仕事や勉強ができない「ポンコツ」な自分でも、ここにいていいと思える感覚――。心療内科医のDr.ゆうすけさんは、「自己肯定感」をそう説明します。
「どうすれば自己肯定感を持てるか」をテーマに、内科医のDr.ゆうすけさんとイラストエッセイストの犬山紙子さんが語り合う対談。
前編では、他者を肯定することで自己を肯定できるようになった経験談、「競争」以外の楽しみを見つける方法、心が疲れているときに役立つ低コストなリラクゼーションなどを話しました。
後編では、SNSなどで「評価」が可視化される現代での自己肯定感のあり方や、安心できる関係性を築くための自己開示の考え方など、さらに広がる議論をお届けします。
2020年7月14日ポンコツな自分も受け入れてしまおう。「勝つことが全て」では幸せになりにくいんです──犬山紙子×鈴木裕介(Dr.ゆうすけ)
新型コロナウイルス感染拡大を考慮し、取材はリモートで行いました。
評価が可視化されるSNSでも「聖域」は作れる
現代ではSNSによって、フォロワー数やいいね数が可視化され、自分に対する反応も見えやすくなりました。
SNSはまさに「評価」と切っても切れない関係性にあり、自己肯定感を損ないやすい環境だと思います。
たしかに、SNSでは必要以上に他者の反応を気にして、自分を卑下してしまうことがありますよね。
わたしもTwitterでは、フォローしていないアカウントからの通知をオフにしていますが、たまに好奇心でエゴサーチして、悪い評価を見たときは傷つきます(笑)。
ただ、SNS上で、ほぼ傷つかないで、むしろ癒される「聖域」のような場所も私にはあって。
犬山紙子(いぬやま・かみこ)さん。仙台のファッションカルチャー誌の編集者を経て、家庭の事情で退職し上京。東京で6年間のニート生活を送ることに。飲み歩くうちに出会った女友達の恋愛模様をイラストとエッセイで書き始めるとネット上で話題になり、マガジンハウスからブログ本を出版。現在はTV、ラジオ、雑誌、Webなどで活動中。著書に『アドバイスかとおもったら呪いだった』(ポプラ社)、『すべての夫婦には問題があり、すべての問題には解決策がある』(扶桑社新書)などがある。
自分の好きなものを誰かと共有したり、誰かの好きなものを見たりするだけのアカウントを作っただけなのですが。
わたしは「犬山紙子」という名前を使っていない、Twitterの裏垢をいくつか持っています。その裏垢は、ひたすら推しを愛でて褒め称えて、相互フォローをしている人たちと盛り上がる目的で使っています。
つまり、そこでは自分は一切「評価される対象」じゃなくなるので、あまり他人の目を気にせず、振る舞うことができるんです。
スマホを持つと、用がなくてもついついSNSを開くのがクセになっていますが、心が疲れているときは裏垢を使うようにしています。安全な場に逃げ込んでいる感覚ですね。
これはわたしにとっての夫や娘との関係性に親しく、リアルであれSNSであれ、自分がありのままでいられる場が作れました。
「コミュニケーションコストが低い人」との、1:1の関係性に立ち戻る
「SNSに何を求めるか」は人それぞれですが、大半は単純に“つながり”を求めていると思うんです。
どれだけ心が不安定でも、無目的にTwitterを開いて眺めてしまうような人は、それだけ深刻につながりを求めているのでしょう。
問題は、そのつながり方です。犬山さんの裏垢のような癒しのコミュニケーションができればいいですが、そうじゃない場合は余計に自分の心が疲弊してしまう原因になりかねない。
そこで僕が思うのは、心が疲れているときは1:1の関係性に戻るべきだ、ということです。
鈴木裕介(Dr.ゆうすけ)さん。内科医・心療内科医。「セーブポイント(安心の拠点)」をコンセプトとした秋葉原内科saveクリニック院長。研修医時代の近親者の自死をきっかけとし、ライフワークとしてメンタルヘルスに取り組み、産業医活動や講演、SNSでの情報発信を積極的に行っている。著書に『NOと言える人になる〜他人のルールに縛られず、自分のルールで生きる方法〜』(アスコム社)、『メンタル・クエスト〜心のHPが0になりそうな自分を楽にする本〜』(大和出版)などがある。
