「弱さと向き合い、苦労を取り戻すこと。問題を切り離さず向き合うことが、企業にとって大切なことだ」──。
こう指摘するのは、組織論・経営戦略論の理論研究者である宇田川元一(うだがわ・もとかず)さん。
この「苦労を取り戻す」という言葉は、ソーシャルワーカーの向谷地生良(むかいやち・いくよし)さんが運営に携わる社会福祉法人「浦河べてるの家」(以下べてる)の理念のひとつです。宇田川さんは「べてるの思想には、イノベーティブな組織をつくるためのヒントがたくさん詰まっている」と言います。
社会にはさまざまな問題解決の手法が存在しており、またその情報も流通しています。ですが、企業に山積している問題はなかなか解決されません。ただ方法を知っているだけでは、問題は解決に向かわないようです。
今回は宇田川さん、向谷地さんのお二方をお招きして、べてるの実践や理念をひも解きながら、「私たちはどんな風に、自分や組織の問題と向き合っていったらいいのか?」をテーマに、じっくり語っていただきました。
組織の問題はふたつに分けられる
向谷地さん、よろしくお願いします。
僕は組織論の中で*ナラティヴ・アプローチを展開している研究者として、向谷地さんたちが設立されたべてるの思想にすごく感銘を受けています。
今日こうしてお話ができることを、とても楽しみにしてきました。
* ナラティヴ・アプローチ:「医療などの専門性を一度脇において、患者の語る”物語”をまずは正しいものとして聴いてみよう」とする方法であり、臨床心理や医療の研究から生まれた思想。
宇田川元一(うだがわ・もとかず)さん。経営学者。埼玉大学経営系大学院准教授。組織における対話やナラティヴとイントラプレナー、戦略開発との関係についての研究を行なっている。大手企業やスタートアップ企業でイノベーション推進や組織変革のためのアドバイザーや顧問もつとめる。2007年度経営学史学会賞(論文部門賞憂賞)受賞。2019年10月『他者と働く──「わかりあえなさ」から始める組織論』(NewsPicksパブリッシング
)を出版
ありがとうございます。べてるは、精神疾患がある当事者どうしが支え合って暮らす活動拠点です。
普通の会社組織とはまったく異なる共同体だと思うのですが、どういった観点から共感してくださったのでしょうか?
向谷地生良(むかいやち・いくよし)さん。ソーシャルワーカー。社会福祉法人浦河べてるの家理事。北海道医療大学看護福祉学部臨床福祉学科精神保健福祉講座教授。1984年に精神障がいを経験した当事者たちの活動拠点浦河べてるの家の設立に関わる。著書は『新・安心して絶望できる人生 「当事者研究」という世界』(一麦出版社)、『べてるの家の「非」援助論―そのままでいいと思えるための25章』(医学書院)など
ベてるの家でも実践されてきたナラティヴ・アプローチの視点が、今、普通の企業においても、とても大事になっていると考えていて。
企業の組織で起こる問題は、大きくふたつに分けることができます。ひとつめは、「技術的問題」と呼ばれるもの。
これは、ノウハウや論理的な思考によって、解決策がすぐに見つかる問題のことです。
たとえば、「クラウドサービスを使いこなせていない人が多く、各々が持っているデータが共有されない」という問題であれば、データの格納方法がわかるマニュアルを共有したり、勉強会を開けばいい。
たしかに、解決しやすい問題ですね。もうひとつは何なのでしょう?
