ストレスに対する効果が注目を集め、数年前から話題になっている「マインドフルネス」。瞑想や呼吸法を生活に取り入れている人もいるのではないでしょうか。
一方、サンフランシスコ州立大学ビジネス学部経営学教授のロナルド・パーサーさんは、現在のマインドフルネスのあり方に疑問を呈しています。
「ストレスの問題解決を、個人に頼りすぎている」「企業は時として、従業員のストレス耐性を高め、会社の成果を上げるために、マインドフルネスを悪用している」
現状のマインドフルネスの問題点、そして、本来どのように生かすべきなのかについて、サイボウズ式、サイボウズ式のグローバルサイト「Kintopia」編集部員のアレックスが聞きました。
※この記事は、Kintopia掲載記事The Radical Potential of Civic Mindfulnessの抄訳です。
September 11, 2019The Radical Potential of Civic Mindfulness
マインドフルネスは企業が利益を得るためのツールになっている
最近は、社内プログラムにマインドフルネスを取り入れている企業が増えていると聞きます。
職場でストレスを感じている人が、上司からマインドフルネス実践プログラムを勧められ、受講したとします。何が得られるのでしょうか?
企業が社員に提供するマインドフルネスプログラムは「リラックスして、気持ちを落ちつかせるための呼吸法を習う」というものが一般的です。その時の思考や感情をありのままに認識するのが目的です。
ロナルド・パーサー。サンフランシスコ州立大学ビジネス学部経営学教授。西洋の消費者資本主義や個人主義社会において、世俗的にマインドフルネスを取り入れることの難しさを研究している。禅師でもあり、著書に”McMindfulness: How Mindfulness Became the New Capitalist Spirituality” がある。
プログラムでは「ストレスとは、状況に過剰に反応して感情をうまく調整できないときに発生する。つまり、あなたが頭のなかで作り出したものだ」と言われるでしょう。
これは企業から社員への暗黙のメッセージなんです。「健康やメンタルヘルスは自己責任です。でも、職場環境や組織文化に適応する支援はしますよ」というね。
パーサーさんは、著書で現代のマインドフルネスのあり方に警鐘を鳴らしています。どのような問題点があるのでしょうか?
現代のマインドフルネスの主目的は、神経系を落ち着かせてストレスを軽減すること。つまり、不安に対処し、自分の思考と感情の間に健全な距離をとることなんです。
ストレス対策として、マインドフルネスに頼ることは、本質的には間違っていません。肝心なのは、それが誰のためのものなのかということです。
具体的に言うと、現代のマインドフルネス、とりわけ企業が提供する社員向けのプログラムは、単純に個人のストレス対策が目的になっていません。
つまり、企業が利益を得るためのツールになっているということです。
つらくても「マインドフルネスで頑張って乗り越えてね」
私は、健康産業から人間の幸福や心理学をポジティブに探究するビジネスまで、幅広い業界にまたがっている現代のマインドフルネスを「最新の資本主義スピリチュアリティ」と呼んでいます。
これは、いわばプロテスタントの労働倫理の現代版です。
かつてピューリタンは、天国に召される可能性を高めるために、過酷な労働状況でも懸命に働きました。
この状況と、企業が社員に提供するマインドフルネスプログラムの関係は類似しているのです。「キャリアで成功する代償として、抑圧的な職場環境に耐えるための軟膏だよ」ということですね。
対処療法的にマインドフルネスを使って、「頑張ってなんとか乗り越えてね」と言っているのと同じですね。
そうです。今流行っているマインドフルネスは、お金も権力もあるIT業界のエリートによって始められました。自身をスピリチュアル起業家と称し、企業利益のためにマインドフルネスをねじ曲げたのです。
現代のマインドフルネスは、「マインドフルネスのプログラムを従業員に提供する俺たちはイケてるでしょ」という見せかけの企業スピリチュアリティに見えます。
個人がマインドフルネスでメリットを得るのは大いにけっこうです。
ただ、人間の苦しみの原因を狭く定義してはいけません。「個人の幸せは、社会的要因や周辺の環境から独立したものである。幸せは、自己管理と脳のトレーニングによって得られるものだ」というメッセージは危険です。
根本的な原因を解決せず、個人のストレスに対する対処能力や免疫力だけを強化するべきではないでしょう。
パーサーさんが著者でマインドフルネスを「最新の資本主義スピリチュアリティ」と呼ぶ理由がわかってきました。
資本主義社会では、利益追求のために個人の限界を押し広げがちです。現代人がストレスとうまく付き合えれば、企業は従業員をさらに追い込み、労働環境が悪化することも考えられます。
その通りです。マインドフルネスは市場から大いに歓迎されていますが、私たちは一度立ち止まって状況を把握するべきです。
本来のマインドフルネスの意味は「明瞭な理解」。現在と過去の大きな違い
そもそも、マインドフルネスはいつごろ生まれたものなのでしょうか。
起源は2600年前のブッダの教えにさかのぼります。
マインドフルネスはパーリ語の「Sati(サティ)」(気づき)を訳した言葉です。ブッダの初期の教えを収録した「パーリ仏典」には、マインドフルネス瞑想の取扱説明書のようなものが含まれていました。
それがイギリスの学者によって、19世紀に英訳されたんです。
19世紀当時のマインドフルネスは、どんなものでしたか?
