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結婚という「契約の重さ」が私には合わなかった。1度目は法律婚、2度目は事実婚を選んだ理由──水谷さるころさん

この記事のAI要約
Target この記事の主なターゲット
  • 20代から40代の働く女性
  • キャリアウーマン
  • 結婚を考えている若者
  • 家族の形について考える人
  • 結婚に疑問を感じている人
Point この記事を読んで得られる知識

この記事では、イラストレーター兼漫画家、水谷さるころさんの経験を通じて、結婚の形としての法律婚と事実婚について考察しています。彼女は初婚で法律婚を選びましたが、自分の価値観やキャリアと結婚の契約における矛盾を感じ、離婚に至りました。その後、再婚の際には事実婚を選択しました。法律婚は形式的な契約関係であり、婚姻届けの提出による社会的保証がある一方で、水谷さんはその契約の重さが自分の生き方に合わないと感じました。

この記事ではまた、彼女が法律婚の中で感じていた女性特有の社会的期待や役割、そしてそれが自身のキャリアに与えた影響についても触れています。具体的には結婚がキャリアにどう影響するかを知り、女性が結婚において避けては通れない課題を抱える可能性について理解できます。

一方で、事実婚は新しい関係性の構築として、パートナーシップの実態を柔軟に築ける形とされています。法的なつながりが強くない分、二人の間に積み上げられる事実が重要視されることを示しており、個々の価値観に合った家族の形を築くための選択肢として、事実婚の利点も説いています。

Text AI要約の元文章
家族と仕事

これからの家族と、仕事のカタチ。

結婚という「契約の重さ」が私には合わなかった。1度目は法律婚、2度目は事実婚を選んだ理由──水谷さるころさん

人生100年と言われる時代に、今このタイミングで一生の愛を誓っていいの? 失敗したらどうしよう? これまでキャリアを築いてきた自分の名前を変えたくない──。そんな思いが頭をよぎって、「結婚」を躊躇している人もいるかもしれません。

そんな時、「事実婚」という選択肢が浮かんできたとしても、まだまだ一般的ではないその選択肢に懐疑的な人もいると思います。法律婚を前提につくられている社会で、不利益を被(こうむ)ることはないのかな? そもそも「法律婚」と「事実婚」って何が違うの?

そんな思いをもとに、「法律婚」と「事実婚」、そのどちらも経験されているイラストレーター・マンガ家の水谷さるころさんにお話を聞きました。

1回目の結婚では、「結婚生活をなめていた」ことに気づいた

水谷さんは30歳で初婚を経験されていますが、結婚する前はどんな「結婚観」を持っていたんですか?
水谷
当時は、「結婚=籍を入れるもの」「結婚=幸せ」という図式になんの疑問も抱いていませんでしたね。

というのも、自分が生まれ育った家族のあり方に影響を受けていまして。
どんなご家庭だったんですか?
水谷
うちは、父が稼いで母は専業主婦、夫婦仲も超円満、郊外の戸建てに住み、4人姉弟全員が都内の私立校に通うといった、昭和後期の典型的な「恵まれた家族」でした。

しかも、父はいわゆる亭主関白でもなく、お酒も飲まず、母にも私たちにも優しい人。
絵に描いたような幸せな家庭で育ったんですね。
水谷
そうなんです。だから、結婚すれば両親みたいに幸せになれると思い込んでいて、私も時期がきたら結婚するものだと信じて疑わなかった。「とにかく結婚したい」と思っていましたね。

水谷さるころ(みずたに・さるころ)。1976年1月31日、千葉県生まれ。女子美術大学短期大学卒業。イラストレーター・マンガ家・グラフィックデザイナー。1999年に「コミックキュー」にてマンガ家デビュー。2016年に自身の結婚、離婚、事実婚で再婚したアラサーの10年を描いた『結婚さえできればいいと思っていたけど』(幻冬舎)を出版。さらに出産した経験をもとにしたコミックエッセイ『目指せ! 夫婦ツーオペ育児 ふたりで親になるわけで』(新潮社)を刊行。新刊『どんどん仲良くなる夫婦は、家事をうまく分担している』趣味は空手。好きな食べ物は「鶏肉+ゴハン」。

結婚相手に求めることはあったんですか?
水谷
それが、私が結婚相手に求めていたのは、「一緒に暮らして話し相手になってくれること」のみだったんです。お金を稼いで養ってくれなくてもいいし、家事もやらなくてもいい。

だから、アラサー当時付き合っていた彼に、「共働きで、家事も全部私がやるから大丈夫!」と宣言して、結婚したわけです。
なんともたくましい宣言……。ですが、共働きで家事も全部ひとりでやるのは、とても大変なことですよね。
水谷
完全に結婚生活をなめていましたね。私はそれまでもずっと、家で仕事と家事をしていたので、一人分増えるくらいどうってことないと思っていたんです。

