サイボウズ式特集「ブロガーズ・コラム」。元コピーライターで、現在は企業の事業や組織開発といった創造的活動の支援に取り組んでいるいぬじんさんに「異動に対する心の持ち方」について執筆いただきました。
新年度が苦手なんです
新年度というやつが、ぼくはとにかく苦手だ。
ぼくは同じ会社の中で、いろんな職種や部門での仕事を経験してきた。コピーライターをしていたクリエイティブ部門だけでなく、リサーチの部門、事業運営支援の部門、得意先への出向、コンサルティングの部門、あるいはゼロから新しい仕事を作らないといけない部門……。
それが、かねてより希望していた仕事だった場合、「さあやるぞ!」と変に張り切りすぎて、いきなりトップギアを入れ、しかし何もかもが空回りして、エンストを起こしてしまうことが多かった。
逆に不本意な異動の場合は、意気消沈するあまりうまく気持ちを入れ替えられなかった。新しい環境になじめず、異動先のメンバーにもなかなか心を開けず、関係性を作るのに時間がかかった。
いずれにしてもサラリーマンにとって異動とは、中身を開けるまで一体何が起こるかわからない「ガチャ」のようなものだ。
しかし最近は、もちろん色々と問題は発生するのだけど、この「ガチャ」の発生に対して、なんとかやりくりできるようになってきたように思う(少なくともこれまでよりは)。
今回は、
突然異動を命じられたり、信頼していた上司が変わるなどで、働く環境が強制的に変わってしまった場合の対処法について紹介できればと思う。
異動はつらいよ
異動はサラリーマンにはつきものとはいえ、どれだけ経っても慣れないものである。
若いころ、ぼくは異動をそんなに恐れていなかった。むしろ、経験を積みスキルを磨いていって、希望の職種や部門へと変わり、またそこで腕を磨いてさらにステップアップしていく。異動はそのためのチャンスだと考えていた。
もちろん異動先でいろんな失敗をしたのだが、若者に失敗はつきものだし、若いというだけで周りがかわいがってくれた。今と違ってのんびりした時代のせいもあるだろうし、よい先輩たちに恵まれていた。でもぼくは、自分に実力があるのだと勘違いしていた。
大変なのは30代も半ばを過ぎたころからだった。
これまでのキャリアに煮詰まってきたぼくは、会社の制度を使って異動希望を出し、運よく希望している部門に異動することができた。
ぼくはこれまでも会社の中でやりたいことを見つけたらそのための勉強をしたり、プロジェクトに自分で手を挙げて志願したりして、次のキャリアを作ってきた。その時も、同じようなポジティブな気持ちでの挑戦だった。
ところが、ダメだった。さあやってやるぞと意気込んではじめた新しい部門の仕事だったが、これまでの経験や技術がまったく通用しなかった。必要とされている頭の使い方がまったく逆だった。
ぼくが得意なのは、1つの物事をいろんな視点から見て、それらを一度バラバラに取り出してみて、それをまたくっつけたり離したりする思考だ。ところが新しい職場では徹底した論理的思考が求められた。AなのはBがあるから、BがあるのはCがあるから、しかし例外としてDがあって、それが起こるのは3つの場合で……。
いや、論理的思考がまったくできないわけではないのだが、ぼくはそれをやっていても楽しいと思えない性格なのである。物事の筋道がはっきりしているかどうかをていねいに検証している時間があったら、1つでも自分で試してみて、ダメだったらまた別の方法を探ったらいいじゃないか……と思えてしまう。
だが、
ぼくはそう声を上げることができなかった。お前が希望して来たんじゃないか、と言われそうで、言えなかった。それでぼくは無理に理屈っぽい考え方を自分に強いて、わからないことがあっても周りに相談せず、一人で抱え込み、何日も何日も徹夜をした。
それでも状況は好転しなかった。いくら努力をしても仕事は前に進まなかった。10歳以上年の離れた若手のほうが活躍している様子に焦り、また徹夜を重ね、ついに身体をこわしてしまった。
異動における問題点は、「自分を変えなければ!」と無理にがんばってしまうこと。あるいはそれと正反対に
「自分を変えてたまるか!」と必要以上にふんばってしまうことだと思う。
いずれも、自分の力ではどうにもコントロールできない新しい環境に対して自分を変化させなければいけない、という抑圧を感じてしまうことが原因だ。
不本意な異動の意味を考えてもはじまらない
次に、希望した通りの異動ではなく、不本意な異動について考えてみよう。
会社にとって、誰がどこに異動させるのか、ということはいつも難しい課題だ。もちろん適材適所でなんとかうまくやろうとしてはいるけれども、そんなになんでもかんでもうまくマッチングできるわけではない。
本人にとっては不本意な異動命令が出たとしても、実は会社や経営陣からすれば本人の意向を大切にしたつもりだったりもするから難しい。
本人からすれば不本意な部門に異動になり腐っていたとしても、動かしたほうは、ああなんとか転勤させなくてすんだ……よかった……と思っていたりする。あるいは「この人ならがんばってくれるだろう」と期待されての、いわゆる白羽の矢が立った配属だったりする。
それでも人間というのは、自分よりもうまくやってる人間が気になるものだ。自分よりも先に昇進した後輩や、花形の部門に異動した同期を見て、「なんで自分だけがこんな目に会わなければいけないのか」と思ってしまう。
いずれにしても、
サラリーマンにとって、「自分はなぜここなのか」ということについて納得した説明をもらうことはなかなか難しいのである。
つまりは不本意な異動なんて、多くの実らぬ恋や人間関係と同じで、「なぜ自分はこんな目にあうのか」ということについていくら考えたって仕方ないのである。
