ネット販売のみ、曜日や時間も限定して販売される「Mr. CHEESECAKE」。幻のチーズケーキと呼ばれ、販売開始から数分で完売することも珍しくありません。
驚かされるのは、それほどまでの人気があるのに、レシピが書籍やネットで公開されていることです。爆売れ商品なのに公開していいの……? と感じる人も少なくないはず。
運営する田村浩二さんは、フランスや東京のミシュラン三つ星レストランで修業を重ねた一流シェフ。技術を追い求めてきた経験から「技術だけで勝負せず、知見や情報をオープンにすることが大切」だ、と話します。
情報をオープンにすることと、個人の価値のあり方について、サイボウズ式編集部の神保麻希が聞きました。
レシピを公開して売り上げが落ちるなら、それまでのこと
田村さんはずっと飲食業界でキャリアを積んでこられていますよね。
ネット限定で商品を販売したり、レシピを公開したりと、業界の常識にとらわれずに行動できるのはどうしてなのか不思議に思っていて、今回の取材をお願いしたんです。
飲食店のレシピはよく「秘伝の○○」と表現されます。それを公開するのは、勇気がいることなんじゃないかと。
僕の考えはちょっと違います。
値段や味だけではなく、実際に作ってもらうというプロセスがあることで、よりMr. CHEESECAKEの価値が伝わり、ファンも増えるのではないかと。
レシピを見ながらチーズケーキを作ってもらうことで、「こんなに変わった材料を使っているんだ」「こんなに値段が高い材料もあるんだ」「自分で作るのは結構大変なんだ」といったことを、自分ごととして感じてもらえるのではないかと思ったんです。
田村浩二(たむら・こうじ)さん。料理人として13年レストラン業界で働く。シェフとして働いた2年間で、World's 50 Best Restaurants の「Discovery series アジア部門」選出、「ゴーエミヨジャポン2018期待の若手シェフ賞」を受賞。香りをテーマに様々なプロダクトを開発。現在は Mr. CHEESECAKE の他、複数の事業を手掛ける事業家、経営者としても多方面に活躍
でも、商品の価値や、田村さん個人の価値が下がってしまう不安はなかったのでしょうか。
リアルな経営の部分では売り上げが落ちる可能性もゼロではなかったと思います。
僕は自分の技術に絶対的な自信を持っています。
同じレシピで同じ材料を使っても、僕が作るのと神保さんが作るのでは、チーズケーキの出来栄えは違うはずです。だから商品や、僕自身の価値が下がることは心配していませんでした。
「売り上げが落ちるかも」という不安は……正直にいうとかなりありましたね(笑)。
ただ、レシピを公開して「なんだ、自分で作ってもおいしいじゃん」と思われるようなら、はじめから価値あるサービスとして成り立っていないんじゃないか、とも思っていました。
もし「自分で作ってもこれだけおいしいなら、本物はどれだけおいしいんだろう!?」と思ってもらえるまでのレシピにできたら、すごい価値になるよな、と。
レシピを公開して売り上げが落ちるなら、それまでのこと。そう腹をくくりました。
結果的に、売り上げはレシピ公開前後を通じてずっと伸び続けています。
お客さんから見えない「バックエンドの構築」にこそ、料理人の価値がある
僕が経験してきた飲食業の世界は、「どうすればおいしい料理を作れるか」の話題ばかりでした。
たしかに、おいしさはわかりやすい指標だし、お客さんの心をつかむためには欠かせません。
でも飲食店はおいしさだけで成り立っているわけではないんです。
レシピを考え、おいしい料理を作るのは、いわば飲食業における「フロントエンド」の仕事です。
それに対して、お客さんからは見えないところで生産拡大していくためのオペレーションを回したり、食材を安定的に調達したりする「バックエンド」の仕事があるんです。このバックエンドの構築に長けている料理人は少ないと感じています。
おいしい料理を作ることだけを考えていても、飲食業の世界では成功しづらいということでしょうか?
