サイボウズ株式会社

ぼくがコロナ前の働き方には戻りたくないのは、「これが普通でしょ」という態度から距離を置きたいから

この記事のAI要約
Target この記事の主なターゲット
  • 働き方や生き方を見直したい人
  • リモートワークに関心があるビジネスマン
  • コロナ後の新しい働き方を模索している読者
  • 個と組織の関係性で悩んでいる人
Point この記事を読んで得られる知識

この記事を読むことで、読者はコロナ禍で在宅勤務を経験した筆者が感じた働き方の変化とそれに伴う気づきを知ることができる。筆者は在宅勤務を通じて家庭と職場の境界が曖昧になり、従来の常識にとらわれない新たな働き方を模索している。会社のルールや役割を極度に守ることよりも、自分の考えを大切にし、関係性から自由になることの重要性を説いている。さらに、この自由な働き方が新しいアイデアや創造力を生むきっかけとなることも示唆されている。

Text AI要約の元文章
働き方・生き方

そのがんばりは、何のため?

ぼくがコロナ前の働き方には戻りたくないのは、「これが普通でしょ」という態度から距離を置きたいから

サイボウズ式特集「そのがんばりは、何のため?」。元コピーライターで、現在は企業の事業開発や組織開発といった創造的活動の支援に取り組んでいるいぬじんさんに、「コロナで経験したいろんなものが溶け合う時間と、そこで見えてきた目指したい働き方」について執筆いただきました。

コロナで経験した、いろんなものが溶け合う時間

ぼくはコロナによる自粛期間中、ずっと在宅で、育児と家事と仕事を同時にやっていた。

まあ今思い出しても、本当に苦しくて辛い時間だった。

同時に、とても新鮮で、不思議な経験をしたと思う。

というのも、これまではそれぞれ別々の場にしか存在しなかった妻、子ども、同僚、得意先、ブログの友人、あるいはなんだかよくわからない知人…そういった人々がみんなつながり、同じ時間の中に同居している、という状態が続いていたからだ。

プライベートも、仕事も、趣味も、自分のはずかしい癖も、人にあまり見せたくない弱みも、なにもかもが隠しきれなくなってしまった。

オンラインで得意先のコンサルティングに取り組んでいる最中に、妻が気づかずに部屋にやってきて「なんでこんなに部屋ぐちゃぐちゃなん! ちゃんと整理しいや!」と大声で怒っているのをみんなに聞かれたり、上司に注意されてひたすら謝っている様子を子どもに見られたり。

もうプライドなんてあったもんじゃない。

だけど、なぜかぼくには、そんな辛い思いを何度もしたにもかかわらず、この何もかもがごった煮になって押し寄せてくる感じが、妙に心地よかった

妻や子どもたちに、普段自分がどんな風に仕事をしているのかを知ってもらえたのもよかったし、目の前で起きている暮らしの愚痴を同僚に聞いてもらうのも、妙に臨場感があって楽しかった。

自分の良い部分もダメな部分も隠すことができない、裸のままの自分でいることに変な快感をおぼえてしまったようだ。

そういえば、周りの多くの人たちがリモートワークに慣れてきて、お互いの状況を知らせあえるぐらいには余裕が出てきたころ、よく話題に上ったのが、家にずっといるのが辛い、用事がなくても早く会社に行きたい、ということだった。

とある同僚は、営業職なのでとにかくいろんな人と話さないといけなくて、自粛期間中は家の中でずっと誰かと電話をしていた。

それを妻に見とがめられ、「あんた、いつも仕事仕事ってエラそうにゆうてたけど、ずっとしゃべってるだけで何にもしてないやん! ベラベラしゃべって、遅くまで飲んで帰ってきて、ずいぶんええ身分やな!」と言われてしまったそうで、すっかり元気をなくしていた。

だけど、少なくともぼくに関していえば、彼と同じような肩身の狭い思いを何度もしたけれども、やっぱりよい経験をしたな、と感じる。

正直に言えば、これまでは、職場と家庭の両方に対して、それぞれに都合の良いことを伝えて、ごまかしていたように思う。

職場には家庭がバタバタしていましてと言い、家庭には仕事が忙しくてと言い、そのあいだの空白を、自分がぼんやりするためにこっそり確保していた。

だが、そうやって色んな人の目を欺いて作った時間というのは、不思議なことに、それがどれだけ十分にあったとしても「ああ、しっかり充電できたな」と思えるものにはならなかった。