映画にもなった小説『ハイ・フィデリティ』の中で、主人公ロブは歴代の恋人のところを訪れて「なんで自分と別れたのか」を一人ひとり確認して回る。その結果、ロブは何も手に入れることができないどころか、余計にみじめな気持ちになってしまう。不本意な異動の理由について考えるのは、それと同じくらいバカバカしいことなのだ。
異動に対して、若手じゃないからこそできること
若いあいだは、環境の変化についていけなくても若いからという理由だけで許された。だが自分はもう若手ではない、大きな成果を出さなければいけない、というプレッシャーから、ぼくのようにエンストを起こしてしまう人は多いと思う。
だけど、若手ではないからこそ、異動や不本意な配属に対してできることがある。
まず必要なのは、広い視野だ。
異動になると、つい頭の中が新しい職場のことでいっぱいになってしまう。新しい上司とどうやってうまくやっていこうか。部下や後輩に対してどうふるまおうか。そしてやったことのない仕事をちゃんとやれるだろうか。そういったことで、ほかのことが考えられなくなってしまう。これはよくない。
実は異動になった時は、自分がいる場所を見つめ直す大チャンスなのである。
もっと広い視野で、自分を取り巻く環境を見つめてみてはどうだろう。まずは自分がこれからどんな人生を送り、どんな仕事をしていきたいかをあらためて見つめ直してみる。
難しいものでなくてよい。家族を大切にして暮らしたいとか、ずっと小説を読み続ける時間を確保したいとか、そういうシンプルな願望をいくつも挙げてみる。そういった願望が積み重なった先の未来をぼんやりといいので妄想してみる。
次に、会社がこれからどこへ向かおうとしているのかを自分の視点から見つめ直してみる。ほとんどの会社は自社がどこへ向かうかというビジョンを提示している。それを確認したら、そこに自分が妄想している未来を重ねてみるのである。
どうだろう。そこには仕事と家庭を両立しようと頑張っている自分の姿が見えないだろうか。あるいは仕事での大変な経験をネタにして小説を書くことにチャレンジしている姿が見えないだろうか。
あるいは、会社が目指すビジョンよりもずっと先の未来を見つめることで、これから自分の人生の中で新たに取り組むテーマが見えてきたりしないだろうか。
今はそのための準備期間ととらえられないだろうか。そうやって視野が広がれば、そのために会社を最大限に利用してやろうという気持ちが生まれてくるはずだ。
広い視野と自分の土俵があれば、異動なんて怖くない
もう1つ大切なことは、自分の「土俵」を確認することだ。
長く生きていると、自分が得意なこと、好きなことについて詳しくなる。環境が急に変化すると、どうしても苦手なことや、イヤなことにばかり頭がいってしまうのだが、
そういうときこそ「ここなら大丈夫」と思える場所を確認することが大切だと思う。
さっきも書いたが、ぼくは物事を直感的にとらえ、いろんな視点から見つめることが得意だ。あの大失敗した異動の時、ぼくはこの土俵を出てしまった。それどころか、最も苦手とする論理的思考という領域に自分から入り込み、ボロボロになってしまった。
だが、おかげでぼくは大事なことを学んだ。やはり環境が変化した時は、まずは自分の足元を確認することからはじめなければいけないのだ。ただ、そのままじっと動かないのではなく、少しずつじりじりと前ににじり寄っていけばいい。
大失敗のあと、ぼくは無理に論理的思考を身につけようとすることを捨てて、また直感的思考へと戻った。でもただ戻ったのではない。自分の発想だけでなく仕事にかかわる人々の直感的思考を刺激する、いわゆるアイディエーションの領域へとじわりとはみ出た。
すると一気に事態が好転した。あいつといっしょに仕事をするとよいアイデアがどんどん出てくると評判になり、ぼくの土俵は大きく広がったのだ。
広い視野と自分の土俵。これがあれば、異動なんて怖くない。
なぜなら、今あなたは会社ではなく、自分の人生を中心に物事を見ることができるようになっているからだ。
会社でのできごとは人生のほんの一部でしかない
サラリーマンにとっての異動はまさに「ガチャ」。自分の意志だけではどうにもコントロールできないし、辞令を出す側にとっても、どんな結果がもたらされるかわからない。
大切なのは、
自分のことについて一番詳しいのは、経営者でも上司でも同僚でもなく自分だ、ということだ。
ぼくは、会社は自分のやりたいことを実現するための手段の1つだと思っている。それは「いくつかのうちの1つ」であって、すべてではない。人生のいろんな段階で仕事の意味やウェイトは変わっていくように思う。
ぼくの若いころのようにほとんど100パーセントの力を自分の仕事に注ぎ込む時期もあれば、半分しか力を出せない時期もあるし、思うところがあってあえて仕事から遠ざかる時期もあるだろう。
長い人生、会社や仕事だけがすべてではない。今の自分にとって必要なことは、自分でちゃんとわかっていればよいのだ。
年を取ると、いろんなところで「脇役」を演じる必要も出てくる。不本意な異動の結果、若手に主役を譲り、モブに徹さないといけない場面もあるだろう。
だけど、
自分の人生は自分が主役。自分の人生を全体でとらえて、会社員人生はその中の1つのドラマとして楽しむ、そんな感じがちょうどいいのではないだろうか。
職場の先輩が「あたし、老後に、この仕事の思い出をみんなで話してゲラゲラ笑うのが楽しみやねん」と言っていたのを覚えている。これは、なかなかサラリーマン人生とはなんぞや、ということを言い表しているように思う。
さあ、異動した人も、そうでない人も、いっしょに人生の思い出作りの続きを、自分のペースでやっていきましょうよ。
(おしまい)
執筆:いぬじん、アイキャッチ:マツナガ エイコ
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