そうですね。おいしい料理って、味覚がいい人なら誰でも作れるようになるんです。
僕は、「ランチのピークタイムでも100人分を作れる」「どんなにバタバタしていても最高の味を出せる」といった、おいしい料理を提供するための土台の部分を作れることこそが料理人の価値だと思っています。
時間をかけて世界一おいしい料理を作ろうと思えば、実際に作れるかもしれません。でもそのために1年かかってしまうとしたら、食べたいと思ってくれる人はいなくなると思うんですよね。
だから、商品を提供する裏側の部分、バックエンドの構築が大切なんです。
そうしなければ、自分が作りたいと思っても作り続けられず、売れれば売れるほど、作るのが嫌になってしまうかもしれません。
オープンソースの考え方を知り、身を置く世界が特殊だと気づいた
そんな課題意識を持っていたこともあり、レストランでシェフとして働いていたころに、個人的な挑戦として「Mr. CHEESECAKE」を立ち上げたんです。
2018年4月にインスタグラムで告知と販売をスタートし、5月には並行して発信していたTwitterがバズって、フォロワーが1万人ほど増えました。
夏ごろにレシピ本の出版の話をいただいて、その時チーズケーキのレシピを公開しようと決めました。
チーズケーキのレシピ本が4/24に発売決定!予約販売も開始です!
僕が石橋かおりさんの本でチーズケーキを学んだ様に、誰かの為になります様に
1年間でこんなにも人生ってかわるものか!!!(笑)
Mr.CHEESECAKE田村浩二 人生最高のチーズケーキ ワニブックス https://t.co/pb37EQMJYO… pic.twitter.com/FjY3q2aqrQ
— 田 村 浩 二 (Koji Tamura) (@Tam30929) April 5, 2019
これから売り出していくという時期に、なぜ公開を決めたのですか?
きっかけは、IT業界のスタートアップ経営者の方々との会話でした。
Twitterのフォロワーが増えるにつれ、僕が働く店にスタートアップ界隈のいろいろな方が足を運んでくれるようになっていたんです。
とくに衝撃を受けたのは「エンジニアはオープンソースでどんどん情報公開して前に進む」という話です。飲食業界は真逆ですからね。
とはいえ、飲食業界とIT業界では事情がまるで違うのでは……?
それが、経営視点で考えると参考にすべき点もたくさんあるんです。
僕はもともと数字が好きで、若いころから、勤務先の店の回転率や利益を勝手に計算している人間でした。
で、いざ自分がシェフになって店の数字を詳しく見るようになると、「これは厳しいビジネスだな」と思い知りました。
飲食業界には「原価率は30〜35%くらいかけないといい店にならない」という「常識」があります。
でもITの世界では、原価率ほぼ0%の会社もあります。「インターネットはすごい!」と思うと同時に、自分が関わってきた飲食の世界がいかに特殊であるかということにも気付きました。
料理の世界では、料理の話しかしないので、ちゃんとビジネスとしての仕組みを考えなければ、どんなに頑張っても、同世代の経営者とは同じ目線になれないと感じましたね。
「自分にしかできない仕事」を減らし、みえないところの価値を高める
そこから、具体的にどのような仕組みを作っていったのか、お聞きしたいです!
Mr. CHEESECAKEでは、売れたときに作り手が苦労しない仕組みを最初から考えていました。
売れれば売れるほど製造人件費が膨らむビジネスでは、うまくいきません。大きな機械を導入しようにも、最初から数億円規模で投資できるわけではない。
結果、僕が選んだのは「自分にしかできない仕事」を減らすことでした。だからスタッフにはレシピや会社の情報を共有し、ていねいに技術を教えてきました。
Mr. CHEESECAKEが手掛ける人気商品「人生最高のチーズケーキ」。オフィシャルサイトでは、家庭用にアレンジされたレシピや、季節に合わせたひと手間アレンジも公開している
積み上げてきたものをほかの人に教えるのに抵抗はありませんでしたか?
「技術面で追いつかれてしまったらどうしよう」とか……。
ありませんでしたね。
「レシピを公開しても自分の価値は下がらないはず」という自信と同じでした。
多くの人はわかりやすい部分、料理でいうなら「おいしさ」や「技術」にこだわりがちですが、実際は「技術や知識を持っている」ことではなく、「持っている技術や知識をどう組み合わせ、活用するか」が重要なんです。
能力や技術が優れているというだけで、僕たちは誰かに仕事を依頼したり、評価したりするでしょうか?
