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地方移住で「1人でも多くの人の役に立つ」という強迫観念を捨てたら、本当に役立ちたい相手が見えた──岡山史興

この記事のAI要約
Target この記事の主なターゲット
  • 地方移住に興味がある人
  • 働き方や生き方に関心のある人
  • 地方での生活を考えている都市部在住者
  • キャリアの見直しを検討しているビジネスパーソン
Point この記事を読んで得られる知識

この記事を読むことで、地方移住を通じて自身の人生観や働き方を見直した岡山史興さんの体験談を知ることができます。岡山さんは東京から富山への移住をきっかけに、かつて抱いていた「多くの人の役に立ちたい」という強迫観念を持たずに、自分にとって本当に大切な人を見つけ、その人たちのために力を尽くすことの価値を学びました。

特に、新型コロナウイルスの影響で物理的な制約が出たことで、人間関係と仕事の在り方を見直し、より地域に密着した形で新しい生き方と働き方を模索しました。岡山さんが強調するのは、個々人が本質的に正しいと思える選択をすることの重要性であり、それにより自分が信じる方向性に自信を持てるようになったということです。また、個人が集まることで会社が成り立つのではなく、個人の思いを実現するために会社が存在するという新しい組織観も提示しています。

さらに、地方での生活を通じて培ったコミュニティとの深い繋がりや、やりたいことを見つけるためのヒントが紹介され、地方移住における考え方や心構えについて具体的な視点を得られます。地域密着型の独自の生き方を形成していくプロセスが、どのようにキャリアや生活の質に影響を及ぼすかを理解することができるでしょう。

Text AI要約の元文章
働き方・生き方

地方移住で「1人でも多くの人の役に立つ」という強迫観念を捨てたら、本当に役立ちたい相手が見えた──岡山史興

大好きな地域で暮らしながら、東京にいたころと同じように仕事をする。地方移住に興味を持つ人の多くが描く理想像かもしれません。

しかし、2018年に子育てのために東京から富山県舟橋村へ移住した岡山史興さんは「地方と東京のいいとこ取りに限界を感じた」と話します。

「人の役に立って世の中を良くしたい」という思いからPR業界へ進み、事業創出支援などを手がける会社を立ち上げた岡山さん。移住当初は週の半分ずつを東京と富山で過ごす2拠点生活でしたが、新型コロナウイルスの感染が拡大した2020年4月以降、東京に行ったのは3回だけ。

物理的な制約がある中で岡山さんは「大勢の人の役に立つこと」をあきらめ、それによって本当の意味で自分の人生を生きられるようになったといいます。

岡山さんはどのようにして自分だけの判断軸を持ち、移住先での新たな生き方を手に入れたのでしょうか。

東京にいた時のように「これがダメでも次がある」ではなくなった

榮田
岡山さんは、富山に生活の拠点を移した後も、仕事の軸足は東京に置いていたんですよね。
岡山
はい。東京にはクライアントがたくさんいましたし、おもしろそうな案件があればどんどん首を突っ込んでいました。
榮田
それなのに、新型コロナウイルスの影響で東京に行ける機会が限られてしまったわけですよね。仕事への影響は大きそうですが……。
岡山
以前のように「やりたいことをやりたいままにやる」のは、あきらめなきゃいけないなぁと感じましたね。

東京でたくさんプロジェクトを抱えていたときは「これがダメでも次がある」と考えてしまうこともありましたが、そんな状況ではなくなりました。

あれこれと手を出すのではなく、地域の方々としっかり信頼関係をつくり、自分が向き合うべき相手を絞っていかなければならなくなったんです。

岡山史興(おかやま・ふみおき)さん。70seeds株式会社代表取締役 CEO、Webメディア『70seeds 』編集長。1984年長崎県生まれ。学生時代から、NPOの立ち上げや、愛・地球博にて市民プロジェクトリーダーを務めるなど、 社会課題と生活者をつなぐコミュニケーション領域を得意とする。戦略PR会社勤務を経て、2014年にPR支援のStory Design house株式会社を共同創業。その後、現在の70seeds株式会社につながる株式会社am.を2017年に設立。スタートアップ企業のブランド戦略立案から、大企業や地域を対象とした新規事業開発なども手掛ける。

榮田
コロナによる制約がきっかけで、仕事への考え方が大きく変わったと。
岡山
ただ、自分の中ではコロナ以前から「コミットする対象を絞るべきなんじゃないか」とも思っていたんですよ。

やりたいことをやるのが「自分のやりたいことではない」と気づいた

榮田
どういうことでしょうか。
岡山
僕がPRという仕事を選んだのは、「人の役に立ちたい」「世の中を良くしようとしている人たちの背中を押していきたい」という強い思いがあったからです。

1人でも多くの人の役に立たなきゃいけない。そんな考えが強迫観念のように浮かんでいた時期もありました。

ところが、富山県に移住後、舟橋村の人たちといっしょに仕事をし始めると「次はいつ東京に帰るの?」と聞かれることもあって。
榮田
舟橋村の人ではなく、東京の人だと認識されていたんですね。
岡山
はい。まだまだ「よそ者感」があったんでしょうね。