むしろそのあいだじゅう、職場のことも家庭のことも頭のどこかで気になっていて、リラックスとはほど遠い、ひどく質の悪い時間だけが流れていった。

在宅勤務を開始して、ずっと職場と家庭につながりっぱなしになってはじめて、ぼくは会社の共有スケジュールに「休憩」という言葉を書きこむようになった。

家族にも「ちょっと疲れたから昼寝するね」とはっきり言うようになった。

誰からも、一度も文句を言われなかった。

「顔を使い分けること」がいつも大事とは限らない

誰でもそうだと思うけど、ぼくもいろんな顔を持っている。

夫、父親、会社員、先輩、後輩、発注先、得意先、ブログ書き……。

コロナがやってくる前、ぼくはこういったいくつもの顔を使い分けていた。

だけど、いろんな自分を使い分けているうちに、それぞれの意識が細切れになって、どれも中途半端な状態になってしまっていたように思う。

特に仕事では、「これはコンサルティングの仕事」「これは広告の仕事」「これは会社のためだけの仕事」「これはチームメンバーのテンションを上げるためにやる仕事」「これは若手を育てるためにやる仕事」…と自分自身の役割を細切れにしているうちに、ひとつひとつの仕事に十分に集中できず、いつも不完全燃焼でモヤモヤとしていた。

そういった細切れになってしまっていた意識を、コロナが全部くっつけなおしてくれたように思う。

コロナのおかげで、ずっと家の中にこもって、同じ空間の中にいろんな人々が同居せざるをえなくなって、妻には夫の顔、子どもには父親の顔、後輩には先輩の顔…というような使い分けができなくなってしまった。

そのせいで、ぼくはいろんな矛盾を抱えることになった

得意先の情報を整理しているときに、妻から自分の部屋の整理ができていないと注意され、子どもに言われたことをちゃんとやりなさいと叱った直後に上司から叱られ、もう使い分けなんてできやしない。

大量の矛盾を抱えながら、ひとつの人間としてなんとかやりくりをしなくちゃいけなくなった。

だけどやるしかない。

ぼくはなりふりかまわず、できることを必死にやるしかなかった。

それは、とても苦しくて、辛くて、そしてすごく気持ちのいい時間だった。

コピーライターを目指して必死にもがいていた若いころや、あるいはそれよりもずっと前の、いつも寝不足に悩まされながら勉強をしていた受験生のころの情熱が戻ってきたようだった。

何かにチャレンジするとき「使い分け」は邪魔になる

人間は、関係性を大切にする生き物だ。

自分と相手との関係性を重んじて、それぞれの関係性の中での自分の役割を上手に使い分けている。

その技術によって、チームを運営し、家族を団結させ、社会を成立させている。

だけど、その関係性が固定化してしまうと、それはつまらないもの、退屈なものになっていったり、場合によると苦痛になってしまったりする。

コロナは一時的に、そういった複雑な関係性をぶっとばしてしまったように思う

いろんな人との色んな関係性をいちいち気にしていたら、この状況を乗り越えることができない。

とにかく「いま、ここ」をなんとかしなくちゃいけない。

そうなったとき、ぼくの中で「ああ、もうええわ。これまでのことにこだわってたら、何も前に進まん! やるしかないんや!」と開き直る気持ちが生まれた。

上司や得意先であっても指示に近い強い要望を出さないといけない場面もあったし、仕事よりも家庭を優先しないといけない場面も何度もあったし、うまくいくかどうかわからない実験もどんどんやってみるしかない場面もたくさんあった。
どれも「ああもうええわ」と開き直って、やってみた。

やってみたら、たくさんの収穫があった。

特に、組織を飛び越えたメンバーで力を合わせ、コロナによって起こるであろう社会や生活の変化をまとめ、その視点を生かしたアイデア開発プログラムを短期間で完成できたのは、うれしかった。

今でもぼくが運営するワークショップでは、この新しいプログラムがベースになっている。

コロナに気づかされた。

何かにチャレンジするとき、関係性なんて気にしていたら、何も前に進まない

自粛期間が終わったことで、一瞬「正気」に戻りかけた

そんな感じで、ケガの功名というか、コロナのおかげで何か新しい境地が開けそうな気がしていたぼくなのだが、自粛期間が明け、みんなが落ち着きはじめたころ、みんなと同じように気持ちがゆるんできて、これまでのことを忘れそうになった

