サイボウズ人事部の髙木一史は、「社員が閉塞感を覚えず、幸せに働ける会社をつくりたい」という想いから、初の著書となる『拝啓 人事部長殿』を6月17日に上梓しました。
本書の刊行を記念して、髙木が執筆にあたって大きな影響を受けた専門家にお話を伺うオンライン連続対談(全2回)が実現しました。
第1回目の雇用ジャーナリストの海老原嗣生さんに続く今回のゲストは、歴史社会学を研究する慶應義塾大学総合政策学部教授・小熊英二さん。
さまざまな統計資料をもとに日本企業・社会の構造を考察し、そこから考える大企業のあり方、企業・会社を変えるために一人ひとりができることなど、さまざまな話題で盛り上がった同イベントの様子を一部レポートします。
企業に勤め続けても「なんでも屋」にしかなれない危機感から、学者の道へ
本日、小熊英二さんをお招きしたのは、『拝啓 人事部長殿』で日本の人事制度の変遷をまとめるうえで、小熊さんの著書を参考にさせていただいたのが理由の1つです。
僕がこんなふうに言うのは大変おこがましいのですが、小熊さんの著書はどれも、わかりやすく「正解」を示すのではなく、膨大な資料研究の裏付けをもとに、フラットな事実を提示していくことで、社会全体の対話を促すような内容になっていると思っていて。
今回は小熊さんとの対話を通して、『拝啓 人事部長殿』で述べた提案を若手人事の妄想としないようにできればと考えています。
小熊さん本日はどうぞよろしくお願いします。
ありがとうございます。今回『拝啓 人事部長殿』を拝読したのですが、狙いがハッキリしていて、とても気持ちの良い本だと思いました。
日本の人事システムの歴史を書いた前半部から、いろいろな企業の現場で取材した中盤部、サイボウズのことを振り返った後半部、そして最後の「そもそも何のために生きているか?」という究極の問いまで持っていっている。
一冊の本として、とても完成度が高いと感じました。
小熊英二(おぐま えいじ)。1962年生まれ。慶應義塾大学総合政策学部教授。東京大学農学部卒業後、出版社勤務を経て、東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。著書に『単一民族神話の起源』『<日本人>の境界』『<民主>と<愛国>』『1968』、『社会を変えるには』『日本社会のしくみ』『基礎からわかる 論文の書き方』などがある。
小熊さんからそんな感想をいただけるなんて、とても嬉しいです……!
とくに共感したのは、大企業を辞めるまでの経緯で。というのも、わたしは大学に勤める以前、会社勤めをしていたからです。
日本の会社というのは、大学を卒業したての何もわからない人間がいろんな仕事に携わり、会社の信用でさまざまな人に会えて、勉強ができるという大きな利点があります。
その一方で、ある日突然辞令が出て異動させられ、自分が専門的な勉強をしていたとしても、それが役に立つようなキャリアプランがまったく描けないといった欠点もある。
そんな状態が続けば、自分は何の得意分野もつくれず、「なんでも屋」にしかなれない。そう思い、きちんと勉強をするために会社を休職して大学院に入ることにしました。それが学者になったきっかけの1つです。
いまの雇用システムの利点も欠点も、すごく共感します。
ありがとうございます。また、中盤部では12社の企業の人事事例が紹介されていますが、各社さまざまな努力をしているのだなとあらためて思いました。
厳しいことを言えば、なかにはかつての日本企業の取り組みを復活させただけのように感じるものもありますが、いろんな事例が紹介されているのはとてもいいことだな、と。
そうですね。おっしゃるとおり、これまでにない新しい取り組みだけでなく、かつての取り組みを復活させた事例も多く挙げております。
過去に日本にあった制度でも、現代の文脈に適合させるとどうなるのか。その議論のきっかけづくりができればと思い、今回の12社をご紹介させていただいた形です。
あらためまして、本日は小熊さんの経験や研究をもとに、いろんなお話をお伺いできればと思います。
髙木一史(たかぎ かずし) 。サイボウズ人事本部 兼 チームワーク総研所属。東京大学教育学部卒業後、2016年トヨタ自動車株式会社に新卒入社。人事部にて労務(国内給与)、全社コミュニケーション促進施策の企画・運用を経験後、2019年サイボウズ株式会社に入社。主に人事制度、研修の企画・運用を担当し、そこで得た知見をサイボウズチームワーク総研や日経COMEMOなどで発信している。
安定した大企業正社員と、市況調整を負う中小企業社員・非正規の二重構造
小熊さんは著書『日本社会のしくみ』(講談社)の中で日本社会での生き方について、大企業型、地元型、残余型という3分類で紹介されていますよね。
同著が出版されたのは2019年ですが、コロナ禍などの影響で、今後この構造はどう変わっていくと思われますか?