もっと地域に深く入っていき、目の前にいる人たちの役に立つにはどうすべきかを考えました。その結果、やりたいことをやるのが「自分のやりたいことではない」と気づいたんです。

舟橋村農業ブランディング機構「FABO(ファーボ)」、富山中央青果らによる子育て世代向けのクッキー「おこめとおやさい」記者発表の様子。会場は同村の子育て支援センターぶらんこ。

榮田
「人の役に立ちたい」という思いが変わったわけではないんですよね?
岡山
はい。でも、東京にいるときは目の前にいる相手が多すぎて、自分を見失っていたような気がするんです。

「とにかく人の役に立つんだ」という思いばかりが先に立っていて、具体的に誰の役に立とうとしているのか、自分でも見えなくなっていました。

富山に来てからは直接かかわる人たちが増えて、同じPRという仕事を提供していても与えるインパクトが違う。

FABOの仲間と、「日本一小さい村」の特徴を活かした、村内一周農業体験イベントを開催。

岡山
こうやって、名前や顔の見える誰かのために役立つことこそ、自分のやりたいことなんじゃないかと思うようになりました。

この会社ではやりたいことしかやらなくていい。給与は選択した仕事に応じて

榮田
役立ちたい相手を絞るようになってから、どのような変化がありましたか?
岡山
実は僕が「たくさんの人の期待に応えること」をやめてから、会社の売上は伸びています

変わったのは僕だけではなく、従業員のみんなもそう。仕事の選び方とともに報酬体系も変えたことで、みんなの仕事に対する意識が変わり、パフォーマンスが高まっていきました。

岡山さんが経営する70seeds株式会社で働くみなさんとのオンラインmtg風景

榮田
それは興味深いです。どのような報酬体系に変えたのでしょうか?
岡山
「この会社では、みんながやりたいことしかやらなくていい。選択した仕事に応じて給与を払います」としたんです。

以前は僕も「たくさん仕事をしなきゃいけない」と思っていたし、東京で声をかけてくれる人も多かったんですよね。
榮田
そうだったのですね。
岡山
そうした環境の中で、毎月必要となる給料や固定費をまかなうための売り上げを追いかけていました。

僕から従業員へは「会社の経営を成り立たせるためにこの仕事をやってよ」と無理にお願いすることもありました。

でも物理的な制約が生じ、以前と同じように動けなくなってから、僕は「これまでの経営」を成り立たせていくことをあきらめたんです。
榮田
「選択した分だけ給料を払う」……。以前とは真逆、というか世の中の多くの会社とも真逆の考え方ですね。
岡山
会社を成り立たせるために個人が集まっていたのが以前だとすれば、いまは個人がやりたいことを実現するために会社が存在している、という感覚ですね。

自分や子どもが「恥ずかしい」と感じることは本質的に正しくないこと

榮田
岡山さんはなぜ、こうした大胆な決断ができるのでしょうか。人生の選択をする際に大事にしている考え方があれば教えてください。
岡山
僕はいつも「本質的に正しいことをやろう」と考えています。
榮田
「本質的に正しいこと」とは?
岡山
PRの仕事をしていると「何でもいいからとにかくバズらせたい」と相談されたり、場合によってはステマ(ステルスマーケティング)のようなことを依頼されたりすることもあります。

でもそれらは、本質的に正しくないんですよね。
榮田
はい。
岡山
短いスパンで考えれば知名度を上げられるかもしれないけど、過激さの上塗りでは世の中は良くはなりません。

その過激さの上塗りにより信頼を失い、ゆくゆくはクライアントが自分で自分の首を絞めることになる可能性があります。

どこかに無理が生じないように、みんなが自然体でまっとうにいられるように考えるのが本質的に正しいことだと思っています。
榮田
ごまかさない、うそをつかないということですね。

「正しいことをやる」という意思決定をするときに、岡山さんはどんな基準を持って判断しているんですか?
岡山
子どものことを考えますね。
榮田
お子さんのこと。
岡山
はい。自分の子どもが大きくなって、物事がわかるようになってきたときに、ダサいと思われることはしたくないんです。

半年前に自宅の屋根にて。6歳、1歳のお子さんがいる(2021年6月時点)

岡山
「うちの父親はステマに手を染めていたんだ」と知ったら、子どもは僕のことをダサい、もっというと恥だと思うかもしれません。

恥ずかしいと思うことは本質的に正しくない。だからやらない。それが僕の考え方です。
榮田
そうした考えは、移住をしたことでより深まったという感覚はあるんでしょうか?
岡山
ありますね。

地域の中ではより人間関係が濃くなります。その中で、自分の子どもだけでなくここで暮らす子どもたちに対して「どんな大人の背中を見せればいいのか」を考えるようになりました。