もうひとつは、「適応課題」と呼ばれるものです。これは、既存の方法で解決できない、複雑で困難な問題のこと。
先程の例でいえば、マニュアルを共有したり、勉強会の参加を呼びかけたりしても、なにかと理由をつけて積極的に取り組んでくれない場合があったとします。
これは表で語られている言葉の背景に、語られていない別のことがあるはずです。
「マニュアルを読むことや勉強会への参加が面倒」「クラウドサービスへの苦手意識がある」「データを共有すると自分の知識や経験の価値が減ってしまうと考えて不安」など、合理的な考えを伝えるだけでは解決が難しい要因が、複雑に絡み合っている可能性がある。
こうした、問題が入り組んでいる「適応課題」には、まさにナラティヴ・アプローチの実践として、対話が必要です。
問題の背景にあるものを、距離をとって眺めながら語ることにより、気づかないうちにとらわれている基盤としてのナラティヴ(物事の解釈の枠組み)を相対化できる。
そこに向き合うことで、組織の葛藤や孤立がもたらす苦悩や、目先の問題解決に走ってしまい、適応課題に皆で取り組めない状況を少しずつ変えられる。その結果、目の前の問題を「解決」するのではなく、「解消」していけるのではないかと思っています。
なるほど。たしかに、べてるで大事にしている思想が、役に立つ部分もあるかもしれません。
はい。べてるの思想をひも解いていけば、イノベーティブな組織や社会をつくるヒントが見えてくるのでは……と考えています。
「人生の苦労を取り戻す」。苦労や問題って、そんなに簡単に取り除けるものではない
たとえば、べてるには「人生の苦労を取り戻す」という標語がありますよね?
はい、私たちがとても大事にしている言葉のひとつです。
これって普通なら、誰でも「なるべく苦労したくない≒問題があったら取り除こう」と考えると思います。
けれども、べてるはそうしない。むしろ、問題を積極的に迎え入れるような姿勢がありますね。
苦労や問題って、そんなに簡単に取り除けるものではないんですよね。
とりわけ精神疾患というのは、その人が抱えている生きにくさが究極に煮詰まった状態とも言えます。
だから、その辛さを単に薬で抑えるのは、付け焼刃でしかなくて。生きづらさの背景にある大切な「本来の自分らしい苦労」を探して引き受けることを大事にしています。
たとえば、アルコール依存症の人がいたとします。
その人が依存症になった道筋を辿っていくと、過去に経験した「寂しさ」や「虐待の体験」などから自分を逃がすために起きているという、病の根っこにある生きづらさの問題が見えてきます。
これはアルコールだけではなく、こころの病と言うのは、その人のかかえる苦労の上に積み重なった状態で起きているところがありますね。
職場で起こる問題は、組織を助けにきている
企業でも、まさに「人生の苦労や問題を取り戻す」ことが大事だと思っています。
たとえば「職場でうつになった社員が出てしまった」というのは、組織の問題が現れている状況だと思います。
こうした状況を、大抵の企業は「うつになった人の個人の問題」として処理しがちです。
その人のストレス耐性や能力の問題として、細かい対応は産業医に任せ、休職させたりする。
これって、先ほどの話でいう「投薬で無理やり苦痛を抑える」のとほとんど同じことですよね。
そうですね。一般的な組織は弱い人たちを切り離して、身体が丈夫な我慢強い人たちばかりを抱え込みがちです。
挙句の果てには「うつになるような人はそもそも採用しない」という方向にいってしまう。
けれども、それって本当は「組織全体としての問題があって、そこに反応しやすい人がうつになってしまった」という状態なんじゃないかなと。
つまり、職場の一部の問題は、組織全体としての問題があることを知らせるアラートなんですよね。
その通りだと思います。
べてるでは、「病気はあなたを助けにきている」という言葉もよく使っています。
ああ、僕はその言葉がとても好きで。
職場で起こる問題も、病気と一緒で、組織を助けにきているんですよね。
そのメッセージに耳を傾けるためにも、組織が「苦労を取り戻す≒問題を手っ取り早く解決しようとせずに向き合う」というのは、とても大事な行為だと思います。
なぜならば、それが適応課題ならば、手っ取り早い解決は、単なる問題を見ないようにして、自分たちから切り離そうとしているだけになってしまうからです。
新しい事業をはじめる時は、最も“頼りなさそうな人”を組織の真ん中に置く
僕らは、新しい事業をはじめる時、一番“頼りなさそうな人”を組織の真ん中に置くようにしているんです。
”頼りなさそうな人”というのは、調子を崩しやすかったりする人ですか?