同じ能力・技術の人が2人いたとして、どちらかを選ぶとすれば、そのポイントは「人柄」や「依頼のしやすさ」といった部分になるのでは。
ともすれば技術至上主義みたいな話になりがちだけど、人はそれだけじゃないんです。人の本質は本来、比較されにくい、みえにくいところにあると思います。
既存の飲食の世界では、自分にしかできないことに価値を置いている人が大半です。
僕はそうした人たちのもとで修業していたのでわかるんですが、一流シェフと呼ばれる人の多くは、お化けのような体力を持っているんですよね。技術至上主義で、必要なことはとにかく自分でカバーして生き残ってきている。
生存者バイアスがかかった「成功談」を聞いていると、知見を共有することや技術を人に教えることの必要性を感じにくいのかもしれません。
人に教えるのが怖いのは「いまの自分が絶対」と思い込んでいるから
お話を伺って、自分の技術や知識を自分だけのものにするのではなく、積極的にオープンにすることが自分にも組織にもプラスになるのだと感じました。
とはいえ実際の職場では、「あまり知見や情報共有できない自分」に悩んでいたり、「なかなか情報共有してくれない上司や同僚」に悩んでいたりする人もいると思うんです。
個人的には、年齢が上がれば上がるほど、「今の技術や能力で戦わなきゃ」と考える人が増えていくように感じています。
本当はそこで終わりではなく、まだまだ学び続ける必要があるはず。
今の技術や能力だけで戦うのではなく、若い人に教えながら、自分自身も学んでいくことが大切だと思います。
今の技術や能力が絶対だと思うと、それらを若い人に渡すのは怖いと感じるのかもしれません。
技術よりも経験のほうが、アドバンテージは大きいと思いますけどね。
極端な例ですが、まったく同じ技術でお茶を淹れられる20歳と60歳がいるとします。どちらに淹れてもらうお茶のほうがおいしそうに感じられるでしょうか?
私の場合は、60歳の方に淹れてもらったほうがうれしいかもしれません。
歳を重ねた人が淹れてくれるお茶のほうが、厚みがあるように感じますよね(笑)。
これは感覚的で、可視化しにくいものではありますが、経験によるアドバンテージは大きいと思うんです。経験があれば負けにくい。
一方で、若さがアドバンテージになる領域もあります。たとえば、新しい技術のキャッチアップは若い人のほうが圧倒的に早いですよね。そんな場面では、歳を重ねた人はあえて技術で勝負しようとしなくてもいいんじゃないでしょうか。
自分には経験によるアドバンテージがある。そう認識できれば、若い人に技術や知識を教えることが怖くなくなっていくと思いますよ。
プロダクトの裏側や思いを発信することで、個人の価値も伝わる
ここまでの活動を振り返って、情報をオープンに発信することは、Mr. CHEESECAKEにとってどんな意義がありましたか?
昔はいいものを作れば人が勝手に来てくれたのかもしれませんが、今はものが多すぎます。
だから何かを作ることと同じだけ、伝える努力が必要でした。
Mr. CHEESECAKEに注目してもらえたのは、僕が何を考え、どんなことを実現したいと思っているかを常に発信してきたからだと思っています。レシピの公開も、その手段のひとつです。
Mr. CHEESECAKEがなぜチーズケーキを作っているのか。背景には、「純粋においしいものを届けたい」「飲食業界で働く人の環境を変えたい」「飲食業界の構造を変えたい」といったさまざまな文脈があります。
それら1つひとつについて発信を続けていたら、それぞれの文脈で、たくさん取材していただけるようになりました。
田村さん自身が発信しなければ、一般の人にはわからなかったこと、想像もできなかったことがたくさんありますよね。
そう思います。
おいしさだけではなく、さまざまな切り口で知ってもらえたことが、初期の段階で認知度を高められた要因でした。
そして今は個人が軽快にスタートしやすい状況になっています。
どこまでの規模の店や会社にしたいかにもよりますが、個人が小さく始めて、生き残りやすい時代だと思うんです。Mr. CHEESECAKEもそのようにして始まりました。
自分が何を考え、どんなことを実現したいと思っているのか発信する。それが、個人の新しい価値を伝えるための出発点になるのだと思います。
企画編集:神保麻希/執筆:多田 慎介
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