でも実際は、負担がどんどん増えていきました。彼にとっては「家事はやってもらって当たり前」。かといって「私がやるから」と言ってしまった以上家事も仕事も、自分だけが頑張らないといけない関係性に疲れてしまって。

結婚の良い面ばかり見ていたので、自分を助けてくれない人と暮らすのが辛いということが想像できてなかったんです。
それはしんどいですね……。

「結婚したんだから、旦那さんに養ってもらうんでしょ?」と、ギャラの値下げ交渉をされた

水谷
それなのに、周りからは「夫に養ってもらっているんでしょう」という目で見られていたんです。結婚してはじめて、女性は男性の所有物とみなされることがあるんだなと気づきました。
具体的には、どんなことがあったんですか?
水谷
一番衝撃的だったのは、結婚を理由に、ギャラの値引き交渉をされたことですね。「結婚したんだからお金に困ってませんよね? 旦那さんに養ってもらうんだからいいでしょう」と。
えっ……!
水谷
「女性の収入は家庭の補助である」という先入観を潜在的に持っている人が、いまだにいるんです。安くしたいという前提があって、その理由としてうっかり口にしただけかもしれないけれど、男性には言わないですよね。
なんとも不平等な話ですね……。
水谷
一方、元夫は結婚して「妻を養っていく覚悟ができた」と社会的評価が上がっている。その時に、私は「ブランディングが必要だった」と反省しましたね。
ブランディング?
水谷
はい。結婚した女性が世間からどう見られるのかを、もっと考えなきゃいけなかったんだなあって。私の場合、「結婚してもずっと仕事を続けていきます」アピールをもっとしないといけなかった

私は「親が喜ぶようなちゃんとした結婚式」を挙げたせいで、「家庭に入って悠々自適な生活を送るんだな」と勝手にイメージされちゃったんですよね。
結婚生活の実態と周りのイメージのギャップがあったんですね。

水谷さんのお母さまは専業主婦ですが、水谷さんにその考えが一切ないのはなぜですか?
水谷
やりたい仕事ができているからですかね。私は幼い頃から絵を描くのが好きで、それを仕事にして生活できていたので、続けていきたいし、向上心もあった。

母の時代は、結婚することが家を出る唯一の手段で自立の道だったけれど、私たちの時代は女性が働くことも当たり前。結婚して仕事をやめる選択肢を最初から持っていませんでした。

離婚してはじめて、「自分の親は幸せな家庭を築いていたんだ」と気づいた

離婚を意識されたのはいつ頃だったんですか?
水谷
結婚して2年くらい経った頃ですね。3年半でいよいよ限界がきて、このままじゃ子どもがつくれない! と私が白旗を上げて、33歳で離婚しました。

元夫は「オレが結婚したかったわけじゃないし」みたいな感じでしたし子どももいなかったので、「解散だ、解散ー!」という感じのノリでわりとあっさり。
解散(笑)!
水谷
離婚後は、ひとりで毎晩反省会ですよ。夜な夜なネットで、他の家庭の事情を垣間見て、ああ、私はなんて世間知らずだったんだ、と。

たまたま自分の親が運よく幸せな家庭を築いていたことに対して、何の疑問も持たなかった自分を恥じました。
離婚を経験したあと、再婚に対してのモチベーションはあったんですか?
水谷
ありました。元々一人きりの生活がイヤで結婚したので(笑)。ただ、そのための選択肢が法律婚だけではないこと、パートナーとして自分に合う人をちゃんと考えなきゃいけないことにも気づきました。

結婚というより「法律婚」に向いていないんだと思った

水谷
結婚についていろいろと調べていく中で、法律婚と事実婚についても調べて、私は結婚というか「法律婚」に向いていないと思ったんです。
法律婚に向いていないと思った理由はなんだったのでしょう?
水谷
法律婚は、役所に婚姻届を出すと国が夫婦としての関係を保証してくれますが、契約として重い。私が契約に対して忠実であろうとする性格だからだと思うんですが、その契約が結婚生活において重荷になっていたんですよね。

法律で契約された関係なんだから「一生我慢しないといけないんだ」と自分を追い詰めてしまった。さらに「結婚式」で「神様に誓った」みたいなのにもかなり縛られていましたね。

でも、幸せになると神に誓ったことが原因で不幸になるのはおかしいな、と。
なるほど……。
水谷
一回失敗したこともあって、もうあの時と同じテンションで法律婚はできないと思ったんです。
「契約の重さ」が一番大きな理由だったんですか?
水谷
そうですね。事実婚は同居を始めた瞬間は「事実」が少ししかなく「仮契約」的なので、結婚生活という実態を積み上げていって、自分たちの家族のかたちをカスタマイズできます

いつでも引き返せるので追い詰められることもない。法律婚で最初に本契約をして、そこに忠実であろうとして挫折したので、契約力が弱い事実婚の方が自分には向いていると思いました。

