性別や国籍にかかわらず、人はそもそも誰しもが多様な存在。その前提に立ったとき、「女性」「外国人」「障害者」「LGBTQ」など、カテゴライズして組織の中での働き方を考えていくことはナンセンスなのでしょうか。
多様性を内包する組織の実現に「正解」も「終わり」もなく、サイボウズも決して完璧ではありません。「多様な個性」ってなんだろう?
サイボウズでD&I(ダイバーシティ・インクルージョン)の促進を目的とした、会社公認の部活動「ダイバーシティラ部」のメンバーと考えていきます。「100人100通りの働き方」をアップデートしていくために。
少数派の人たちが「透明人間」になっている? 入社1年目が抱いた違和感
そもそも「ダイバーシティラ部」はどのような経緯で立ち上がったのでしょう?
2018年の秋から冬にかけて、当時入社1年目だった同期の中で、「サイボウズの多様性にはまだまだ課題がある気がするんだよね」「どう思う?」「なんかちょっとモヤモヤする……」といった会話をしていたんです。
早川(はやかわ)。2018年に入社し、カスタマー本部に所属。趣味は手芸
そうそう。そこから同期4〜5人で集まって、意見交換をしたり勉強会をしたりして。有志で集まっていたものが、会社公認の部活動になりました。
入社してすぐ、みなさんが感じていたサイボウズの多様性に対する違和感、というのは……?
面接時も入社後も、サイボウズが掲げる「多様な個性」「100人100通りの働き方」に触れる機会はたくさんありました。
サイボウズでは、子育てや介護をしている人、地方で暮らす人、副業や通学をしている人、趣味に打ち込む人……個人のライフスタイルに合わせて時間や場所にしばられない多様な働き方をしているメンバーが多くいます。
田中(たなか(仮名)・オンライン参加)。2018年に入社し、ビジネスマーケティング本部に所属。2019年末に退職。趣味はネコと観葉植物のお世話。写真は田中さんを囲んで
ただ、「100人100通りの多様な個性」を肌で感じることが私はできなかったんですね。
たとえば性別について。プライベートな話もできる関係になったとき、私は“女性”に見えると思うんですけど「彼氏いるの?」と聞かれる。
相手に明確な悪意があるわけじゃないんですけど、身近にいるかもしれないセクシュアルマイノリティ*の存在が、透明人間のように「見えないもの」になっているようで……。
*性的少数派。心の性・体の性・表現する性が一致している異性愛者ではない方々の総称
永井千晶(ながい・ちあき)。2018年に入社し、ビジネスマーケティング本部に所属。趣味は植物栽培
多様な個性が掲げられているけど、異性恋愛が前提となっていて、自身の性の認識にブレがないことが当たり前、という空気があった。
空気としか言いようがない違和感だったんですけど、同期と話していくうちに、だんだんと何にモヤモヤしているのかが見えてきて。
当初は「世界のどこかにいるかもしれないけど、自分の隣にはいない」と思っている人が多い印象でしたよね。僕もその一人でした。
浅野嶺(あさの・れい)。2018年に入社し、ビジネスマーケティング本部に所属。趣味はゲーム
どうしてセクシュアルマイノリティの存在が見えてないんだろう?って考えたときに、
知識が足りないし、学ぶ機会が社内にないからだと。
そこから同期で、自分たちも本で学びながら、有志で社内に向けた勉強会を開くようになったんですね。
知識のメガネをかけて「見る」ために学ぶ機会を社内につくっていった。それがダイバーシティラ部のはじまりだったんですね。
好きになる性や性自認はプライベートなことだから働く上では関係ないし、会社がどうこうする問題じゃないよね、って思うかもしれません。
でも、異性愛者の人は「子どもが熱を出したから」「夫/妻が単身赴任だから」と働く上でもプライベートな話をしていますよね?
同じように
「多様な働き方」を実現していくためには、他者を知ることが前提として必要だと思うんです。
「100人100通り」なんだから、カテゴライズは必要ない?
会社などの組織では、あらゆる属性に関する知識をつける際に、「女性」や「LGBTQ」など、カテゴリー分けし、アプローチすることがよくありますが、サイボウズではどうでしょう?
