サイボウズ株式会社

「会社が悪い」と批判するだけで腐っていたら人生もったいない。まず、動いてみること──地域再生事業家・木下斉

この記事のAI要約
Target この記事の主なターゲット
  • 地域再生に興味を持つ人
  • 自主的な行動を考えている若者
  • 企業や行政の働き方に不満を持つ会社員
  • 地域活性化に関わるNPO関係者
  • 地方創生に関心がある政策担当者
Point この記事を読んで得られる知識

木下斉さんの記事では、社会や組織に対する問題意識を持ちながらも行動を起こさないことはもったいないと述べています。高校生のころから地域活性化に取り組み、失敗しても主体的に行動を続けてきた木下さんは、行動しない人たちに対する苛立ちや率直な見解を示しています。彼は、失敗を恐れずに行動することの重要性を説き、実際に手を動かすことから多くを学べると主張しています。特に、失敗は経験であり、その失敗を糧に地域や事業をどう変えていけるかを考えるべきだとしています。また木下さんは、「批判ばかりして行動しない人たちは、実態のないものに責任を押し付けて行動しない」と指摘し、自分がコントロールできる範囲で動くことが大切だと述べています。さらに「失敗と書いて経験と読む」といった考え方を共有し、挑戦することの楽しさや、それが最終的に成功に繋がる可能性について強調しています。主体的に動くことの重要性や、自己責任のもとに行動することが人生の幅を広げることに繋がると考えています。

Text AI要約の元文章
働き方・生き方

「会社が悪い」と批判するだけで腐っていたら人生もったいない。まず、動いてみること──地域再生事業家・木下斉

社会や地域、会社などに対して、課題意識を持っている人はたくさんいます。一方で、実際に課題を解決するために行動をしている人はどれほどいるのでしょうか。

高校1年生の頃から、補助金に頼らない地方事業開発を行うなど、主体的に行動を続けてきた地域再生事業家の木下斉(きのした・ひとし)さん。行政や企業の人々に対する課題意識などを日々発信している木下さんは、「批判はするけど行動しない人」に対してどう考えているのでしょうか。

※新型コロナウイルス感染拡大対策として、リモート取材を行いました

いかに失敗しないか、いかに傷つかないか、という考え方が浅ましい

ネットや、周囲の人の行動を観察していると、「批判はするけど、行動しない人」が多いなと感じることがあります。たとえば、社会や行政に対してとか。
あるあるですね。
こうした問題は多くの企業でも起こっていると思います。まわりの変化を待つのではなく、主体的に動けば解決できるかもしれないのに、自分ではなかなか動かない人も多い。これって、もったいないな、と。
僕もそう感じています。
木下さんは高校時代から地域の街づくりにかかわるなど、かなり主体的に動かれてきましたよね。

Twitternoteなどのメディアで歯に衣着せぬ発言を拝見していると、「口ばかりで動かない人たち」に対しても、思うことがたくさんあるのだろうな、と。
ありますね。やっぱり1つの問題意識としてあるのは、プロジェクトで成果が出たときに集まってくる人たちが、20年前からあまり変わらないことです。自分ではリスクをとらずに「いかに失敗しないか」ばかりを聞いてくるんです。

木下斉(きのした・ひとし)。地域再生事業家。1982年、東京都生まれ。高校在学中に早稲田商店会の活動に参画したのを発端に全国商店街共同出資会社・商店街ネットワーク取締役社長に就任。その後現在に至るまで事業開発だけでなく地方政策に関する提言も活発に続けている。著書に『地元がヤバい…と思ったら読む 凡人のための地域再生入門』(ダイヤモンド社)、『地方創生大全』(東洋経済新報社)などがある

というと?
たとえば、地域の取り組みで何らかの成功事例があったとき、彼らは昔から変わらず、「どうしたら成功するか」とか「お金がないからどういう支援を受けられるのか」とかばかり聞いてくるんです。

これ、そもそも設問が間違っています。どうやったら成功するかがわかって成功している人なんて、誰もいないんです。

そもそも、僕らがやってきた時間軸とはズレているし、条件も違う。過去の経験をもとにして「どうしたら確実に成功するか」なんて回答を求めている段階でもう終わりなんですよね。
確かに、前提条件は違いますよね。
さらに言えば、「成功だけでなく失敗したときの話をしてくれ」と言われることもあります。自分で挑戦もせずに、挑戦する他人に失敗も成功もさせて、その美味しいところだけを聞き出して都合よくやろうなんて考え方そのものが腐っています。