今起きていることにしっかり目を向けて、過去の教えを回想するというものでした。熟練した精神状態を手に入れれば、苦しみの原因となる未熟な気持ちや感情を避けられる、と考えたのです。
それは、過去の記憶だけでなく、あなたの考えや意図、態度がもたらす結果までを意識するものでした。
マインドフルネスの考えで重要なのは「sampajaña(サンパジャンニャ)」です。これは、起きていることをはっきり理解することを指し、「明瞭な理解」と訳します。
心を無にするという意味合いの現代のマインドフルネスとはだいぶ違いますね。
そうです。他のことは考えず、今起きていることだけに集中するという現代のマインドフルネスの内容とは異なります。
当時の仏教では倫理、瞑想、賢明さを大事にすることが重んじられていました。しかし、現代のマインドフルネスでは、このような仏教のスピリチュアルな側面を切り離されてしまったのです。
マインドフルネスの現代化は、イギリス統治下のビルマにおける上座部仏教の瞑想が始まりです。
当時、瞑想は一部のエリート僧侶だけに許されていましたが、ビルマやタイで仏教の存在自体が脅威にさらされたことを機に、広く一般に解放されるようになりました。
彼らは西洋にアピールするために、仏教は宗教ではなく「心の科学」だと説きました。「マインドフルネスは、西洋の合理主義と科学がマッチしたもので、宗教ではない」と。
その後、1960年代初期にほぼ原型をとどめない、心の平穏を取り戻すための治療法としてアメリカに広まり、マインドフルネスが盛んになりました。しかし、マインドフルネスの識別や判断といった認知の側面がおろそかにされるようになってしまったんです。
パーサーさんの著書” McMindfulness: How Mindfulness Became the New Capitalist Spirituality”
本来のマインドフルネスの目的は、なんだったのでしょうか?
そもそもは、自身への愛着や執着を絶つことでした。
これは、仏教における"Liberation"(解放)の意味合いでもあります。「自分が他から独立しているという幻想」から解放される意味です。
この気づきは、思いやりの概念にも影響します。この幻想を乗り越えられれば、他者と自分という線引きが消えてなくなります。必然的に周囲への思いやりを持てるようになるんです。
つまり、離れているように見えても、本質的にはすべてのことがつながっているという考え方です。
マインドフルネスは瞑想や休息だけではない。大事なのは会話
マインドフルネスが、紆余曲折を経て現在流行っているようなものに変わった経緯がよくわかりました。
それでは今、マインドフルネスでストレスに対処している人は、どうしたらいいでしょうか。
もはや、静かに座って瞑想アプリを使うような個人主義のテクニックだけでは、不十分です。より社交性にあふれた実践法に変えていかないと。
3分間の呼吸法をやってみたり、面倒なメールを送信する前に深呼吸してみたりといった方法もけっこうですが、個人向けのテクニックにとどまっていては、マインドフルネスが持つ真の可能性に気づけません。
わたしたちはもっと高みを目指せるはずです。
ストレスの原因や苦しみを根本的に取り除くためには何をするべきですか?
現代人のストレスを大幅に減らせる可能性がある、内外的な要素を探るべきですね。
具体的には、政治・社会システムを見直すことです。現代のマインドフルネスは、圧倒的に個人主義であり、社会・集団的な側面が忘れ去られています。
1つ言えるのは、集団生活での気配りや注意深さを養うコミュニケーションをはじめとした、組織的な苦難に立ち向かうマインドフルネスが求められているということです。
これは、現実を新たな目で見るように人々を刺激し、人間のつながりを実感させてくれるはずです。わたしはそれを「ラジカル(急進的)・マインドフルネス」と呼んでいます。
ラジカル・マインドフルネスにたどり着くためには何が大切ですか?
「マインドフルネスは何のためにあって、誰が恩恵を受けるのか」と問いかけることです。
そして、マインドフルネスを、不公平さであふれる現代や企業に適応するツールとして使うことをやめるべきです。
沈黙することだけを評価してはいけません。マインドフルネスは、沈黙の訓練と思われがちですが、それは違います。「会話」が大事なんです。
「怒りが収まらなくて」と話す参加者に呼吸法を勧めても、意味がないですよね。そうではなく「何について怒っていたの?」と問いかけるのがふつうだと思います。このように、自らに問いかけて自身の感情を深く知ることが大切です。
臨床療法的マインドフルネスでさえ、人々は自分の体験を打ち明けるものですから。
先ほどの、個人は他から独立した存在ではないという点ですね。
ええ。C. ライト・ミルズ の著書”The Sociological Imagination” に「私たちは、人々の個人的なトラブルと社会的課題をつなげる必要がある」と書かれています。
私はこの考え方を「シビック (市民)・マインドフルネス」と呼んでいます。これを実践すれば、人は個人的なトラブルや不安を深く理解できます。
そして、社会や政治的状況と個人がどうひも付いているかを知ることで、集団の結束力が育まれます。
シビック・マインドフルネスを実践すれば、現状のマインドフルネスを超えることはできますか?
少なくとも、マインドフルネスは個々人のストレス軽減や行動管理ツールではなくなります。
単なる療法の域を越えた、社会的に根付いた独自のマインドフルネスを編み出していく必要があるでしょうね。
マインドフルネスには根源的にも、政治的にも、可能性を秘めています。それが明らかになるのは、これからです。
The Radical Potential of Civic Mindfulness - Kintopia
執筆:Alex Steullet/翻訳編集:三橋ゆか里/編集:藤村能光、鈴木統子