結婚で「男だから」「女だから」という役割に縛られるのは窮屈

その後、36歳の頃に現在の旦那さんと事実婚をされていますよね。事実婚の合意はすんなり取れたのでしょうか?
水谷
今の夫も離婚を経験してるんです。仲良くなったきっかけも、「我々はなぜ結婚に失敗したか」というバツイチ同士の話題で盛り上がったこと(笑)。

おたがいに一回失敗して、法律婚に向いていないこともわかっていたので、一緒に暮らすなら事実婚にしようとすんなり決まりました。

ただ、親は反対しましたね。
そうなんですね。
水谷
事実婚は「ちゃんとしていない」から「いざという時に責任を取ってもらえず、女性であるあなたが損をする」と。

もういい大人なので、許諾を得る必要はないと思いましたが、ちゃんと説明すればわかってもらえるという信頼関係はあったので、両親に理解を得られるように話はしました。とはいえ、ある程度やってみないとわからないので見切り発車ぽくはありましたが。
親の意見や世間体ではなく、「自分のたちが生きやすい結婚のかたち」を選ばれた。
水谷
一回失敗したことで私たちは自由になりましたね。「正しい」ことより「好きなこと」をしようと。でも、離婚を経験していなかったら、疑問を抱きながらも「正しさ」に引きずられたままだったと思います。
おふたりは結婚に対して、どんな疑問を抱いていたんですか?
水谷
結婚をして「男だから」「女だから」という役割に縛られることを窮屈に感じていたんです。夫は「男だから」世帯主や稼ぎ頭になることに疑問を抱いていて、かたや私は「女だから」という理由で、家事全般を担っていてた。

「男」と「女」という役割に縛られずに、もっと合理的に能力に対して、均等に家庭内で家事育児を割り振ればいいよね、と意見が一致しました。

契約よりも、家族であるという「事実」が重視される

事実婚で、生活に困ることはありますか?
水谷
それがないんですよ。

子どもの口座を開設したり、入院や手術で家族のサインが必要になったりしたときも、一緒に暮らしている家族であるという「事実」があれば、たいていの手続きはクリアできるんです。
そうなんですね。てっきり、そういうところで困るのかと思っていました。
水谷
もし事実婚で困るとすれば、法律そのものより、会社の規定などのローカルルール、社会のシステムに弊害があるのだと思います。

実際に病院で「事実婚ではサインさせない」というケースも稀にあるらしいのですが、それは「法律」じゃなくて「ローカルルール」なんです。

徐々に、いろんな家族のかたちに合わせて社会も変わっていければいいですよね。
あらためて、法律婚と事実婚、両方の結婚のかたちをご経験されてみて、どう感じられていますか?
水谷
私の場合、法律婚では、「この人と一生一緒に生きていく」と誓った結婚式が幸せの最高潮で志も一番高く、そこから「おやおや? 思っていたのと違うぞ?」と思いながらも型にはまろうとして、ひとりで我慢と努力して息苦しくなってしまいました。

一方、事実婚は「この人と死ぬまで一緒にいられたらラッキー」くらいの気持ちで最初の志は低く、そこから信頼と実績を積み上げていくかたちです。最終的なゴールを決めていないから、おたがい関係が続くように努力もするので、理解が深まって仲も良くなるんです。

事実婚は法的なつながりが薄い分、「事実」をどれだけ積み上げられるかが重要なんだなと感じていますね。
まさに、その言葉の通り、「法律」で結ばれた関係ではなく、積み上げた「事実」でつながる関係性。
水谷
もちろん、うまくいかないこともあります。完璧じゃない人間同士、苦手なことや癖もあるので、過去と同じ失敗もします。

ですが、おたがいに苦手なことを受け止め合って、変わっていくことも含めて、話し合いを重ね、心地よく暮らすためのルールを更新し続ける。そうして「事実」を積み上げて、私たちなりの家族のかたちを築いていきたいと思っています。
執筆・徳瑠里香/撮影・三浦咲恵/編集・明石悠佳・柳下桃子
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執筆

ライター

徳 瑠里香

出版社で書籍、WEBメディアの企画・編集・執筆を経て、ご縁のあった著者の会社でPR・店舗運営などを経験。その後、独立。

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撮影・イラスト

写真家

三浦 咲恵

1988年大分県生まれ、サンフランシスコ市立大学写真学科卒。帰国後都内のスタジオを経て、鳥巣祐有子氏に師事、2016年独立。雑誌や広告、Webなどで活躍。

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編集

ライター

あかしゆか

1992年生まれ、京都出身、東京在住。 大学時代に本屋で働いた経験から、文章に関わる仕事がしたいと編集者を目指すように。2015年サイボウズへ新卒で入社。製品プロモーション、サイボウズ式編集部での経験を経て、2020年フリーランスへ。現在は、ウェブや紙など媒体を問わず、編集者・ライターとして活動をしている。

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