サイボウズでは、「100人100通り」という言葉がよく使われます。というのも「100人いたら100通りの働き方」があってよいと考えていて。メンバーそれぞれが望む働き方を実現できることを理想としているんです。
川平朋花(かわひら・ともか)。2020年に入社し、ビジネスマーケティング本部に所属。趣味は音楽鑑賞
でも、この「100人100通り」という前提に立つと、「そもそも一人ひとりが異なる個性を持っているからカテゴリーで分けて考えるのは意味がない」という話にもなってきます。
その通りなんですけど、会社などの、各個人が異なる背景を持っている組織で、おたがいについての知識を身につける上では、ハードルにもなってしまうんですよね。
「100人100通り」という考え方がハードルになる?
100人100通りの個別対応をするからカテゴライズの必要はない、という考え方では、理解する・説明するコストが大きいと思うんです。
たとえば、私の場合、研修でアクセシビリティの高い資料の作り方を知って、社内プレゼン資料で意識することが変わりましたし。
あと、この考え方を見直すと、みんなそれぞれに困りごとや希望があるんだから「LGBTQに特化した研修を実施するのは特別対応だ」とか言われることも減りそうです。
ああ。あらゆる属性にまつわる知識を身につけることがもっと当たり前になれば、誰もが、傷付く・傷付けることは減りそうですね。
会社のメンバーが100〜300人くらいまでだったら、「100人100通り」の個別対応で問題ないと思うんですけど、1000人を超えてきたいま、
一人ひとりと対話をしておたがいを理解していくことはどうしても難しい。そうなったときにある程度、
あるカテゴリーの当事者に対する前提知識があったほうが、コミュニケーションコストは低くなると思うんです。
無意識に他者を傷付けたり、傷付けられたり、ということが起きないほうが、個人にとっても、会社にとっても良いので。
組織の中にはパワーバランスがあって、マネージャーが持っている言葉には重みがあります。
上長の偏見や無知を知ったり、差別的な発言を聞いたりすると、部下は働きにくいし辞めるという選択肢も浮かぶかもしれない。そうならないためにも、ある程度カテゴリーについて学ぶと、良いのかもしれません。
こういう傾向がある、こういう可能性がある、という前提知識を持った上で、その特性を勝手に押し付けるのではなく、「その人」個人を見ることができたらよさそうですね。
まさに。あと、カテゴライズには課題解決の力もあって。
「あなたは女性だからこういう苦しみがあるんですね」とカテゴライズされて押し付けられるのは嫌ですけど、「女性だからここが苦しい」と誰かが上げた声に対して「あーたしかに苦しいな、これって言ってもいいんだ」と自分のモヤモヤに気づいて賛同していくことはできるじゃないですか。
「女性」というカテゴリーを誰かに押し付けられることと、自らアイデンティティとして選んでいくことはまったく別物なんですよね。
「100人100通り」は大事なことなんですけど、ある側面ではそうした、同じ課題意識を持つ者同士のつながりを阻んでしまう可能性もある。
そうなると、一人ひとりが個別で自分の問題のありかを見つけて、ソリューションを用意して、上司や会社に提案していかないといけない。個人の負担があまりに大きく、一人でやっていくのは骨が折れることでもあります。
「カテゴライズ」には、ばらばらの個性ある人たちを強制的にまとめる力があって、「100人100通り」には、連帯してまとまりたい人をばらばらにする力が働いてしまう。
声を上げられない人への「想像責任」を持つ
サイボウズの「多様な個性」はまだまだ「目に見える多様な個性」だと私は思っていました。
声を上げた人にそれぞれ個別に対応して「100人100通り」の働き方を実現していく、というやり方では、声が上げられない当事者は「いない」ものとされてしまう。
サイボウズには「
説明責任・質問責任」という考え方があって。
違和感やモヤモヤを抱いたりしたときに、そのままにしないで質問すること、わかりやすく説明することが求められます。
いい文化だと思うんですが、たとえばセクシュアルマイノリティの人たちは、状況や課題を説明しようとすると、どうしても自分の性の話をしないといけない。
でもカミングアウトは、場合によっては、その人の命に関わることもある問題で、どれだけ信頼関係があっても簡単にできるものではありません。
個別の課題を解決したいと思ったときに、解釈ではなく「事実」を持って説明していくことが求められるなか、当事者には話せない事実がある。
代弁をするように声を上げても「それは事実ではなく、あなたの解釈でしょう」と言われてしまいます。
「事実と解釈を分ける」という思考は、ビジネス上の課題を解決するには有効かもしれませんが、個々人の感情を置き去りにしてしまう可能性もあるんじゃないか、と思うんですね。
サイボウズでは最近、自分とは違う相手のことを想像する「想像責任」という言葉も使われていて。説明責任・質問責任と合わせて、語られない言葉を想像することがより重要になってくると思います。
