気にしたくなくても、気になってしまう他人の目。それは決して性格だけが原因ではなく、昔から顕著に見られる日本人の「気質」や、それによって醸成される雰囲気も影響しているのかも。
「その「がんばり」って、本当に必要?」をテーマに、日本文学研究者のロバート キャンベルさんと、冠番組やラジオ、エッセイ連載など幅広い活動をするテレビ朝日アナウンサーの弘中綾香さんが語り合う対談。前編では、「世間」を気にせず、自由に活動をするためのコツを中心に話を聞きました。後編では「日本人の気質」を軸にお二人が、役割に捉われがちな現代人が楽になる方法を考えます。
2020年4月16日「世間」を気にして頑張りすぎていませんか?「会社に消費されずに、利益を得よう」と発想を変えたんです──ロバート キャンベル×弘中綾香
日本は「型」から入る役割重視社会
多くの人が他人の目を気にしてしまうのは、職場で無理している人が多いからなのかな。
みんなと同じようにやらないと、機会を失ってしまうかもしれない、という空気ですね。
職場に限らず、これまで学校や家での教育でも、同じことを感じてきたように思います。
昔から日本は、「役割重視社会」なんですよね。自分が期待されている仕事や役割から、足を踏み出すことへの禁忌意識がとても強い。
ロバート キャンベル。日本文学研究者。国文学研究資料館長。近世・近代日本文学が専門。テレビでMCやニュース・コメンテーター等を務める一方、新聞雑誌連載、書評、ラジオ番組企画・出演など、多方面で活躍中
少なくとも、江戸時代には「士農工商」という形で、身分がはっきりと分かれていました。
着物の柄や文様、生地、振る舞い……。そういった型が、生まれた身分によって決められていた。外形と中身を連動させる力が働いていたんです。
型にはまることは、決して悪いことではありません。むしろ、型に抗おうとするのも大変で。たとえば、平賀源内(※)のように他者から正当に評価されず、精神を病んで亡くなってしまった人もいます。
ただ、現代の日本のように、「女子アナ」や「女医」など狭い役割の中で高い価値をつくる、というのは昔の日本にはあまり見られない部分でもありますね。
※江戸中期の発明家、文芸家、陶芸家、画家、本草家(薬学・博物学者)、起業家、鉱山家。多彩な才能を持ち、日本初の発電機「エレキテル」を完成させた人物として知られる。
「自分が思うように、受け入れられないのでは」という不安
僕はゲイということを公言していることもあり、セクシャルマイノリティの人たちからよく相談を受けます。
彼ら、彼女たちの多くは「自分のセクシュアリティを職場でカミングアウトできない」と言います。
必ずしもカミングアウトをすべきだという話ではありませんが、彼らは「直属の上司に理解してもらえなかったら、機会損失をしてしまう可能性がある」と。
セクシャルマイノリティのタレントは日常的にテレビで見るようになりましたよね。
ただ、その属性が仕事に紐付かない人たちが「私はセクシャルマイノリティです」と語るのは、欧米では浸透してきましたが、世界的に見るとまだまだ少ないと感じます。
どこかで「自分が思っているようには、受け入れてくれないのではないか」と漠然とした不安を抱えているからでしょう。
はい。セクシャルマイノリティに限ったことではなくて。
「ちょっとあの人違うよね」と言われてしまうと、もう復活戦がないような状態なんですよね。
加点方式を取り入れると「他の人と違う」が評価される
それって、他人を評価するときに「普通から外れている」ことを減点するような風潮も関係している気がしていて。
私はまだ中間管理職よりも下の現場で働いている立場です。その立場から見ても、組織内での評価方法が「減点方式」に偏りがちだな、と。
弘中綾香(ひろなか・あやか)。テレビ朝日アナウンサー。入社8年目。「激レアさんを連れてきた。」の研究助手や、「ひろなかラジオ」(AbemaTV)のメインパーソナリティなどを務めるほか、「Hanako.tokyo」でエッセイを連載
自分が新人のときは、「なんでこんなにできないんだろう……」とふさぎ込んでいました。
でも経験を重ねるうちに、だんだん「私がやるより、できる人に任せたほうがいいな」という判断ができるようになったんです。
それはすごく大事な考え方ですね。チームで考えるようになったと。
組織で働いている場合、一人で完結する仕事はほとんどありません。
だったら、自分にできることに特化したほうが、チームとしてうまく機能するのではないかと気づいて。
加点方式ということですね。すごくいいです。
弘中さんは今8年目ですよね。なのでさらに5年後、弘中さんがより上の立場になった時にも大事な考え方だと思います。
僕もよく会議中に、他の人の言葉の端々に「減点方式」を感じることがあって。
それに対して「でも、こういういいところがあるよね」なんて、いちいち口出しをすることはありませんが、そのまま飲み込むのではなく、一旦心に留めておこうという努力をします。
たとえば「こんなマイナスな部分があります」と言われている人がいたら、「じゃあ逆に、この人は何ができるのか、今まで何をしてきたのか」と考えてみる。人間、いいところも悪いところもあるのが当然ですから。
これをもっと多くの人、特にチームを率いる人ができるようになると、みんな今より少し気が楽になる気がしますね。
転ぶことを怖がらないで。「無傷」にこだわらなくていい
同調圧力が強いのは、日本文化の気質なのでしょうか?