一番の原因は、子どもたちが登校できるようになって、自由に使える時間が大幅に増えたことだ。

そのころには、会社の人たちも得意先もみんな、通常モードに戻りつつあって、さあいよいよ今から失ったものを取り返さなければ、というムードになっていた。

ぼくも、自由になった時間のほとんどを仕事のために費やすことにしたので、当然ながら、コロナ前のように、また仕事のことばかり考えるようになってきた。

そうすると、恐ろしいことが起こった。

また例の「不完全燃焼」な気持ちが戻ってきたのだ。

2020年5月26日いつも不完全燃焼だった42歳。追いつめられて頑張りに優先順位をつけたら、本気で生きられた

理由は簡単だ。

みんなが「正気」を取り戻しはじめたからだ。

「正気」に戻った人々は、すっかりホコリをかぶっていた会社の常識、得意先の常識、仕事の常識といったものをうれしそうに引っ張り出してきて、キレイに拭き清め、うやうやしくオフィスに並べ直しはじめたのだ。

  • 組織ごとに役割はきちんと分けましょう。
  • おかしいと思ったことでも、よその組織の事情に口を出すのは迷惑なのでやめましょう。
  • 報告・連絡・相談はこまめにていねいに。
  • 同じ話を上司とそのまた上司とそのまた上司に、何度も根気よくしましょう。
  • 得意先には足しげく通って対面で話しましょう。
  • 何も用事がなくてもリアルで会うことが大事です、きっと何か良いことが起きます。
  • 若手は先輩に従いましょう。
  • 先輩や上司に嫌われたらおしまいです、いろんな人たちからかわいがられるように全力を尽くしましょう。
  • 年取った人間は遠慮なく、若手に先輩風を吹きかけてあげましょう。
  • なんとなく会社の言うことを守って、なんとなく群れていれば大丈夫。

    根拠なんてないけど、きっと大丈夫……。

    ぼくもそういった「正気」を取り戻しはじめていた。

    そして、これまでのように自分の役割を制限し、顔を使い分け、本気で力を出すことを惜しむようになってしまっていた。

    じゃあ、そのことにどうやって気づいたのかって?

    ……面目ない。

    実は、このコラムを書きはじめてようやく、そうだ、俺はあんなにスーパーハードモードな毎日を送っていたのに、いったい何をやってるんだ!と思い出したのが実情なのだ。

    「正気」の影響力から距離を置きたい

    それじゃ自粛期間中のスーパーハードモードじゃなくても、無我夢中で前に進む力を失わないためにはどうすればいいのだろう?

    それはたぶん、「ああもうええわ、これまでのことにこだわってたら、何も前に進まん! やるしかないんや!」という開き直りの精神をいかに持ち続けるか、にかかっているだろう。

    そして、その精神を持ち続けるためには「これが普通でしょ」「こういうことが当たり前でしょ」という言葉や態度からできるだけ距離を持つことが大事だと思いはじめている。

    そして、その言葉や態度を生み出している原因のひとつが、会社や得意先のリアルなオフィスにあるのじゃないだろうか。

    ぼくは、これからもリモート中心の仕事を続けたいと思っている。

    それは、リアルなオフィスという「ぼくの考えを一定の領域にしばり、役割やふるまいを制限しようとするもの」からできるだけ距離をもって仕事してみたいからだ。

    もちろん会社の仕事には、これまで以上に全力で取り組むつもりだし、たっぷり貢献したいと思う。

    だけど、そうしようと思ったら、やっぱり自発的なスーパーハードモードでグイグイやっていったほうがよさそうだし、その力は、会社にあまり行かないほうが発揮できそうな気がしている。

    まあ、ひょっとしたら、逆にずっと在宅勤務をしていたら、それはそれで在宅勤務という「正気」にとらわれてしまうかもしれない。

    「会社に頻繁に行ってはいけない」とか「コミュニケーションはオンラインでなければいけない」とか、謎の常識が勝手に作られてしまうかもしれない。

    それはそれで避けたい。

    とにかく、いろんな「正気」から上手に距離を置いて、自分で考えて、自分で行動する時間をもっと増やしたいと思っている

    43歳でも「新人」のままでい続け「何者」にもならない

    じゃあ、そうやって規範から距離を置いて働くことで、ぼくは何を目指すのか?