犬山さんがおっしゃっている「聖域」という言葉に近い意味で、僕はよく「安全基地」と言い表しています。
リアルな場であれ、SNSであれ、大勢の人の中で安心感を得ることは難しいものです。
なぜなら、1人が声を上げたら、それに対して同調する人もいれば、反論する人もいるから。常にどこかで否定的なコミュニケーションが発生するリスクがあるわけです。
確かに。大勢の中にいると、イヤでも否定的な意見が聞こえてしまうときがありますよね。
はい。人間は危機を敏感に察知するため、自分にとってネガティブな情報をより重く受け取る習性があります。99人に称賛されても1人の批判が気になってしまうんですね。
自然体で接していても「この人は受け入れてくれる」と思えるような関係から、人は安心感や癒しを得るし、そこを拠点に新たな挑戦に踏み出そうと思える。
そういう人間関係って基本的に、1:1でのやりとりを丁寧に積み重ねていくことで、得られるものです。
特に危機的な状況に必要なのは、多数からの承認よりも、1:1のリアルな「つながり感」だと思います。
本調子じゃないときでも話したい人ってあまり多くはないでしょう。
ただいったん、そういう「コミュニケーションコストの低い人」との関係性に集約して、ほかの人とのコミュニケーションをお休みしてみるんです。
わたしにとって、オタク垢で相互フォローしているアカウントや、夫や娘との関係性が「安全基地」なわけですね。
そうですね。特に繊細な人って、小さなサインからたくさんの情報を受けていろいろ考えてしまうから、大勢の中にいるだけで他者に対してのコミュニケーションコストが高くなりやすいんですよ。
そうじゃなくても、厳しい上司や苦手な知り合いが相手であったり、ずっと連絡をとらないでいたりすると、自然とコミュニケーションコストは上がっていく。
だから、自分が大切にしたい人とは連絡を取り合い、コミュニケーションコストを下げておく意識をする。
そうして、自分に活力を与えてくれる人と、そうでない人との関係性とのバランスをうまく取っていくと良いでしょう。
自己肯定感と自己開示は密接に関係している。「ビジネス自己開示」から始めてみよう
コミュニケーションコストのバランスという点で、人間関係を考えたことってなかったかも。ただ、コミュニケーションコストの低い、信頼できる相手を作ることにつまづくことも。
わたし自身、自分のことを心置きなく話せる相手ができたのって、37歳になって初めてだったんですよ。それまでは、友達であっても、自分の恥ずかしい部分やダサい姿は誰にも見せられなかったんです。
だからこそ、自分の弱いところをさらけ出すことにすごく勇気がいるな、って。
自己肯定感と自己開示は密接に関係しているんですよね。
誰かに自分の弱いところをさらけ出して受け入れてもらえたら、「ありのままの自分でいいんだ」という気持ちも高まります。
そのためには、ガチガチに固めている心のガードをすっと下げることが必要なんです。ただ、これをするのはリスクがありますよね。
受け入れてもらえることもあれば、距離を置かれてしまうこともある。それは運だったり、自分の人を見る目や伝え方の問題だったり、原因はさまざまです。
弱いところをさらけ出して、それで嫌なことを言われたり、見当違いのアドバイスをされたりしたら、と思うとなかなか勇気が出ないですよね。
そうですね。デリケートな部分を開示しているわけですから、一度や二度の失敗でも絶望的になってしまいます。
でも、極端な話ですが、99回失敗しても、1回の成功ですべてひっくり返るくらい得られるものがあると僕は思っています。
だから、勇気を持って自分をさらけ出したことを後悔しないでほしいし、諦めないでほしいなと。
自己開示をしたい人に対して、ゆうすけさんはどのようなアドバイスをするんですか?