必ずしも声を上げられる人ばかりではないし、したくても「説明責任・質問責任」を果たせない人もいる。声を上げられない、上げたくない人たちへの「想像責任」が問われるわけですね。
多様な人々が気持ちよく働くには、優しさや思いやりだけではなく、正しい知識が必要
声を上げられない当事者を「100人100通り」の一人とするならば、
個々人の「自分には偏見がない」という前提や優しさ、思いやりではなく、メンバーが正しい知識を身につけていく必要があるんじゃないかと。
たとえば、同僚に日本語を勉強し始めて数年の外国人メンバーがいる場合。
「雑な手書きのメモは読めない」「略語や方言が多いと理解するのに時間がかかる」といったことを理解していたら、相手が困らないように対応すると思うんです。
想像力を働かせて配慮した結果、外国人のメンバーもみんなが快適に働くことができる。
多様な背景を持った人たちが気持ちよく過ごせるように、一緒に働く人たちが知識と想像力を持つことができたらいいですよね。
多様な個性を持った人たちが組織の中で気持ちよく働くためには、当事者が声を上げる上げないにかかわらず、周りの人たちが起こりうる困りごとを知って、配慮していく必要があるんですね。
「100人100通り」の個性がある人たちは、境遇や特性もばらばらで、「平等」ではありません。そもそものスタートラインが違うんですね。
その差を埋めていくことで、「公正」にみんなが気持ちよく働くことができる。
その差を埋める一つの手段が、セクシュアリティに限らず、声を上げにくいマイノリティグループの研修・勉強会を社内で開き、当事者の課題を広くメンバーが知ることだと思うんです。
サイボウズは入社1年目であっても声を上げやすい環境にありますが、セクシュアリティ、健康課題など、目には見えない少数派の特性を持っていた場合、それがやりづらい。
みんながフラットな状況に見えても、
少数派の特性を持たない人たちは、そもそもスタート時点から下駄を履いているんですよね。
当事者に関する知識を得ることは、下駄を脱いで視点を変えることにつながる。
誰もが気持ちよく働けるように。知識をアップデートし議論を続ける
僕自身、マイノリティに関する知識を持ち合わせていたわけでなく、高い意識があったわけでもなく、同期を手伝うかくらいの軽いノリでダイバーシティラ部に参加したんです。
勉強会で学んでいくうちに、存在として意識の外にあったマイノリティの人たちが、近くにいるかもしれない、というふうに変わった。自分が困っていなくても、当事者の課題を知ることは大事だと実感しています。
そうやって働く人たちが知識をアップデートしていくことで、声を上げたい人が上げられるだけでなく、違和感を抱いている当事者が個別に声を上げなくても、誰もが働きやすい環境になったらいいなあと。
「目に見える」多様性だけでなく、声を上げることができない「見えない」多様性を重視していく。
そのためには、組織の中で、一人ひとりが想像力を働かせるための知識をアップデートしていく必要がある、と。
心地よく働くために、自ら意見を言わなきゃいけない人、意見を言いたくても言えない人がいるなかで、
意見を言わなくても心地よく生きていけることは「特権」だと思うんです。
当事者の視点を学ぶことで、無自覚な偏見に気づかされることはつらいことかもしれないけれど、その分、誰かを傷つけずに済むかもしれない。
これまで想像できなかった新しい視点を得たと、前向きに捉えて一緒に進んでいけたらいいんじゃないかと思っています。
みなさんが入社1年目から3年以上、自発的に「サイボウズの多様性」について考え、社内に知識をアップデートしていく場をつくって活動し、こうして議論し続けていることは、希望だと感じます。
私たちも完全な正しい知識や正解、具体的な解決策を持ち合わせているわけではありません。会社から「じゃあどうしたいの?」と聞かれてモジモジしちゃうこともある。
ただ一つ言えるのは、サイボウズの「100人100通り」の働き方も、「こう決まっているから」と思考を止めることなく、常にアップデートしていかないといけないということ。
ダイバーシティラ部としてもいちメンバーとしても、違和感や疑問を言葉にして学びながら、サイボウズの「多様な個性」について、ゆるやかに議論を続けていきたいです。
オンライントークイベント『部室でおしゃべり』を開催します。「ダイバーシティラ部」の部員や、多様性理解促進チームのメンバーが社内のD&Iの取り組みなどについてゆるくお話しします。ぜひお気軽にご視聴ください。
日時:6/25(土)13:00-13:30
※開催日以降はアーカイブをご覧いただけます。
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企画・編集:鮫島みな/執筆:徳瑠里香/撮影:尾木司
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