そもそも、あなたはわたしじゃないでしょ、と。

だけど、僕たちが成功したり、失敗したりした話を根掘り葉掘り聞けば、それがモデルケースとなって自分が成功できると思っている人が多い。

本来はその地域に必要なものが何かを自分たちで考え、手足を動かさなければならないんです。やってみてわかることは膨大にあるので、それから改善するほかないんです。

何のリスクも取ろうとせず、いかに失敗しないか、いかに傷つかないか、いかに一銭も損をしないか、と考えるのは正直、もっとも浅ましいなと思います。

近視眼的なことはどうでもいい。先々を考え自ら動くことでやるべきことが見えてくる

いかに失敗しないかばかりを考えたり、表面的なノウハウをすぐに聞いたりする人がいる一方で、木下さんはなぜそうならなかったんでしょうか?

竹内義晴(たけうち・よしはる)。1971年、新潟県妙高市生まれ・在住。ビジネスマーケティング本部コーポレートブランディング部 兼 チームワーク総研 所属。新潟でNPO法人しごとのみらいを経営しながら、サイボウズで複業している。地方を拠点に複業を始めたことがきっかけで、最近は「地方の企業と都市部の人材を複業でつなぐ」活動をしている

うーん、高校1年のときに商店会の活動に参加したときに、まわりにそういう大人がいなかったからかもしれませんね。

集まってくる大人たちは自分たちで会社をやっていたり、大企業の経営者であったり、大学の先生だったりと多様でしたが、ひとまず自分たちで考えて「やってみよう」って始める人ばかりでしたから。

そうすると地域も変わり、何よりやっている人たちも楽しい。「失敗しないように」とか、「リスクを誰が負うか」なんて押し付け合いはしない。そういう姿をみて、「あーこういうやり方なんだ」と思ったからかもしれませんね。
みなさん、「やりたいことをやるだけ」みたいな。
そういう意味では、「やりたいことをどうやるか」という話なんですね。そうした大人と早いうちに出会い、ともに仕事ができるかどうか、が人生を分けるように思います。

目の前のことばかり話していたり、リスクだ失敗だを気にしたりするのは、そういう腐った上の世代と仕事をしつづけて「仕事ってそういうもんだ」と思い込んでいるからのように思いますね。

たとえば、「来週のイベント、集客できるかな」みたいなことに苦心していて、そもそも「そのイベントは必要なのか」という前提には目が向かない。目の前のことの話ばかりしていると、どうでもいいことで悩んでしまったり、ぶつかったりしてしまう。
手段が目的化してしまう、といった話ですよね。
早稲田商店会の会長は「失敗と書いて経験と読む」って常に言っていましたから。「失敗せずに成功なんて」ではない。「経験っていうのは失敗なんだよ」と。

その上で、社会がどうなるのか、地域を今後どう変えていくべきなのか、ということを考えて、自由闊達にあれこれと組織や立場を超えて行動する。それが楽しいし、やはり小さな失敗あっても、最終的には成功するのを高校時代に経験させてもらったのは本当に大きい。

地域にしろ、企業にしろ、本来は10年、20年のスパンで物事をとらえて、どう変わっていくかを話し合うべきだと思うんです。だけど、大抵はなんか目の前の問題にぎゃーぎゃーと騒いで、失敗したらどうする、責任はとれるのか、とやってしまう。それじゃあ何もできないですよね。
目先のことにとらわれて、視野を狭くしてはいけない、と。
そうですね。「これは何のためにやっているのか」と前提を疑うところからはじめ、おかしな現状に仮説を立てて、実証実験のように解決策をいくつも考えたりするのが、わたしのスタンスです。

まぁ、いい加減って言えばいい加減ですが、やはりやってみないと分からない。だから「こういうことをやったら、どうなるのかな」と思ったら、仲間を集めてまずはやってみる。誰かに提案するだけでは駄目なんですね、自分たちでやらないと。