どんな些細なことでもいいので、いままで他人に言っていないことを言うように勧めています。
たとえば、「実はアニメが大好きで……」など自分にとってハードルが低いことから言ってみる。
そうして相手の反応を伺いながら、これくらいは言っていいかなとさらに踏み込んだ話をしてみる。
本当の意味での自己開示はしていないけど、相手との関係性を築くための「ビジネス自己開示」ですね。
いきなり何でも話してしまうと、相手もびっくりしてしまうかもしれないですからね。
それに最初は自己開示のフリでも、何度も小さく繰り返していくことで、「うっかり」心のガードが大きく下がる瞬間があるんです。
「あっ、こんなこと話すつもりなかったのに」って。そういう「うっかり」が相手に受け入れられると、その人だけでなく、「他者全般」への信頼がぐっと上がる。
「世の中って、思ったより怖くないのかも」と感じられるようになると、すごく生きやすくなるんです。
自己開示に必要なのは、勇気と根気強さなのかもしれませんね。
そうですね。基本的には自分が誠実に心を開いていけば、相手も誠実に心を開いてくれるようになります。
これを「自己開示の返報性」といいます。お互いのペースで少しずつ言えることが増えていけば、関係性は確実に前進していくでしょうね。
また、ひとつ言っておきたいのは、決して自己開示は「しなくてはいけない」ものではありません。
相手のペースを考えずに「さらけ出し」を迫るのは追い剥ぎと同じです(笑)
無理に距離を詰めようとせず、基本的に相手のペースを尊重する姿勢が大切です。
「不幸である方が安心」を考え直し、それぞれのペースで自己肯定へのステップを踏む
いまのお話を聞いていて、夫のことを思い出しました。夫は周りからの褒め言葉を受け取りにくい人で。
わたしもそうだったのでよくわかるのですが、それでも夫にしつこく「あなたは素晴らしいですよ」と日々言い続けていて。これは相手のペースを無視した行為だったのかな、と。
決して自己開示を強要しているわけではないので、自分を責める必要はないと思いますよ。周りからの働きかけとして大事なのは、ふたつあります。
ひとつは伝え続けること。もうひとつは、相手に受け取ってもらうことに執着しないこと。
自分が作ったご飯を食べてもらえないからといって怒ってしまうのはいけない、というような話です。
悲しいことだけど、お腹いっぱいだったかのもしれないし(笑)。
実は、「幸福耐性が低い人」というのは少なくないんです。常に不幸な状態に片足を突っ込んでいる方が安心、という人ですね。
たしかに! この幸福耐性の低さは、先天的なものなのか、それとも後天的なものなのか……。
先天的なものもあるでしょうし、たとえば思春期などナイーブな時期に安心できる環境にいられなかった人には多く見られます。
不条理なことが多い環境であれば、何かに期待して失望するよりも、自分には不幸しかないというストーリーを生きた方がラクなんです。
辛いことがあったときに「やっぱりね」と思えたら、ひどく傷つかずに済むので。
だから、肯定的な言葉をかけても、「自分はそんな優れた人間じゃない」とはねのけてしまう。そして、この性質はこびりついていてなかなか取れないんです。
そう簡単に変わるものではないと周りがわかっていると、「まあしょうがない、気長に肯定し続けよう」と余裕を持って接することができそう。根深いものなんですね。
「自己否定グセ」は、得てして危機的な環境に適応するために学習するものです。でも、それは危機がない環境では、幸福を遠ざける方向に働いてしまう。
いまの環境でその考え方が本当に自分のためになっているのか、考え直してみてもいいかもしれません。
そして、こうした性質はやっぱり一人では変えにくく、対人関係の中で変化していくものです。安心できない関係の中で学んだ習性は、安心できる関係の中で書き換えられます。
犬山さんがパートナーを心から褒めて肯定されているのは、本当にいいコミュニケーションだと思います。ぜひ続けていただきたいですね。
ありがとうございます。わたし自身、自分自身のことを肯定できるようになってから、前よりずっと世界が好きになれたんですよね。
それに、娘のいいところをわたし自身が見つけて強く信じられるようになった。いずれ娘が思い悩んだときに全力で彼女の良さを伝えられるようになったことが嬉しいんです。
夫のいいところも山ほど知っているので、これからも自分たちのペースで伝え続けていけたらなと。
企画:鮫島みな(サイボウズ) 執筆:園田もなか 撮影・編集:野阪拓海(ノオト)
サイボウズ式特集「そのがんばりは、何のため?」
一生懸命がんばることは、ほめられることであっても、責められることではありません。一方で、「報われない努力」があることも事実です。むしろ、「努力しないといけない」という使命感や世間の空気、社内の圧力によって、がんばりすぎている人も多いのではないでしょうか。カイシャや組織で頑張りすぎてしまうあなたへ、一度立ち止まって考えてみませんか。
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