サイボウズ式では「そのがんばりは、何のため?」特集を実施。今回は『みんなの「わがまま」入門』著者で、社会運動研究者の富永京子さんにコラム寄稿いただきました。
「ちょっとイヤだなと思うけど、こんなこと言ったら"わがまま"だろうか?」「こっちは我慢しているのに、あの人は自分の要求ばかり言っていて自己中だ!」
職場や家庭といった身の回りのことでも、もっと広い社会や政治のことでも、こんなふうに思ったことはありませんか?
一方で、不平不満を訴えるのは、私たちの社会において、苦しみや痛みを一方的に誰かに押し付けないようにするために必要なこと。
我慢するのをやめて「わがまま」と向き合ったときに、家庭や会社といった身の回りの社会が変わるきっかけが見つかることも充分にあります。
つい悪いものとして捉えてしまう「わがまま」との向き合い方について、一度立ち止まって考えてみませんか?
見えにくくなる「属性」と「悩み」のつながり
そもそも、なぜ私たちは自分の要求を「わがまま」と感じてしまうのでしょうか?
理由はいろいろありますが、ここでは2つ紹介します。1つは
「個人化・流動化」です。 個人化・流動化とは、グローバル化や情報化が進み、個々の価値観が出自や経歴によって規定されづらくなる現象のこと。
少し想像してみてほしいのですが、たとえば、あなたと同じオフィスには同じ性別の人や、あなたと同じくらいの学歴の人がいなくはないでしょう。
ただ、その人たちを自分と「同じ」とみなすことは、結構難しいのではないでしょうか。
その一方で、私たちは親やメディアを通じて、一億総中流と呼ばれた時代から受け継がれてきた「ふつう」とはこうだという価値観、いわば、「ふつう」幻想にとらわれがちです。
・夫婦のあり方も人の働き方も自由になっているのに、夫婦同姓がなんとなく「ふつう」。
実際には家庭のあり方も人の働き方も自由になっているのに、なんとなく「夫婦なんだから同姓が当たり前だろう」と考えてしまうのは、人々がまだまだ「男が仕事、女は家事」という、かつての「ふつう」の家庭のモデルから脱せていないからではないでしょうか。
・学生の間の差異が高まっているのに、就職活動で「ふつう」を求める。特に就職活動は「ふつう」幻想が強まりがちな機会。
学生間の経済的な状況も、いまに至るまでの道のりも多様になっているのに、インターンやエントリーシート、面接といった形で従来型の就職活動を押し付けてしまうのは、会社側がかつての「ふつう」学生のモデルを強く持っているからではないでしょうか。
こんなふうに
多様な価値観や選択肢があることを理解しつつも、「ふつうはこうするよね」という思い込みがある。
それゆえに、「声を上げても、自分だけの『わがまま』と思われちゃうんじゃないか……」という不安が強くなるのではないでしょうか。
「わがまま」を言うことは身の回りの社会が変わるきっかけになるのかもしれない
でも、自分が「わがまま」だと感じてしまっているその不満は、個人化・流動化が進む中であっても、他の人も同様に抱いている可能性だってあります。
実際には、立場や属性に応じた悩みは、ある程度共通しているはず。
・高卒で入社した。たとえ能力的には同じでも、学歴の高い人になんとなく尻込みしてしまう......
・管理職ではまだまだ少ない女性たち。男性に比べて、会議で発言させてもらえていないような気がする......
・海外から来て仕事をしている。言葉の問題はないけれど、どこに行っても「お客様」扱いされてしまう......
こんなふうに、ある
「属性」と「悩み」はいまでもセットになっているはずなんです。
だからこそ、チームや職場といった身の回りの社会に意見や要求を伝えることは、同じ社会で生きる人々の価値観や視野を広げるきっかけになります。
うまくいけば、ルールや規則を変えることでみんながより働きやすくなるかもしれません。
特に自分の意見が言いづらい場合って、自分に「弱み」や「負荷」があるときじゃないでしょうか。では、そんなときどうすれば「わがまま」を言えるようになるのか、そのヒントを具体的な事例とともに考えてみたいと思います。
「弱み」や「負荷」は自分の責任ではない
①持病や発達障害の傾向があって、仕事の進め方に困っている。でも、周囲にどう思われるか不安で伝えられない。自分が仕事に集中しやすくなるよう協力してもらうには、どう伝えればいいだろう……。
当然ながら、病気や障害って自分の責任ではまったくないわけですが、言い出しにくいもののひとつです。
私は教員をしていますが、学生さんの相談でもこうした類のものは少なくありません。いかに病気が自分の責任ではないといっても、自分が悪いと思いがちな「自己責任」という感覚が強くあるのだと思わせられます。
私自身、仕事に差し支えのあるタイプの持病や障害は持っていないので、あなたの大変さをきちんとわかっていないかもしれません。ただ、私の頭に思い浮かんだのは、ヨーロッパのある研究所で言われたことでした。
一応、研究者という仕事をしていて、海外のプロジェクトに入ることもあります。英語でやりとりすることがほとんどなのですが、私には留学経験もないし、英語はあまり得意ではないのです。
だから、海外に滞在するときはいつも「すみません」と前置きして喋っていました。
すると、ある研究所の先生が、
「『すみません』なんて言うものじゃないんだよ。ここでみんなが英語を喋っているのはたまたまのことで、あなたは日本から来て、むしろこちらに合わせてくれている立場なんだから、何かを話すときは『合わせてあげている』というくらいの気持ちでいいんだよ」と言ってくれたのです。
とはいえ、さすがによほど強い人でないと、少数派でありながら周囲に「合わせてあげている」とは思えないでしょう。
ただ、この出来事を経て私が感じたのは、自分の責任でこうなったのではないことを誰しも分かってくれているし、それは口に出していいんだ、ということです。