同調圧力があって人の目が気になってがんばりすぎてしまうのは、日本に限ったことではありません。
ただ、日本は公教育のなかで、同じ方向に向かっていく、取りこぼしの少ない教育を築き上げてきた。非常に均一な能力を重視する文化だと思います。
これにはいい面と悪い面があるのですが、5年後、10年後に必要な能力なのかと考えると、弘中さんのように会社を利用したほうが、個人にとっても、会社にとってもいいことじゃないかなと。
日本の社会は、変化のスピードが遅いんですよね。そのうち社会が変わるだろうと待っていても、なかなか変わらない。
なので、問題に気づいたら個人が動くべきで。「変えたい」という課題に直面したら、一人ひとりが、声を出す勇気を持つ必要がありますよね。
日本だと「みんなと同じ」が良しとされる文化が根強いので、なかなか勇気がいるのかもしれません。
日本では「和」を乱したくない、自分の一言で周りをざわつかせたくないという理由でなかなか動き出せていない。
でも、利己的なことから始まった動きが、結果周りの人のためになることは多いんですよ。
自分が行動する事で、どういった結果に結びつくのか、どんな風に自分に返ってくるのかを、クールに判断していけるといいですね。
弘中さんは、勇気を出して何かを始める時、人の目が気になったり、批判があったらと不安になったりしましたか?
「うわあああー」と、えぐられるような痛みは、一瞬、ありますよね。
でも、「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」。長い目で見たときのリターンを考えると、ちゃんと声を出して、職場のなかで自分がどういう人間であるかを知ってもらったほうがいいですよね。
正直、勇気がいるのは最初だけで。そのあとは、二度三度同じことを繰り返すと慣れていきますし、周囲にもだんだんとわかってもらえました。
「また、なんか言ってるよ〜」と思われるくらいのキャラになってしまえばいいのかなと。
僕はよく「物事を知っている人」として見られますが、全然知らなかったり、間違ったことを言う場合もあります。
間違った時には、もちろん反省しますが、「僕はこう思う」と、転ぶのを怖がらずに言ってみる。
すると、逆に多くの人が信頼してくれるなと感じることはありますね。なので、小さく転ぶことも大事なのかな、と。
無菌状態でスルッとしたものよりも、あえて毛羽立ちがあったり、ザラザラした、不完全燃焼なものの方が魅力に感じることがあるんですね。
それに、「無傷でいたい」気持ちはわかるけど、何かの拍子に大怪我を負ってしまう前に、小さく転んで心の免疫力をつけておくのはいいと思います。
小さく転ぶ、って、そのコントロールは難しいんですけどね。
企画:鮫島みな(サイボウズ) 執筆:園田もなか 撮影:もろんのん 編集:松尾奈々絵(ノオト)
サイボウズ式特集「そのがんばりは、何のため?」
一生懸命がんばることは、ほめられることであっても、責められることではありません。一方で、「報われない努力」があることも事実です。むしろ、「努力しないといけない」という使命感や世間の空気、社内の圧力によって、がんばりすぎている人も多いのではないでしょうか。カイシャや組織で頑張りすぎてしまうあなたへ、一度立ち止まって考えてみませんか。
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