まずは3分類について簡単に説明させてください。仮に日本に100人いると考えると、その生き方・働き方は大きく以下の3つに分類されます。
<日本社会での生き方3分類>
①大企業型(26人):年功賃金/終身雇用が可能。ただし、転勤も伴うことが多い。女性の場合は専業主婦ないし非婚という限られた選択肢になることもある
②地元型(36人):生まれた市町村で親から受け継いだ家に住み、中小企業や自営業で夫婦共働き。近年は自営業が成り立たずに非正規雇用に就く傾向もある
③残余型(38人):大企業型、地元型に当てはまらないその他(非出生地でさまざまな生き方をしている)。とくに、若い世代で増加している
そして、総務省の『労働力調査』をもとに作成した以下のグラフでは、非正規雇用が増えていますが、正規雇用は大きな増減がないことが明らかになっています。
対して自営・家族従業者は減少しており、おそらく地方を中心に従来なら自営・家族従業者になっていた部分が非正規雇用へ移行しているのだろう、と。
すると、「正規雇用」とそれ以外の「非正規雇用、自営業主・家族労働者」の二重構造の形は変わっていないわけです。
なるほど。この10年くらいで正規雇用が増えているようにも見えますが、これは何か理由があるのでしょうか?
これは多くの識者が指摘しているのですが、女性の介護・医療職が増加したことが大きな理由です。
「医療・福祉」の就業者は、2009年から2021年で約322万人増えています。その背景には、高齢化による介護・医療職の需要増加があります。
また令和2年度雇用均等基本調査によると、「医療・福祉」だけが、課長相当職以上の管理職に占める女性の比率が50%に近い。これは産業による違いが大きくて、製造業は1割に満たない。産業計としては増えてはいるけども、1割を超えたところです。
なので最近、「女性の正社員や管理職が増えている」と言われますが、そのかなりの部分は日本企業の中心部というよりは、介護・医療職などの周辺部で増えているという形容もできるでしょう。
そのほかの職種では、女性の正社員や管理職が増えているとは言えない、と。
増えてはいるけれども、構造そのものの変化といえるかはわからない、ということでしょうか。
さらに着目したいのが、終身雇用・年功賃金は一部の正社員に固定化されている、ということです。
就業構造基本調査をもとに作成した以下グラフを見てみると、「賃金が右肩上がり」の人、および、正社員は1982年から2017年の間ほぼ横ばいで推移しています。
つまり、終身雇用・年功賃金で働いているのは全就業者のうち3割程度、正社員のうち5割程度で昔からずっと変わらない構造が続いているわけです。
有業者総数は1997年まで増えているが、その後は横ばい。対して、雇用者総数はずっと上昇傾向であることから、自営業者数の減少が読み取れる
これまでのデータから推測すると、日本社会では大企業の正社員で年功賃金の人が約3割、自営業から非正規雇用へ移行した人が約4割、中小企業などの正社員で年功賃金ではない人が約3割と考えることができます。
言い換えれば、この「大企業正社員」とそれ以外の「中小企業正社員、非正規雇用」という二重構造はずっと続いているのです。
二重構造が生まれるのは、大企業の安定的な賃金上昇のため
そもそも、この二重構造はどうして生じるのでしょうか?
根本的な理由は、大企業が社員の忠誠心とモラルを高めるために、市況に左右されずに勤続年数で基本給が上がる等級システムを維持しようとしているからでしょう。
そもそも、大企業が賃金の安定的上昇を維持するためには、市況に対応して雇用や発注を調整できる部分がどうしても必要になります。いつでも景気がよいわけではないので。
そこで市況調整を請け負うのが、非正規労働者と中小企業(自営・家族労働者)です。市況に対応して、非正規労働者を雇用・解雇したり、中小企業への外注を増加・減少させたりするのです。
なるほど。非正規労働者と中小企業は、大企業に合わせて変化せざるを得ない状況になっている、と。
そうです。結果、中小企業は売り上げが市況に影響されやすくなりますから、正社員でも業績対応給の比重が高くなる。だから、大企業のように安定的に右肩上がりの賃金を払うわけにいかない。
そうなったら構造的に大企業の正社員と、中小企業の正社員と、非正規労働者の3類型という形にならざるを得ない。この状況は、大企業正社員のあり方が規定要因になっているので、そこが変わらない限り簡単に変えられないでしょう。
こういう構造は、日本以外でも違った形で表れているのでしょうか?
