ここ最近、「先生がいそがしすぎる問題」が大きく取り上げられるようになりました。
定時よりずっと早くに出勤したり、保護者からのクレーム対応に追われて深夜まで働いたり、土日休みも返上して部活動に力を入れたり……。
企業ではさまざまな形で働き方改革が進む一方、学校は今、日本でも特にハードな職場となりつつあります。未来の大人を育てる学校が、働く人を大切にしない場所のままでいいのでしょうか。
先生に無理をさせないためにできることとは──? 教育研究家の妹尾昌俊さんと、サイボウズ社長の青野慶久が語り合いました。
学校をいそがしくさせる合言葉は「前からやっていることだから」と「子どものためになるから」
学校の先生たちって、本当においそがしいですよね。
先日子どもの小学校に行ったときも、クラスのあちこちで騒いでいる子どもたちを先生ひとりで必死になだめているのを見て、「なんて大変なんだ……」と思いました。
おっしゃるとおり、先生たちは国内でもダントツの長時間勤務です。休憩時間も十分に取れず、「教師の職業病は膀胱(ぼうこう)炎だ」とさえ言われているんです。
膀胱炎が職業病!
大変だと知っていましたが、そこまで深刻だったとは。どうしてそんなにいそがしくなってしまうのでしょうか?
先生をいそがしくさせる合言葉に「前からやっていることだから」と「子どものためになるから」というキーワードがあると思っています。
妹尾昌俊(せのお・まさとし)さん。教育研究家。野村総合研究所を経て2016年からフリーとなり、学校業務改善アドバイザー(文科省、横浜市ほか多数)、中央教育審議会委員などを歴任。教育委員会や学校向けの研修・講演などで全国を飛び回る。著書に『「先生が忙しすぎる」をあきらめない―半径3mからの本気の学校改善』、『『こうすれば、学校は変わる! 「忙しいのは当たり前」への挑戦』』(教育開発研究所)、『先生がつぶれる学校、先生がいきる学校―働き方改革とモチベーション・マネジメント』(学事出版)など。
たとえば、夏休み中のプール指導や、土日の部活の練習など、みなさんにも馴染みのある学校の風景ってありますよね。
実はどちらも学習指導要領などで「絶対にやりなさい」とは言われていません。学校ごとにプラスアルファとして拡大してきたサービスなんです。
冷静に考えると、学校はものすごく過剰なサービスをしていますね。
そうなんです。本来なら学校の判断でいつやめてもいいはずですが、今も多くの学校でこのような運営が続いています。
青野慶久(あおの・よしひさ)。1971年生まれ。大阪大学工学部情報システム工学科卒業後、松下電工(現パナソニック)を経て、1997年8月に愛媛県松山市でサイボウズを設立した。2005年4月には代表取締役社長に就任(現任)。社内のワークスタイル変革を行い、2011年からは事業のクラウド化を推進。著書に『チームのことだけ、考えた』(ダイヤモンド社)、『会社というモンスターが、僕たちを不幸にしているのかもしれない』(PHP研究所)など。
理由はさまざまですが、「前例や伝統のある活動には、なにかしらの教育効果がある」という考え方が背景にあるように思います。
先ほどのプール指導や部活動のように、「子どものためになるから」と新たな活動がつくられては次々に蓄積されます。なので、学校の「やるべきこと」は増大する一方です。
そのなかで「学校の負担が重すぎるからおかしい」と気づいても「クレームがきたら余計に仕事が増えてしまう」「自分たちの判断ではやめがたい」と、先生たちの献身性でやり続けてしまうことが多いようです。
妹尾昌俊提供資料。他業界と比較しても、トップクラスの忙しさ……。
よかれと思ってやっていることが、結果的に先生たちの首をしめてしまっているわけですね。
学校の「前例」や「伝統」には世代を超えた根強いファンがいる
そして、前例や伝統を好んでいるのはけっして学校だけではないと思うんです。
もし仮に、夏休み中のプール指導や部活動がなくなったとして、保護者等のぼくたちはその現実をそのまま受け入れられるでしょうか?