ただ、あなたが困っているのは、それをどう切り出せばいいか、誰に切り出せばいいか……ということでもあるのですよね。そのヒントは、次のお悩みを見ながらいっしょに考えてみましょう。
「個人化」が加速する社会で、わがままを共有する重要性
②リモートワーク中、気分転換で散歩したり、子どもの様子を見たりしたい。でも、みんな仕事しているなかで言い出しづらい……。
さっき「個人化」という言葉を使いましたが、「家の中」と「職場」がつながるということは、人の抱えている背景の「ばらばら」さが増える、つまり、ますます「わがまま」が言いづらくなる、ということですよね。
それは私自身、リモートワークの機会が増えてますます感じているところです。
たとえばZoomで会議をしていても、ホテルでリモートワーク中なのかな、という人もいますし、多分小さいお子さんがいるんだな、という人もいます。
誰かとルームシェアをしているのか、同じ部屋から他の会議の声が聞こえる……ということもあったりして、本当に人の暮らし方ってさまざまなんだなと思わされます。
逆に言えば、職場に毎日来て仕事をしている状況では見えにくい違い、見えないようにしていた異なりが本当はいろいろあったはずなのですよね。
それは学生さんも同じで、前期は私の講義もオンライン授業だったのですが、自分ひとりの部屋で顔を出して講義を受けて、マイクをオンにして質問することのできる人もいれば、通信環境が悪かったり、スマートフォンで受講していたりして、チャットでしか参加できないという人もいる。
もちろん、これは仕事ではなく、学生さんが授業料を払って受ける講義です。受講している人が不公平感なく、こうした環境でも充分に学べるように、可能な限り受講生に聞き取りをして講義の準備をします。
しかし、それでも学ぶ環境の多様性には改めて本当に驚いていますし、「大学に来てもらう」ことでその多様性を見えなくしていたんだなと反省もしています。
学生さんにとって、必ずしも自分の環境に基づく意見は言いやすいものではないようです。教員から「何に困ってる?」「どういう講義なら参加しやすい?」と聞いても、答えが返ってくる人とそうでない人はいます。
ある受講生の方が学生同士のLINEグループを作って、そこで得た意見をそれとなく私に伝えてくれました。
教員には権力がありますが、学生同士の関係はそうした権力性も少ないため安心して言いやすいのでしょう。
あなたの場合は、サービスを提供する人への要求ではなくて、ともに働く人への要求ということになると思いますが、
「身近から『わがまま』を言っていく」という戦略は使いやすいかもしれません。
まずはあなたと近しい人として、仲のいい人や状況をある程度相互に理解している人に、「ちょっとだけ散歩してもいいかな?」とか、「子どもの様子を見に行ってもいいと思う?」と言ってみて、よい感触を得られそうなら「わがまま」を言う範囲を少しずつ広げていくのはいかがでしょうか。
また、子どもがいない人よりはいる人に伝えるといった形で、
同じ属性を共有している人に相談してみるのもいいかもしれません。
冒頭でもお伝えしたとおり、属性と悩みはまだまだセットになっていることも多いですから、「わかってくれる」率も高まるでしょう。
もちろん、みんなの前でいきなり「私はいまこういうことで困っていて……」というのは難しいでしょうから、周囲の信頼できそうな人や話を聞いてくれそうな人に自分の状態や要望をちょっとずつ伝えてみるのがいいと思います。
持病にせよ、ご自宅の環境にせよ、他にも近い境遇の人や言いづらい悩みを抱えている人はきっといるはず。
あなたのじわじわとした告白は、その人が「打ち明けてもいいんだ」と思えるチャンスにもなるかもしれません。
「わがまま」が生まれる背景を考えてみる
「意見を言う」というと、かなりハードルが高いものに感じてしまう人はきっと多いでしょう。
普段から働いている職場の人々に対してならなおさら、関係も悪くしたくないし、空気を読めない「わがまま」なやつ、と思われるのも嫌でしょう。
ですが、
私たちの意見は個人のエゴやわがままにとどまるものではなく、他の人の働き方やチームのあり方の改善につながり、社会を変えるポテンシャルを持っています。
だからこそ、どんなに小さいものでもいい、あなたの人間関係に支障をきたさない範囲で、でもいつもよりちょっとだけ声を出して、少しずつじわじわと「わがまま」を言ってみるのはいかがでしょうか。
最後に1点、「わがまま」を言うためには、「わがまま」を受け入れることもとても大切です。社会が個人化しているということは、他人の事情が見えづらくなっていることでもあります。
だからこそ、
いろんな人の『わがまま』の背景には、自分にはわからないけれどたしかに苦しみや痛みが存在するのかもしれない、と一瞬立ち止まって考えることが重要です。
誰かが自分の権利を主張したときに、その理由がどこにあるのか、解決策としてどういったものがあるのかをその都度議論していく。
そうした過程を経ながら他人の「わがまま」とも向き合うことで、それがあなたのいる家庭であれ職場であれ、あるいは地域といった場であれ、自分も他人もより生きやすい社会を形成できるのではないかと思います。
企画:鮫島みな(サイボウズ)/執筆:富永京子/編集:野阪拓海(ノオト)/イラスト:かざまりさ
サイボウズ式特集「そのがんばりは、何のため?」
一生懸命がんばることは、ほめられることであっても、責められることではありません。一方で、「報われない努力」があることも事実です。むしろ、「努力しないといけない」という使命感や世間の空気、社内の圧力によって、がんばりすぎている人も多いのではないでしょうか。カイシャや組織で頑張りすぎてしまうあなたへ、一度立ち止まって考えてみませんか。
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