やってみて気づくことってたくさんあるし、やらないと本当の意味でやるべきことってわからない。やってみるとものすごい情報が集まるんですよね。

実践というアウトプットは、次の取り組みへの仕入れでもある。情報が人を介して集まってくるのが、実践の面白いところだと思います。

みんなはいらない。大切なのは自分で考えて、自分から動くこと

ここで、木下さんに伺ってみたいことがあります。行動をしない人たちの共通点に、「国が」や「政府が」「行政が」などといった、大きくて実態のない主語を使うことが多い気がします。なぜ人は実態のないものに期待してしまうのでしょうか?
1つは、自分で解決しようとしないからじゃないでしょうか。解決できていないことを自分ひとりで抱え込むとフラストレーションがたまりますよね。それを解消する手段として、大きくて実態のないものの責任にするわけですね。

すると、自分じゃなくて「国が悪いから〜」という会話が成立してしまう。そこで安心しているのではないでしょうか。

わたしを含めてほとんどの人間は国をどうこうできる立場にないわけだから、国がどうこう言っても仕方ないわけです。床屋談義の世界です。

まぁ、政策的な問題なんかは、政府の課長級以上の政策担当者から聞かれたりすれば、わたしも問題点は指摘しますけど、別に国が悪いから何もできないなんてことはないわけです。政府は良くも悪くもそこまできめ細やかではないです(笑)
仮想敵を作って、自分が何か行動した気になっている、ということですね。
まぁ、基本的に周りを見ていても、主体的に行動する人たちは、何かイレギュラーなことがあっても誰かのせいにせず、自分ができることをまずしていますよね。自分でコントロール可能なことでしか気を揉まないです。

もちろん、すべてを自己責任でやれと言っているわけではありません。ただ、自分でコントロールできないところで何か言ったところで、何にもならないわけです。

だから、気にしても仕方ないし、そこの責任にしたら虚しいじゃないですか、何もできなくなってしまう。虚無の世界です。
「自分でコントロールできる」というのは1つのキーワードですね。たとえば、会社に勤めていたりすると、気づくと会社の言いなりになっていたり、自分が言いたいことが言えなくなっていたりする。

木下さんは自分でコントロールすることの必要性をどのようなきっかけで感じましたか?
うーん、高校3年のときに人生はじめての会社経営を始めるのですが、まったく上手く行かないわけですよ。

株主や提携している商店街の方に「あれやれ」「これやれ」などといろいろと言われるけど、やったところでまったく儲からない。何か上の人たちに言われたことをやったり、何かその人達に期待して仕掛けたりしても思うようになんかいかない。

「言われたけど儲からなかった」といっても、「社長として言い訳だ」と言われて終わりですからね。そこで、「あー、やはりまずは自分でコントロールできる範囲で成果が出せることをやろう」って考えるようになったんですよね。
他人がどう言おうと、最後は自分だ、と。
やはり若いうちから最終責任を持つ仕事をさせてもらえるかどうか、というのは1つの分岐点になると思います。

自分は早いうちにお金絡みのシビアな世界で、最終責任、つまりは誰のせいにしても言い訳にしかならない立場に立たされたことで、自分でできること、コントロールできる範囲で成果をあげることを考えるようになったと思います。

全国の中小企業の社長などと仕事するわけですから、反面教師もたくさん見せられましたしね。
その反面教師はやはり、「口ばかりで主体的に動かない」という意味ですか?
まぁそうですね。口ばかりで動かないだけでなく、頼んでおいてお金を払わないとか、含めてですね、ちゃんと自分が責任もってコントロールできることをやらないと、商売にならんのだ、といったことを知るわけです。

相手は、自分が儲かることしか考えていなかったりするから、「きっと、やってくれるのではないか」という淡い期待だけでは成り立たないんですよね。
主体的に動いたほうがいい、と。
別に、みんながみんな主体的に動くべきだとは思わないです。少なくとも自分で考えて、自分の責任のもとに動くことが大事かな、と。動きたい人もいれば、そうじゃない人もいたっていいとは思います。

ですが、仕事をするって、最後は孤独と向き合うことも多いわけです。
でも、孤独と向き合うって、結構ツラい作業ですよね。
もちろん仲間がいないってわけではなく、同僚、取引先に恵まれるからわたしも仕事ができています。だけど、だからといって甘えればいいってものでもないわけです。

最後は自分で自分のケツを拭くということを基本として、仕事は向き合わないといけないのだと思うんですよね。
確かに。
ただ、僕が疑問に感じてしまうのは、現在の環境を受け入れて仕事をしている人たちがいるなかで、「いや、俺は違うんだ」と斜に構えながら、組織にフリーライドするような人たちです。