他国にも階層構造はあるけれど、その表れ方が違う。企業が組織である以上は、命令系統に従って階層構造ができます。そのため、命令・管理する人、事務労働をやる人・肉体労働をやる人といった構造はどこの国でも見られます。
ただわたしの理解では、日本が他国と違うのは、肉体労働者や単純事務労働者であっても、正社員であれば一社内で賃金が上がっていくシステムをつくった点です。さらに市況悪化により工場を畳んだり、ある職種を整理することになっても、その人員を異動や転勤をさせて雇用を担保できる人事権の強さも日本の特徴です。
他国では定型職についた場合、熟練度によって賃金が多少上がることはあっても、日本のように上がり続けることはありません。加えて、市況に対応して職務がなくなれば、解雇はやむを得ない。
この日本のシステムは、雇用が維持されたり、現場労働者でも昇給するといった良い面もあった。そこが、高度経済成長期に日本が他国から褒められた所以ではあります。
しかしその雇用維持や昇給は、あくまで一社内の正社員に限られる。つまり、二重構造を強めている原因でもあります。現在は、マイナス面の方が目立っているといえます。
大企業が変わらなければ、社会は変わらない
これまでの話を踏まえて次に伺いたいのが「日本の会社・社会は変わる必要があるのか?」ということ。
僕は会社の中の閉塞感をなくすために変わるべきだと思い、今回書籍を出させていただきました。
一方で、日本の雇用システムの背景を知っていく中で、現行のしくみには若者の失業率を下げていたり、安定的に雇用を維持したりと、良い面もあると知りました。
そもそも、すでに出来上がったしくみを変えるべきなのか。また、もし変えるならどこを変え、どこを守り続けるといいのか。小熊さんのご意見をお伺いしたいです。
わたしは、どこを変えるべきかという議論以前に、まず前提を共有したほうがいいと思うんです。
おっしゃる通り、新卒一括採用は若年失業率を下げる効果があり、終身雇用は雇用維持に役立つなど、良い面もたくさんあります。ただ、みなさんが思っているよりも日本は階層社会なので、その恩恵を受けられる人は多くないんです。
たとえば、2010年代の出生数や進学率などの統計データをもとに考えると、同世代100人のうち大企業に就職できるのは10人、その中で人気上位100社に就職できるのは2人しかいないと図式化できます。
そして、今回髙木さんが『拝啓 人事部長殿』で取り上げている問題は、大企業に就職する10人だけを見ているわけです。
日本の雇用システムは確かに良い側面がありますが、その恩恵を受けられる10人だけを取り上げて「良い」と言ってしまっていいのかという問題があります。
まさにぼくが本を書きながら、一番葛藤したのがそこです。大企業だけが変わっても、社会においてはそこまでインパクトがないのではないか、と。
ええ。とはいえ、インパクトという意味では、日本の大企業が変わらないと他も変わらないんですよ。
それは先にお話したとおり、中小企業正社員や非正規雇用労働者のあり方を決めているのは、大企業のあり方だからです。
いまの日本において一番規定力があるのは大企業。だから社会を変えるなら、まず大企業の改革に注力するのは理にかなっているでしょう。
権力の濫用を避けるためには、会社や社会の透明性向上が求められる
小熊さんは著書の中で、今後日本の会社がどう変わっていくにしても、最低限求められるのは「透明性の向上」だということを書かれていました。
僕もテクノロジーを駆使して、という前置きはありつつ、徹底的に情報共有をして透明性を高めていく企業が増えると、日本社会はより良くなるのではないかと考えています。
ここで3つ目の質問として、小熊さんの考える「透明性の向上」についてあらためてお伺いしたいです。
『拝啓 人事部長殿』を読んでいて一つ感じたのは、「日本企業は日本社会の産物だ」ということです。つまり社会が変わると、企業も変わらざるを得ないのです。
髙木さんが書籍の中で書いているように、いまは経済成長が止まり、社会がインターネット型になってきている。にもかかわらず、企業側は1950〜70年代にできたシステムから、なかなか転換ができない。
このシステムには無理が来ているので、日本の社会の実態に即したシステムにする必要がある。そうしないと、システムの長所よりも、マイナス面の方が目立っていくばかりでしょう。
日本社会の変化に合わせて、実際すでに変化し始めている企業があるので、ほかの企業も少しずつでいいから社会に合わせて変化していくべきだ、と。
ええ。ただ、何かを変えるというのは諸刃の剣で。これは歴史の教訓ですが、新たな制度が権力を持っている側にとって、都合のいい口実として使われることも多い。
たとえば、「人事権は強いけれど解雇はする」といった、経営側にとってだけ有利な組み合わせが唱えられたりする。
そうしないためには、透明性を確保しなきゃいけない。何か不満・問題があった際に、みんながすぐわかるような仕組みです。それは一社の中だけではなく、社会全体でそうであるべきだと思います。
今後どんなふうに社会・会社が変わっていくにしても透明性があれば、権力を持たない層が一方的に不利益を被ることは避けられる、と。
一方で、社会・会社を変えるのはものすごいパワーが必要で、とくに一人だと無力感を抱きがちだと思います。社会・会社を変えるうえで、いま一人ひとりができることは何かあるのでしょうか?