はい。これは、ベてるの起業当時、一番“* ぱぴぷぺぽ状態”で、頼りなかったべてる代表の早坂潔さんから学んだことですね(笑)。
* ぱぴぷぺぽ状態:病状の悪い状態を表現した言葉。べてるの家代表の早坂潔さんが講演のために東京へ来たとき、山手線の車中で調子を崩し、知人の家へ緊急避難した際に、「ぱー!」、「ぽー!」と言って飛び跳ねたのがはじまり。以後、べてるでは、幻覚妄想状態など、病状がひどくなることを「ぱぴぷぺぽ状態」と呼んでいる。
そういう人たちは、一番大切なものを、一番大切にしないと動けない人たちなんです。
その人を組織の中心に置くことで、いろいろ大変なことも起きますが、その苦労は手放してはいけません。それは必ず、他の人にとっての働きやすさにもつながっていきますから。
苦労するからこそ、その過程で工夫が生まれて、働きやすい職場になっていくと。
それに、大変な人たちが働ける場をつくっていくプロセスからは、いつも思わぬ発見や発想が生まれたりするんですよ。
ああ、おっしゃる通りですね。イノベーションは、異質なもの同士を結びつけることで起こるものです。
異質なものを排除しようとする組織から、イノベーションなんて起こり得ない。これを踏まえれば、「苦労を取り戻していくことで、組織は今よりもクリエイティブになっていく」とも言えるかと思います。
「問題は必ず起こる」という前提の考え方を持つことは大事
ただ、言葉で「苦労を取り戻す」って言うのは簡単ですけど、実際は生半可なことじゃないですよね。
さっきも向谷地さん、「大変なことがたくさん起こる」って。
べてるには「問題だらけ、それで順調」という標語があるくらい、毎日いろんな問題が起きているんですよね?
そうですね。問題の多さは、今も昔も変わらないです。ものが壊れたり、ケンカなんかは本当に日常茶飯事ですよ。
普通はみんな、そういう問題が起こるのが怖くて、今ある苦労と向き合うのを避けるわけですよね。
べてるのみなさんは、そういうきつさ、怖さをどうやって乗り越えてきたんでしょうか?
まずは、問題に対する認識を変える。というか、僕らの場合は変えざるを得なかったんです。
どんなに問題が起きないように気を付けても、結局は起きてしまうから。むしろ、起きないようにと押さえつけるほど、どんどん問題が押し寄せてくるんです。
だから、「問題はあって当然。むしろ、あったほうがいいよね」と開き直った。
そうすると、問題の感じ方も変わってきます。「これをやったらどんな問題や苦労が起きるか?」を先に出し合うようになる。
何かが起きたとしても“それで順調”と考えて、みんなで知恵を出し合えばいいと、楽観的になるんです。
「次はどんな問題が起こるのか?」と、怖さもありつつ、ワクワクするようにもなる。
問題をワクワクして迎えられるのは、すごく素敵なことですね。組織がそういう具体的な方策を持っていると働く人たちは安心すると思いますし、苦労を組織をよりよく機能させるために生かせますよね。
問題が起きないようにと考えていると、起こった時に「誰が悪いのか」「どう責任を取るのか」となってしまって、みんなが不安や恐怖、猜疑心を抱きやすくなってしまう。
そうならないためにも、「問題は必ず起こる」という前提の考え方を持つことは大事ですね。
主観的な感覚を尊重し、常識にとらわれず、反転させたものの見方をする
「問題をなくす」から「問題はなくならない」と視点を変える。
僕は、こうしたべてるの「主観・反転・“非”常識」の思想に、とても感銘を受けました。
その3つの要素は、*当事者研究の中で大事にしていることです。
当事者の、主観的な感覚や理解を尊重し、常識にとらわれず、時には反転させたものの見方をして、苦労から新たな可能性を見出そうと試みています。
*当事者研究:精神疾患を抱える当事者たちが「自分の苦労の研究者」となって、仲間や関係者と共に苦労のメカニズムを解明していこうとする試み。
過去にべてるで摂食障害の当事者研究をしていた方がいらっしゃいましたよね。
その方は「どうしたら摂食障害が治るのか」ではなく、「どうしたら摂食障害になれるのか」を研究したと。
そうそう。摂食障害をひとつのスキル、自分を「食べ吐きのプロフェッショナル」と捉えて、積極的に自分の弱さの情報公開をしたんです。