まぁ、そんなに「会社が駄目だ、なんだ」と言うなら、だったら辞めればいいじゃん、って思ってしまうんですよね。だけど、そういう人に限って辞めない。

で、ずーっと「この組織はおかしい」とだけ語り、何もしない。ということは、結局、その会社のほかの社員に負担が行っているわけですよね。その人達に支えられている、その会社という仕組みがなければ給料も出ないわけです。だけど、それで文句をグダグダ言ったりする。
「給料はもらうけど、文句も言わせろ」みたいな。
地域の問題も同じなんですよ。うちの地域はいかに駄目か、と誇らしげに言われても困るんですよね。

「うちの行政がいかにクソか」とプレゼンする公務員も同様です。「だったら、まずやめて自分のコントロールできる範囲で責任をもって仕事しなさいな」と思うわけです。官民の隔たりなく、それは思いますね。
確かに。どうしてそうなってしまうんでしょう?
うーんなんででしょうね。まぁ言葉を選ばずに言えば、人材市場価値については自信がないけれども、自分としてのプライドはあるんだろうな、とは感じます。

だからこそ、組織内にはとどまっているのに冷や飯を食わされている、だけど自分はもっと本来はすごいやつなんだ、ということで組織の悪口ばかりを発言してしまうのかな、と。

だけど、その人も不幸だなと思うのは、その組織を出て自分でやってみるという経験が若い頃にないままに、他に出ていく勇気も自信もなくなってしまい、人生の多くの時間を不満の仕事の中で過ごすこと。それが、一度きりの人生でどれだけもったいないか。

ほんと、どの立場にいても、腐ってしまったら人生もったいないなって思いますよ。

「文句ばかりの人」は誰も助けない

これは自戒を込めてですが、ひょっとしたら他人に甘えているから、自分で責任を持たない言動をとってしまうのかなと思いました。
弱みをさらけだして、「助けてもらうのが当然だ」という態度が一種の幼稚性をはらんでいるのかもしれませんね。「甘えの構造」です。

ただ、わたしが地域の取り組みで言われたことで、いつも意識していることの1つに、「悪い状況のときに、困った顔をして文句ばかり言っていても助けてくれる人はいない」ということがあります。

わたしが会社をやり始めてうまく行かなかったとき、他人にばかり期待して「どうにかしてくれるかもしれない」と頼っていました。だけど、期待したことをしてくれないと文句ばかり言う。最後は、「会社の状況が悪いから」と、暗い話ばかりをして。

傍から見れば、困った顔ばかりしていたんでしょうね。
わたしもそういうとき、あります。
そんなとき、「人間暗い顔したやつの周りに人は集まらない。楽しい顔して面白そうにやっていたら、お前なにやってんの、と人が集まるもんだ」と言われたわけです。

「あーそうだよな、自分がまわりにいる人間の立場なら、溜息ついたり、文句いったりしているだけで何もしていないやつといっしょに仕事したくないよな」とつくづく思わされたわけです。

だから、何か斜に構えて「うちの組織はダメだ」と言っている人に対して、「大変だね、ぜひうちでいっしょに働かない?」と言ってくれる人がいるかといったら、まぁまずいないですよね。
そうですね。
「こういうことをしたいから自分で独立するんだ」とか、「こういう事業を仕掛けたいから転職したい」とかなら、声がかかるかもしれませんよね。何か人の好意に依存して、弱みを見せたり八方美人になったりしても、周りはシビアなものなんですよね。

「いい人」の呪縛から抜け出る

あとは、「いい人」になろうとしすぎて、己をなくしている人ですね。まぁ嫌われるよりは好かれるほうがいいと思うけど、ときには嫌われてでも言わないといけないような局面もある。

それに、一方の人から嫌われたとしても、もう一方からは共感してもらえることもあるし、そこは表裏一体なんですね

なのに、嫌われたくなくて毒にも薬にもならないことばかり言っていると、いつの間にか自分が何を言っているのかわからなくなってしまう。これもまた問題だな、と。
よくわかります。
地域の取り組みでも多いんですよね。「地域のひとに歓迎されたい」が最優先で、きちんと事業と向き合うことは二の次。

その結果、「それって本当に地域のためなの?」と思うようなプロジェクトがたくさん生まれてしまう。結局「いい人」に思われたいがための事業みたいなものばかりになったりする。
同調圧力や承認欲求に負けず、誠実に事業と向き合うことの重要性ですよね。