単純なようだけれど、「声を上げる」ことです。これは抗議活動をするということだけでなく、「こういうことで困っている」「こんな問題に直面している」ということを一人で抱え込まないで、公開することを含みます。
この行動は透明性の確保につながることであり、誰でもできることです。そして、声を上げたら話を聞いてくれる人がいる、共有してくれる人がいるという、透明性のもう一つの側面をお互いが感じられるようにすることも必要です。
髙木さんの書籍にも「一人では変えられないのではなく、むしろ一人だったから変えられなかったんだ」と書かれてありましたよね。これはすごく大事なことです。
一人で抱え込まないで、自分がどう困っているかを、まず会社の中で共有すること。かつ、誰かが声を上げていたら耳を傾けること。それがいま、わたしたち一人ひとりにできることだと思います。
とても共感します。サイボウズでは入社数か月のタイミングで「もやもや共有ワーク」と言って日頃の仕事でモヤモヤすることをアプリに登録し、ざっくばらんに話す会があるのですが、そこから会社の歪みが見えてくることがあります。それを人事施策に反映することがよくあり、改善につながっていると感じます。
小さなことかもしれませんが、あらためてそうした「声を上げる」「耳を傾ける」ことができるしくみづくりをしていきたいと思いました。
社会の変化とテクノロジーの発展など、現代の文脈において変化し始めている日本企業
最後にそれぞれ本日の感想を一言ずつお話しして、締められたらと思います。
小熊さんからもお話がありましたが、『拝啓 人事部長殿』で取材させていただいた企業の中には、かつて日本企業が取り組んでいた人事制度にもう1回取り組んでいる事例も多くあります。
ただ、そこに社会状況の変化やテクノロジーの進化が加わることで、日本企業からまたいろんな工夫が生まれ始めてきているのではないかと感じています。
今回の対話を通して、あらためて自分の頭の中が整理され、とても有意義な時間になりました。ありがとうございました。
冒頭で話したとおり、『拝啓 人事部長殿』は、「これが書きたい! 言いたい!」という意図がよく伝わってくる、読んでいてとても気持ちのいい本でした。みなさんもぜひ他の人へ共有していただければと思います。
あらためて、こういう場を用意していただいたサイボウズ式ブックス、また、本日ご参加いただいたみなさん、ありがとうございました。
『拝啓 人事部長殿』(著:髙木一史)
トヨタを3年で辞めた若手人事が、「どうすれば日本の大企業の閉塞感をなくせるのか?」という問いを掲げ、その回答を手紙形式でまとめた1冊。12社への制度事例の取材、日本の人事制度の歴史、サイボウズの変革の変遷を学ぶなかで見つけた「どうすれば会社は変わっていくことができるのか?」「これからの組織に必要なものはなにか?」を提案しています。
企画:高部哲男(サイボウズ)/執筆:中森りほ/アイキャッチ撮影(髙木のみ):栃久保誠/編集:野阪拓海(ノオト)
20代、人事と向き合う。
人事の仕事とはなんでしょうか? サイボウズの20代若手人事の髙木一史は、人事の仕事は「会社の理想と個人の幸福を両立させること」だと先輩たちから教わってきました。しかし、いま会社の理想も、個人の幸福も多様化し、唯一の正解を見つけづらい時代になってきています。そんな中で、これから会社はどう変わっていったらいいのでしょうか。6月17日に人事に関する書籍『拝啓 人事部長殿』を上梓した髙木が、若手なりの視点で掘り下げます。
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