保護者のなかには「子どもに自分の頃と同じ豊かな経験をさせてほしい」「上の子のときは、もっといろいろやらせてくれたのに」などと、モヤモヤしてしまう人もいると思います。
こうした学校文化は、いつやめてもいいサービスである一方、世代を超えた根強いファンがいます。だから学校側は思い切った変革を起こしにくいというのが現状なんです。
なるほど……。私はサイボウズでも、他の会社にも「働き方を見直したいなら、まずはビジネスモデルを見直すべき」と言ってきました。でも学校の場合はそう簡単にはいかないわけですね。
そうなんです。学校の働き方の当事者である先生たちも、どんなにいそがしくても教育効果を優先し、これまで通り業務を遂行してしまうようです。
こうして学校の「やるべきこと」が徐々に膨れ上がっていった結果が、「先生がいそがしすぎる問題」につながったのではないかと考えています。
たしかに、先生の「やるべきこと」は昔に比べてより多く、かつ複雑になっている印象があります。
長男が小学校に入学したとき、「おはじきにも一つずつ記名してください」と言われました。名前を書く親も大変ですが、チェックする先生も大変です。ぼくの頃なんて、持ち物はなくし放題だったのに(笑)。
青野さんがおっしゃるように、「昔はもっとおおらかだった」という声も多いです。「学校は勉強を教えてくれればいい」、そんなのんびりとした雰囲気があったと。
しかし今では、勉強に直接的には関係のない生活態度や人間関係のもめごとについても、先生が責められることが多くなっています。先生が本来やるべき「授業や授業準備」以上のことが求められているのは疑問です。
それこそ仕事内容が明確に定義されてないですから、何をどこまでやるべきか、正解がわからないですよね。
はい。だからこそ、先ほど青野さんがおっしゃったような「おはじき全部に名前書くって、そこまでやらなくてもいいんじゃない?」「先生頑張りすぎじゃないの?」という違和感や気づきは、とても大切なんです。
ちょっとした違和感や気づいたことを学校や先生に伝えて、頑張りすぎている活動にはブレーキをかけることが必要だと思います。
「周りがブレーキをかける」、これなら私にもできるかもしれません。
学校の働き方改革の「ラスボス」は校長先生?
周囲からの声がけも、先生の働き方を変える一歩だと思いますが、ぼくは「学校の働き方改革のラスボスは校長先生だ」と考えています。
最近では、独自に学校改革に取り組んでいる校長先生もいらっしゃいますよね。従来の教育のあり方を見直して変えていく自由は、すべての学校にあるんですか?
学校が指導すべき教育の内容について、大枠を決めているのは文部科学省です。ですが、その内容を実行する上での工夫については、実は細かくは法令や学習指導要領などでは規定されていません。
なので、校長先生のもつ大きな裁量を生かせば、学校は今よりずっと多様なあり方を追求でき、先生の働き方も十分に改善できるはずなんです。
そうなんですね。
でも、実際に改革を進めている校長先生は少ないんじゃないでしょうか? 注目されている人もごく一部というか。校長先生のみなさんは、持っている権限をどうして使わないのでしょう?