    ぼくはこれからもっと「自分の価値観で物事を考え、うじうじ悩み、判断する」という経験を増やしたい。

    43歳でこういうことを言うのはとても恥ずかしいのだが、今までずっと「コピーライター」とか「コンサルタント」とか「広告会社」とか「仕事の受注者」とか「父親」とか「PTA」とかいった、外部から与えられ規定された役割に安心してきた。

    そして年を取ればとるほど、いろんな役割が増え、なんとなくそれに頼っていた(そんなつもりはまったくなかったのに)。

    そういった外から与えられた役割に依存している以上、もっとおもしろいアイデア、もっとおもしろい働き方、もっとおもしろい生き方は、思いつけないように思う

    そのことに気づかせてくれたのは、コロナだった

    ぼくがもともとコピーライターの仕事を志したのは、サラリーマンとして出世がしたかったわけではなく、おもしろい仕事がしたい、混沌の中、得体の知れない世界の中から、何か意味のあるものを見つけてカタチにする、そういう生き方がしたい、ということだったように思う。

    いま、あのころのワクワクした気持ちが、戻ってきている。

    いやいや43歳のおっさんが何言ってんの、気持ち悪いよ…とも思うけれど…。

    いや、そう思うことすら「正気」にとらわれているのかもしれない。

    そうだ、気持ち悪くてもかまわない。

    何か新しいことをはじめるとき、その人は、たとえ何歳であっても「新人」なのだと思う。

    これからも、ずっと「新人」でい続けたい、と思う。

    若いころはずっと「何者」かになりたくて苦しんでいたけど、いまは「何者」にもならずにい続ける、ということをがんばりたい

    自分だけで自由になるには限界があるから、チームで考える

    自分の進むべき道を決めるのは、自分でなければならないと思う。

    しかし、自分で考えるのに限界があるなら、ほかの人と一緒に考えるというのは悪くないとも思う。

    異質な考え、異質な経験は、やったことのないことに取り組むとき、ものすごく役立つ。

    ただ、そのためのチームというのは「こういう業務のために作られた部署」「こういう仕事のために無理やり集められた人たち」というものではなく、それぞれの個人的な目的や利害や価値観がたまたま一致する人たち同士の、ゆるくて弱い、だけど時にものすごく強いつながりを指すのじゃないだろうか。

    今でも、リモートで働くようになってから、従来の組織やチームよりも、「特定の関心事に引き寄せられてなんとなく集まってきた人たち」や「共通の目的について自発的に取り組んでいる非正規のチーム」で活動をするほうが、おもしろい成果が出ることが多い。

    これも「正気」から離れる工夫のひとつかもしれない。

    40代から本気出したって、別にいいんじゃないですかね

    年を取ると、若者の活躍の場を奪うとか老害とかいわれて、萎縮しちゃったりもする。

    だけど、ぼくと年齢の近い人たちは、割と厳しい環境の中で仕事ばかりして、これまでずっと我慢してきて、それでいて報われない思いをしている人が多いのではないだろうか。

    ねえ、みなさん。

    いままでじっと我慢してきたんです。

    これからは、年甲斐もなく、空気も読まず、めちゃくちゃに本気出しちゃっても、別にいいんじゃないですかね。

    ほかの人たちの「正気」に振り回されるのではなく、自分の考えにこだわって、スーパーハードモードで、かっこわるく人生にしがみつきましょうよ

    さあ、われわれの狂気を見せてやろうではありませんか。
    (おしまい)

    執筆:いぬじん/イラスト:マツナガ エイコ/編集:藤村 能光

    サイボウズ式特集「そのがんばりは、何のため?」

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    執筆

    ライター

    いぬじん

    元コピーライターで、現在は事業開発に取り組んでいる。中年にさしかかり、いろいろと人生に迷っていた頃に、はてなブログ「犬だって言いたいことがあるのだ。」を書きはじめる。言いたいことをあれこれ書いていくことで、新しい発見や素敵な出会いがあり、自分の進むべき道が見えるようになってきた。今は立派に中年を楽しんでいる。妻と共働き、2人の子どもがいる。コーヒーをよく、こぼす。

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    撮影・イラスト

    イラストレーター

    松永 映子

    イラストレーター、Webデザイナー。サイボウズ式ブロガーズコラム/長くはたらく、地方で(一部)挿絵担当。登山大好き。記事やコンテンツに合うイラストを提案していくスタイルが得意。

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    編集

    編集部

    藤村 能光

    サイボウズ式2代目編集長。新生サイボウズ式をどうぞよろしくお願いします。

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