「村が有名になればいい」「村の魅力が発信されればいい」だけではなく、子どもが希望を持てる環境を作っていきたい。

そう考えると、村から頼りにしていただくときにも、必ずしも僕が無理したり背伸びしたりして全部に応えていかなくていいのだと思っています。

大勢の人と生きなくてもいい。「誰と」生きるかを決める

榮田
岡山さんは移住後も試行錯誤しながらご自身の軸を明確にしてこられたのだと感じました。

いまの軸は、どのタイミングで持てるようになったのでしょうか。
岡山
明確に言えるタイミングはないんですが……。ただ「たくさんの人の役に立たなきゃいけない」という強迫観念があったころは、自分の軸があるようでない状態だったと思います。

自分の人生を自分でハンドリングしているつもりが、いつの間にか他者に主導権を渡していたのかもしれません。
榮田
「たくさんの人の役に立つことをするべき」という他者の期待や評価によって動かされていたということですか?
岡山
そうですね。

同じように、他者の期待や評価から来る価値観をいつの間にか刷り込まれている人もいると思います。

「これからは個人で稼ぐ力を身につけるべき」「そのためにはSNSのフォロワーを増やすべき」とか。

そうした価値観に踊らされている人はとても多いけど、それは自分の意志で生きているようで、実は他人に操縦されているだけなのかもしれないと感じます。
榮田
自分のことを考えるって、とても難しいですよね。どういう状態になれば自分で考え、自分の軸で生きていけるようになるのでしょうか。
岡山
僕は「誰と生きるのか」に尽きると思っています。
榮田
誰と生きるのか。どういうことでしょうか。
岡山
大勢の人と生きていこうとしなくてもいいんですよ。固有の名前と顔が見える数人でも、誰か1人でもいい。

誰か1人でも本当に深くかかわり合い、役に立つことができれば、自分がいなくなった後にも何かを残せるのではないでしょうか。

その「誰と」がはっきりすればするほど自分の限りあるリソースを集中できるし、自分の人生に対する納得度も高まるのだと思います。

気づいたら人は変わっている。すぐに「誰と」を見つけられなくてもいい

榮田
岡山さんの「誰と」は、まずご家族だというのはイメージできるのですが、移住後に知り合った地元の方々の中にも「誰と」は生まれているのでしょうか?
岡山
子どもという軸があるので、それに付随して周囲の親御さんの役に立ちたいとか、子育てサポートをしている人の役に立ちたいと思い始めていますね。

村の子どもたちがクラウドファンディングでつくった公園「オレンジパーク」にて。ハンドメイドチーム「funacco」のお母さんたちと。

榮田
なるほど。だからこそ地元の環境にも自分ごととして目が行くんですね。

会社で働く人の立場で考えるといかがでしょうか。会社内で「誰と」を見つけるのは難しいようにも思います。
岡山
僕は、70seedsという会社を経営していますが、自分の会社に入社してくれる人から学ぶことがとても多いです。

「ものづくりが好き」といった思いを持って入社してくれる人が多いので、最初は「誰と」ではなく「何と」を強く意識しているのかもしれません。
榮田
ええ。
岡山
でも仕事やライフステージの変化を通じて、みんな役に立ちたい相手が明確になっていくんですよ。

ものづくりが好きなら「ものづくりをする職人さんたちの役に立ちたい」といったように。
榮田
そうか、最初は「誰と」を意識していなくても、地続きで変わっていくんですね。
岡山
気づいたら人は変わっている、ということなんだと思います。

会社の中で、目の前の仕事やクライアントを見て自分がともに生きる対象を見つけられなくても、別にいいじゃないですか。

一歩踏み出してみれば人生が変わることもあります

単純に自分が好きなものをきっかけにして、いろいろなものの見方を変えていけば、いまの人間関係の中でも新しい切り口が見つかるのではないでしょうか。
榮田
地方移住を検討している方に対して、アドバイスをいただけませんか?
岡山
移住してみたいと思うなら、やりたいようにやればいいと思います。

僕が何かを勧めても、余計なノイズになってしまうかもしれません。自分の人生は自分で決めるのが一番です。

やってみて、もし違和感を覚えたとしても、またやり直せばいいんです。「この人と生きよう」と思っても、違うなと感じればいくらでも変えられます。

いますぐに「誰と生きるか」を決められなくても「身近な誰かが喜んでくれて、かつ自分がうれしいと思うことは?」と考えていけば、やりたいことが明確になっていくのではないでしょうか。

企画・編集:榮田 佳織/執筆:多田慎介/イラスト:かざまりさ アイキャッチデザイン:駒井 和彬/写真提供:岡山史興

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執筆

ライター

多田 慎介

1983年、石川県金沢市生まれ。求人広告代理店、編集プロダクションを経て2015年よりフリーランス。個人の働き方やキャリア形成、教育、企業の採用コンテンツなど、いろいろなテーマで執筆中。

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ライター

榮田佳織

IT系企業などを経てフリーランスに。記事の企画・編集のほかウェブマーケティングなど。東京も好きだけど、生まれ育った福岡への郷土愛が大きい。

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