不安で動けない人たちは、「どうでもいいレベルのマイナス」に過剰に反応している

ただ、多くの人たちは、やっぱり失敗したときの不安感や、言いたいけど言えない葛藤などがあるはずです。それは僕自身も感じている。

木下さんはそうした不安とどう向き合っているのでしょう。
僕はありがたいことに、高校の時点で会社を作って決算で悩んだり、株主総会で株主と喧嘩をしたりするような経験を得られたので、そういった不安に対する耐性がついたような気がします。

痛みに耐えていたら、痛みがわからなくなった、的なところはありますね。慣れっこ的な。

まぁ、だけど、ある程度年も重ねて、あれこれと各地での仕事もさせてもらって、中には成果がいろいろと評価されることもあるからこそ、保守的になってしまう傾向も感じますよね。これもまた年を重ねていくという問題なのでしょう。

だから意図的に3年に1度、やっていることを変えていくということを意識しています。同じ人と、同じような事業をやらない、ということですね。
意識的に環境を変えていくんですね。
やはり、いまの仕事とか、20代のときにはまったく思いもしないような仕事の仕方しているんですね。でもって、失敗したりしたことがネタとしてむしろ、いまの仕事の糧になっていたりする。

ここで話している内容だって、10代、20代での失敗があるからこそ、「こう思う」という話ばかりのように思うんです。失敗っておいしいんですよ。

そんな失敗をして、何か、あれこれ自分で考えるようになったからこそ、いまは、20代のときより楽しく仕事ができている。40代に向けて30代のいま、新たなことに挑戦して、失敗もして、自分で考えられるようになっていかないといけないな、と思っています。
挑戦し続ける、失敗し続けるということですね。
そういうことをしなくなって、いまよりどんどんつまらない人生になるほうが、やっぱり嫌じゃないですか。

おそらく、不安を抱えて動けない人たちの多くって、いま見えるリスクについてはあれこれ気にする割に、やらないことでつまらなくなる未来についてはあまりリスクとして勘定していないと思うんですよね。

やはり楽しく、自分の人生は年を重ねたいじゃないですか。せっかく生まれて、生きているんだから、どうでもいいレベルのマイナス、とかは気にしなくていいと思うんですよ。
どうでもいいレベルのマイナス、ですか。
たとえば、僕が商店街の取り組みをしていた1990年代後半って、戦争が終わって引き上げて帰ってきた人たちがまだお店にいたころなんですよね。その世代の人たちと話すと、「リスク=死」なんです。だから、商売で失敗することなんてなんとも思っていない。

実際、商売で多少失敗したところで、死ぬことはないんです。自転車に乗るのといっしょで、なるべく早いうちから自分で動いて経験してみることが一番だと思います。死なない範囲での失敗に留めるという感じにはなれるわけです。
大きなケガをしない程度に失敗をするって、大事ですもんね。
大した挑戦もせずに、あまりにも順調に人生が進んでいるほうが怖い。

そもそもリスクを許容できる範囲が狭くなって動けなくなったり、はたまた、年を取っていきなり、思い切った挑戦をしてしまって、失敗してさっさと撤退しなくてはならないのに、体面を守るためにグタグタ続けて、大変なことになったりする人がいますよね。

失敗は適当な範囲で止めれば、次の挑戦の糧になるのに、です。

早いうちに、自分で完結できる挑戦を1回して耐性をつけておかないと、何か既存組織に文句を言いながらも居座らざるを得なくなったり、そんなことやるか、みたいな無謀な挑戦をしたりと極端になりがちです。

やはり小さな失敗含めて若いうちに経験をして、勘をつける。そのうえで、自分の人生で「思い通りにならなくてもなんとかなるさ」という経験が1つか2つあるだけで、何か壁にぶつかったとき、自分の人生選択の幅が広がるような感じがします。
僕も15年前に起業して、毎月預金残高が減っていく経験をしましたが、その当時の経験があるからこそ、とりあえずどうにかなると思えているところはあるかもしれません。
そうですね。減っているときは大変と思いますが、別に死なない。どうにかできるという経験があると、次に同じようになってもそれほど不安にはならないのです。

ただ、まぁ、人によってストレス耐性の度合いはありますから、万人にやれとは言いません。逆に言えば、僕が毎日会社に通勤して、上司のいうことを聞くような、ちゃんとした会社員をおそらくできないように、人には向き不向きやそれぞれの持ち味があると思います。