その結果、「自分にとっての食べ吐きは『周りにつらさを理解してもらいたい』という切実なコミュニケーションだったんだ」ということもわかったんですよね。
当事者研究は、「主観・反転・“非”常識」という知恵を用いて、いわゆる問題と言われていることの文脈を探り、その文脈に介入をしていく行為だととらえています。
この「文脈」とは、先ほどのアルコール依存症の方の話で言えば「寂しさ」や「虐待」など苦労の根っこにある問題のことであって。
表面的な症状を抑えるのではなく、文脈的な問題にアプローチしていく。それがうまくいくと、問題のアラートとして現れていた症状は、自然と消えていくんですよね。
「打算的」な弱さの共有にならないように
お話を聞いて、あらためて「苦労を取り戻すこと」と、その過程で「弱さを共有すること」の大切さを再確認できました。
最近では、企業でも「弱さの共有をやっていこう、本音を言い合える環境をつくろう」という動きが増えてきました。僕もそうしたことができる対話の方法を開発をしています。
しかし、その中で、ときに僕は打算的な安っぽさを覚えることがあります。表面的と言うか。
はい。なんだか「強くなるために弱さをさらけ出そう」といったニュアンスを感じるんです。
そういうところで出てくる弱さは、表面的なものになりやすく、切実に困っていることは話しづらいですよね。
加えて、そうした「弱さを語ることが大事だ」ということをどこかで知って、自分が単純にやりたくないだけのことを、弱さだからとして話すようなことも打算的だなと感じます。
それはべてる的に言えば「苦労の丸投げ」であって、苦労を自分なりに引き受けているとは言えないかもしれませんね。
はい。やりたくないことがあるのは当然なので、「やりたくない」と思うこと自体は大切だと思います。
だからこそ、むしろ「やりたくないと思うきっかけは何だったのか」などを考え、表の苦しさのもっと裏側にあることが語れるようになってくると、「実はやり方が分からなくて困っていた」など、もっと大切な苦労が語れるし、苦しいという大切な弱さが浮かび上がってくると思うのです。
苦労はもっと掘り下げていくと、すごく大きな価値があるんです。
問題だらけ、失敗続き、それで順調なんです
最近は技術や情報ばかりが行き過ぎて、人の通るべきいろんな経験が省略されてしまいがちですよね。
たとえば、炊飯器ってボタンひとつでお米が炊けるじゃないですか。
とても便利な道具ですね。本来はもっと面倒なプロセスがあって、苦労するはずで。
そういう便利なものが、いまの世の中にはたくさんあふれています。
苦労とは、何かができるようになるための経験値とも言えます。
それがないのに、いろいろと省略された後の結果だけを受け取って「できる」とか「解決した」と錯覚してしまう。
同感です。身体性のないデジタルな情報って、どんなにそれが正しかったとしても、なんだかつるっとしてるんですよね。
生身の経験から得られる情報って、もっとザラザラしていて。だから、事あるごとに引っかかる。その引っかかりが足場になって、しっかり立っていられるようになる……そんな感覚があります。
そうそう。問題だらけ、失敗続き、それで順調なんです、人として。失敗するからこそ、そこから学んで、また新しい挑戦ができる。
そういう循環を起こしていくために、みんなでどんどん失敗をして、それを公開していけると、社会は本当の意味で強くなれるんじゃないかな。
そうですね。打算的ではなく*反脆弱性と言いますか、「苦労に向き合っていける」という強さを大切にしていくために、失敗を重ね、弱さを共有できる組織を作っていきたいです。
失敗こそ、その人が人生で得てきた、かけがえのない財産だと思うのです。
*反脆弱性:ナシーム・ニコラス・タレブが提唱する概念。外部からの衝撃によって破壊されない頑健性ではなく、外部からの衝撃によってより強くなる性質のこと。頑健性は設計強度を上回る衝撃で破壊されるが、反脆弱性は、そうした衝撃によってより強くなる。
文:西山 武志/企画編集:木村和博(inquire Inc.)・明石悠佳
2019年5月27日「誰のせいにもしない」文化が、組織の多様化と問題解決を進めていく──熊谷晋一郎×青野慶久