「これくらいの業務なら、気力でがんばれる」。でも、その「がんばり」って、本当に必要?
仕事で「無理してまで」がんばってしまったり、不必要だと思いつつ意見を言えないのは、「みんなこれくらいこなしているから"普通”だ」という思いこみや、周りの目が気になり、周りに合わせてしまう行動から起こりがちです。
ですが、問題は、個人ではなく、もしかしたら、昔からある日本文化の気質が原因なのかもしれませんーー。
そんな疑問を、日本文化に造詣が深いロバート キャンベルさんと、バラエティ番組やコラム執筆、YouTubeに挑戦し、独自のキャリアを歩んでいるテレビ朝日アナウンサーの弘中綾香さんにぶつけてみました。
前編では、日本人は、世間の目を必要以上に気にして、「不要ながんばりをしているのでは」というテーマを話します。
「がんばる」のは、仕事に直接関係あることだけでいいんじゃない?
ありがとうございます! 私も楽しみにしていました。
今日は「がんばるって何なんだろう」ということから話していきたいと思います。
与えられている時間だったり、環境がそれぞれ違うので、エビデンスは人によって全然違うと思います。ただ、日本は若年層の自殺率が高いのも事実で。
「がんばり」の強要をしてしまっている可能性がある、と。
弘中さんにとって「がんばる」がどういったものなのか、教えてもらえますか?
今回の対談テーマである「不必要ながんばり」で思い出したのは、後輩からのバレンタインチョコレートの相談です。
弘中綾香(ひろなか・あやか)。テレビ朝日アナウンサー。入社8年目。「激レアさんを連れてきた。」の研究助手や、「ひろなかラジオ」(AbemaTV)のメインパーソナリティなどを務めるほか、「Hanako.tokyo」でエッセイを連載
「どの範囲の方々まで用意すればいいですか?仕事でお世話になっている全員に日頃のお礼をしたいので、がんばって用意します!」と相談を受けて。
そうなんです。ただ、そのがんばりはちょっと違うんじゃないかなと。私もかつてはその後輩と同じように考えて用意していたので、自分に対しても言えるのですが。
仕事に関することは、バレンタインのチョコレートで伝えるのではなく、仕事に直接関係ある業務をがんばることで、伝えられたほうがいいのに、と。
もともと、私は「無駄ながんばり」をしないタイプで。
がんばりのなかには、「無駄ながんばり」「仕方ないがんばり」「自分から買ってでもしたいがんばり」など、いろいろな種類があると思いますが、見分けられますか?
だんだんとわかってきたところです。
切り捨てるような言い方をするかもしれないのですが、自分のやるべきことをしていたら、それ以外のところで落ち度があっても責められるべきではない。
自分が課せられたお仕事に集中して、ちゃんとした評価を受けられればいいなって。
なるほど。自分のやるべきことをこなすのは、素晴らしいことですね
「お疲れさま」は疲れていることが前提。「頑張るのが当たり前」という自己暗示
でも、個人的には人ってそんなに強い生き物じゃないとも思うんです。
だからこそ、職場のなかで声をかけたり、ちょっと無駄な空間とか時間をつくって過ごしたり。いわば、コミュニケーションの日頃の準備運動も大切かなと。
ロバート キャンベル。日本文学研究者。国文学研究資料館長。近世・近代日本文学が専門。テレビでMCやニュース・コメンテーター等を務める一方、新聞雑誌連載、書評、ラジオ番組企画・出演など、多方面で活躍中
一方で、「がんばりすぎて疲れる」や「無駄ながんばり」が生まれる原因は、仕事に打ち込むことからではなく、評価や対人関係ではないかと思っていて。
なので、弘中さんのように、「がんばりどころ」を見極めるのは重要ですよね。
僕の周りでは、「誤解されたのではないか」「自分の思いが通じなかったんじゃないか」といったコミュニケーションによる気疲れ。あとは人からの「評価」もよく聞きます。
そうですね。「対人関係が疲れる」のは、各国共通だと思います。
ただ、特に今の日本だと「がんばりすぎるのが、当たり前だ」という風潮もあるように思っています。
それがよく現れているのが「お疲れさま」というあいさつですね。仕事柄、いろんな業界の現場に足を運びますが、テレビ局ほど「お疲れさま」を連呼しているところはありませんよ。
この言葉自体には、深い意味はないんですよね。一旦区切りをつけて、次へと受け渡すための装置でしかない。
でも、これを英語でそのまま訳すと「You look tired.」
そう。何回も言われ続けたら、疲れてなくても、疲れた顔になってしまいますよ。
「昨日は3時間しか眠れていない」とか「食べる暇もなかった」みたいに、がんばりすぎることが当然だという「疲れアピール」が自己暗示になって、疲れが出てきてしまっているんじゃないかなと。
「会社に消費されている」と気付き「私も好きなように会社から利益を得よう」と、発想を変えた
ある調査によると、日本のビジネスパーソンは、自己研鑽の意欲が低い一方で、会社に長く勤めたいと考えている割合が海外と比べて高いそうです。
会社員は、もっと自分のために会社を使ったほうがいいですよね。
それは会社にとってもいい考えですよね。ぜひ、社員にしたい!