そこについては、さまざまな人がいるので一概には言えませんが、問題に気づいていないのか、あるいは気づかないふりをしているのか……。もしかしたら「どうせあと数年で異動だから」と見て見ぬふりをしている人もいるかもしれません。
そうですか。でも、子どもたちにとっての「数年」って人生においてとても大切な時間ですよね。
はい。子どもたちは学校で、もう二度と巡ってこない大切な時間を過ごしていますから、そこに先生の任期は関係ありません。
ぼくは校長研修などではよくこう言うんです。「小6や中3、高3生に、“残りあと数カ月の学校生活だから、テキトーにやっとけばいいよ”なんて言う先生はいませんよね? 校長の任期もあと数カ月だったとしても、充実したものにできるはずです」って。
真に重要なところに時間と人手を割けるよう、先生たちの働き方をどう見直していくのか。ぼくたちはそのことを今、本気で考えなければいけません。
「先生が犠牲になればいい」という時代は、そろそろおしまいにしたい
どうにか力になりたいです。でも、一体どこから手をつけたらいいのか……。
こういう仕事柄、やはりITの力をどんどん使っていただきたいですよ。授業にしても、今ならタブレット端末などを使って効率を上げていけるし、子どもたちはそれぞれの進度で学べるわけですから。
青野さんのような方からしたら「どうしてこんな非効率的なやり方をしているんだ?」と思うことがたくさんありますよね。学校現場でも、IT活用は目下の課題です。
しかし、問題はもっと根深いところにあるような気がしています。
「とにかく時間をかけて先生が頑張ればいい」「先生が犠牲になればいい」という発想そのものが変わらなければ、どんなに便利なツールがあったとしても、大きな変化は起きないと感じています。
これは学校に限ったことではないかもしれませんが、どうも日本社会には「犠牲の美学」みたいなものがありますよね。映画などでも、自分の命を犠牲にしてみんなを守るヒーローに感動する、みたいな。
けど、いやちょっと待てと。自分の命を大切にしながら誰かを守るほうが、はるかにすごいんじゃないか? と思います。
先生たちにも自分自身をあまり犠牲にせず、幸せに働いてほしい。そのためにも「犠牲の美学はもう捨てませんか?」と言いたいですね。
そうした意味では、先生が「スーパーマン」「スーパーウーマン」として見られがちな側面も影響しているかもしれません。
最近では、英語教育やプログラミング教育に力を入れようという流れになっていますが、かと言って何かが減るわけでもない。「先生が教えるべきこと」が、どんどん増えていくわけですから。
しかし、先生はなんでもできる「スーパーな人」ではなく、ひとりの人間であるということを忘れてはいけません。先生たちが安心して犠牲の美学を捨てられるように、「前からやっていることだから」とか「子どものためだから」といった考え方だけに縛られないよう、ぼくたちも気をつけなければいけませんね。
それは本当に「先生がやるべき仕事」なのか?
サイボウズとしてお手伝いできることってあるのでしょうか?
「情報共有」は学校の働き方改革において重要なキーワードです。それは、先生と保護者でも、先生と子どもでも、先生同士でも。その分野のノウハウをお借りできれば、すごく現場は助かると思います。
先生同士の情報共有という視点なら、たとえば「授業での、こんな投げかけや話し合いがよかったよ」といったつぶやきやノウハウが全国の先生で共有できるといいですよね。一定の負担軽減にもなるし、何より授業の質向上にもつながると思っています。
また、学校は保護者とのコミュニケーションの場がかなり少ないです。保護者のなかには入学式や卒業式、運動会くらいしか学校に来る機会がないという方もいます。
よくある「学校からのお便り」などは一方通行的ですし、かと言って、先生と保護者がSNSでつながると、お互い負担になりかねません。ちょうどいいあんばいでの情報共有ツールや意見交換する場がとても少ないように思います。
日常のコミュニケーションが足りないことで発生するトラブルもありそうですね。
まさに。コミュニケーションの量と質がよくなれば、そもそも生じないクレームもきっとたくさんあるでしょう。
こんなふうに、学校の文化に染まっていない方々の視点から「学校はここをもっと効率化できるよ!」「こうすれば、もっとチームワークよくなると思うよ」ということがあれば、これからも提案していただきたいと思っています。
はい。学校の働き方改革において、先生たちの動機づけはなにより大切です。しかし、周囲からの応援なしには、多忙な日々の中でその気持ちを持続させることはとても難しい。
学校の外側にいるぼくたちが「学校に最低限やってほしいことは何だろう?」「保護者や企業はこんな関わりができるんじゃないか」といったことを積極的に考えることが、結果的に先生と子どもたちの学びを守り、高めることにつながると信じています。
文:多田慎介/撮影:橋本直己/企画編集:佐藤萌音