優秀賞に選出。

蜂谷 悠介
はい。社員たちから、「あのプレゼンを聞いて、なぜ社長がキントーンを使ってくれとずっと言っていたのかわかった」と言われました。

会社のビジョンとキントーンを使う意味がつながったようなんです。

何のためにそのシステムを使うのか。会社にどんな課題があって、そのシステムを使うことで何を解決したいと思っているのか。

そういった全体像がわかり、「それを使う意味」「それをやる意味」が腑に落ちてからは、社員はさらに自分たちで活用方法を探るようになりました。
青野 慶久
おもしろいですね。単に効率が上がるだけでなく、「それで自分たちの夢が叶うんだ」というところまでつながらないと、人は動かないわけですね。

社長が社員のことを考えるのは難しい、だったら社員自らが考えて動ける状況を作るべき

青野 慶久
つくづく思いますが、経営を考えるにしても、信頼関係を築くにしても、システムを導入するにしても、社長が社員のことを考えるのは本当に難しいです。

私も昔、待機児童が大きな問題として出てきたころに、社内に保育園を作ろうと提案しまして。きっと全社員が感動するだろうと思ったら、びっくりするくらい、即却下でした。

「アホですか?」「青野さん、通勤ラッシュの電車に子どもを乗せられるわけないでしょ」と(笑)
蜂谷 悠介
ははは(笑)
青野 慶久
社長が一方的に、社員のことを考えるのは難しい。

だったら、やはり情報も理想もオープンに共有して、社員自らが考えて動けるようにすべきなんでしょうね。
蜂谷 悠介
そう思います。実際うちも今、海外との取引が少しずつ増えてきているんです。

それは、みんなで「何年後には海外に支店を作る」という目標を掲げているから、実現したことなんですよね。
青野 慶久
グローバル展開も、ビジョンとして具体的に考えているんですね。
蜂谷 悠介
はい。これは、「地元である一関を人であふれさせたい」という私自身の理想と、「一関から世界へ」というみんなの理想から生まれた目標です。

京屋染物店の皆さん

蜂谷 悠介
道半ばで、まだまだ障害はあるはずです。

そのときにどう乗り越えるのか。社員と向き合って、情報も理想も包み隠さず共有して、一緒に考えていきたいと思っています。
青野 慶久
素晴らしいです。応援しています!

文:多田慎介/撮影:橋本直己/企画編集:吉原寿樹

京屋染物店のより詳しいキントーン利用方法はこちら

社長にはもうついていけませんー疲弊した老舗企業が「残業ゼロ」で最高益を更新するまで|サイボウズ ワークスタイル百科

「うちみたいなアナログ企業で働き方改革なんてできない」という言葉をよく耳にします。

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執筆

ライター

多田 慎介

1983年、石川県金沢市生まれ。求人広告代理店、編集プロダクションを経て2015年よりフリーランス。個人の働き方やキャリア形成、教育、企業の採用コンテンツなど、いろいろなテーマで執筆中。

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撮影・イラスト

写真家

橋本 直己

フリーランスのカメラマン・エディトリアルデザイナー。趣味は尺八。そして毎日スプラトゥーン2をやっています。

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編集

編集部

吉原 寿樹

1995年、大阪生まれ。2017年にサイボウズへ新卒入社。働き方やツールに関するコンテンツ制作を通して、サイボウズが製品で提供できる価値をより広く伝えるプロモーションに取り組んでいます。趣味は音楽・ゲーム・読書。

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