せっかく何十人、何百人と集まった組織にいるんだったら、いろいろな人から学び、自己研鑽する。
そうやって、会社を「なりたい自分になるための場所」にしてしまえばいいのになって思うんです。
弘中さんは、どうやってその考えにたどりついたのですか?
きっかけは、「自分自身が会社に消費されている」という気づきですね。そこで「消費されているなら、私も好きなように会社から利益を得よう」と、発想を変えたんです。
それからは、周りにやりたいことを言葉にして伝えること、そして自分の仕事は120%の力でやりきることを大事にしました。
やるべきことをせず、「好きなことをやりたい」と言うのは社会人として通用しないと思ったので。
そうすることで、穏やかにテリトリーが広がっていった気がします。周囲から「何かやらせてみようか」とチャンスをもらえることが増えていきました。
いいですね。私も似た経験があります。
日々の研究をコツコツやって成果を出した結果、思いがけない人から声をかけられることがありました。
想定外の局面で、自分の仕事が誰かの戦力になることがある。新しい足場を与えられて、そこから少しずつ回り道をしながらも、自分の場所が拓けていくような感覚でした。
ただ、これって誰か周囲に注意深く見てくれている人がいないと、つながりは生まれないんですよね。
たしかにそうです。
私の場合は、昔から文章を書くことが夢でした。ただ、アナウンサーになってからは、それが仕事になるとは考えていなかったので、ライフワークとして書くことだけは続けていて。
ある日、編集の仕事をしている人に会う機会があり、それをお見せすることができたんです。そこからはトントン拍子で連載の話が決まりました。
ですから、やりたい夢が漠然としていても、それを形にしておくことって重要かもしれませんね。
「女子アナ」はあくまで「弘中綾香」の中のカテゴリーのひとつ
自分がやりたいことを始めるとき、「女子アナ」という既存のイメージから外れることに対して、ためらいはありましたか?
だって私、アナウンサーになるためだけに生まれてきたわけじゃないので。
「弘中綾香」という人間の積み重ねは二十数年あって、カテゴリーの1つとして「女子アナ」が加わっただけ。
だから、「適応する必要はない」というのが、正直な気持ちですね。キャンベルさんは、既存のイメージから外れるのを気にされますか?
僕の場合は、「自分はこうだ」という思い込みをせず、氷を削るように常にアイデンティティーを崩し、形を造っていけるようにしていて。
バラエティの顔や識者、教育者としての顔というように、コアは深いところでつながっているはずですが、いくつかのペルソナを持っています。
見方を変えれば、優柔不断なんですよ。
僕の仕事は、表現の歴史を研究してそこから色々な価値を切り出して、新たな表現に置き換えることで何かを発見する、あるいは価値をつくっていくこと。だから自分の性格と仕事がフィットしていると思いますね。
ちなみに弘中さんは 、周りの声は気になりますか?
職業柄か、どうしても一定数は批判してくる方はいらっしゃって。
傷ついたこともあったのですが、そういった声が、自分にとってよくない影響が出るとわかっているので、申し訳ないのですが、スパッと遮断して。
友人や、同僚など、直接コミュニケーションをとれる関係を大切にしています。私のことを弘中綾香という個人で見て、判断してくれる人、知ってくれている人の意見をきいたり、話したり。
いわゆる「世間」に向けた顔とは異なる顔ということですね。
「世間への発信」としての言葉ではなく、ただ一緒にいるコミュニティは必要だと思います。世間を、リアルだととらえなくてもいいし。
私も本名や連絡先を知らない人からの批判はなんとも思わないですね。褒められても……うん、それは若干うれしいけれど(笑)。
キャンベルさんは、「がんばりすぎて疲れた」と思うことはありますか?
僕はがんばりすぎる前に、リフレッシュしますね。
おいしいものを食べたり、運動したり、お酒を飲んだり、猫と戯れたり……あとは遠い景色を見るのが好きで。温泉に入ったみたいにリチャージされます。
自分は何がストレスになって、何に癒されて、どういったことをやりたいのか。そうやって自分のことを知っておくのは大切ですよね。
(後編に続きます)
企画:鮫島みな(サイボウズ) 執筆:園田もなか 撮影:もろんのん 編集:松尾奈々絵(ノオト)
サイボウズ式特集「そのがんばりは、何のため?」
一生懸命がんばることは、ほめられることであっても、責められることではありません。一方で、「報われない努力」があることも事実です。むしろ、「努力しないといけない」という使命感や世間の空気、社内の圧力によって、がんばりすぎている人も多いのではないでしょうか。カイシャや組織で頑張りすぎてしまうあなたへ、一度立ち止まって考えてみませんか。
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