まぁそう考えると、自分なりの選択をしていくうちに自然と分かれていくものだと思いますし、何もわたしのような考え方が正解とまったく思いません。単に、わたしはそう考えるということです。
確かにわたし自身、経験する中で「あれ、意外とストレス耐性あるかも」と思うようになりました。
だけど、1950年代には全勤労者の7割近くで自営業とその家族従事者であったのに、いまや9割が会社員・公務員なんです。いまの社会構造もちょっといびつだと思うんですね。

自分で責任をもって、決定できる立場で仕事をするほうが、楽しく仕事ができる人は、実は社会にはもっといる。だから会社組織で窮屈に感じたりして不満をもったりしているのではないかなと。

全員が、「自分で仕事」とならずとも、複業みたいなことのほうが楽しく、1つ1つの仕事ができるという人は、わたしは少なくないと思っています。

だから、いきなり自分で創業とかでなくても、いまの仕事とプラスαの役割を担ってみるというのは、人生の幅を広げたり、充実度を高めたりする上ではとても有効ではないかなと思うんですね。
自分が納得できていればいい、ということですね。もっともよくないのは、現状に満足していないのに、変に飲み込んじゃって文句だけ言うことだと思います。

ただ、そういう人が多いことも事実だし、本当は一歩踏み出したいけど踏み出せない人もいるはず。そういう人に向けて、木下さんだったらどうアドバイスしますか。
できるだけ早いうちに、自分で商いをやることだと思います。

まずは、自分で0から10まで決めて、手持資金で投資をして、利益を生んでいくという基本パターンを経験してみること。そうすれば、いざとなれば自分でこのくらいは稼げるのか、と自信につながるし、視野も広がると思うんです。いきなり脱サラとかそういう話ではなく、ですね。
たしかに、数千円でも、自分で稼ぐことを経験するのは大きいかもしれない。
数千円でも、仕入れをするためには先に自分がお金を出さないといけないんです。その投資行動が考え方を変えると思います。これは組織に属していると経験できないことですね。

投資家、事業家ってなんか大層な言葉だけど、別に小商いのレベルでも、思考や行動を変えるには十分のインパクトがある。

わたしは小学生、中学生など義務教育で必ず商売経験を持つというのをやるべきと思っています。会社員になろうと、公務員になろうと、研究者になろうと、お金の話は常につきまとうし、自分の人生に必要な最低限の糧をどうにかできる自信があれば、選択はもっと積極的に行えるはずですから。
そういう意味では、複業がしやすくなったいまの時代はいい変わり目なのかもしれないですね。
そうですね。これを機に、一度は自分で商品をお客さんに届けるみたいな事業をやってみたほうがいいと思います。クライアントビジネスでは駄目です。契約金額をもとに動いていると、結局は労働力の切り売りになってしまって、視野が狭くなってしまう。

自分でどんな小さなものでもいいから、商品やサービスを作り、直接お客様に届けて対価をいただく。少額の対価を多くの人たちが集める商売のほうが、大きな金額を少数の人から頂くより経営としても安定し、自分の考え、行動がより売り上げに反映されます。これは本当に重要なことと思います。

結局、クライアントビジネスばかりにとらわれると、「仕事をくれる人がいなくなったらどうしよう」みたいな話になってきてしまう。これっていまの会社勤めで会社からの給料がなくなると、というのとまったく同じ構図なんですね。

だからまずは、小さくていいから自分の商売を自ら作ってみるのがいいと思いますね。

企画:竹内義晴(サイボウズ) 執筆:園田もなか 撮影:栃久保誠 編集:野阪拓海(ノオト)

2020年2月20日地方は組織も「空き家化」している? 維持できない組織やルールはなくそう──宮崎のシャッター街を再生した田鹿倫基さん

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執筆

ライター

園田 もなか

フリーランスのライター。エンタメ関連のコンテンツ中心に執筆やインタビューなど。

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撮影・イラスト

写真家

栃久保 誠

フリーランスフォトグラファー。人を撮ることを得意とし様々なジャンルの撮影、映像制作に携わる。旅好き。

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編集

ライター

野阪 拓海

コンテンツメーカー・有限会社ノオトのライター、編集者。担当ジャンルは教育、多様性など。

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