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仕事も子育てもワンオペ。私を救ったのは「家族をひらく」家づくり

この記事のAI要約
Target この記事の主なターゲット
  • ワンオペ育児に悩んでいる人
  • 家族の在り方や子育ての方法を模索している人
  • 自立や安心について考えたい人
  • フリーランスとしての働き方を考えている人
  • 家族との関係性を見直したいと考えている人
Point この記事を読んで得られる知識

この記事を通じて読者が得られる知識は、家族の在り方や自立について考える上で、安心できる「実家」や「家族」をどのように形成するかという具体的なアプローチです。徳瑠里香さんが家を建てた経験を通じて、子育てや家庭内の安心が、子供の自立の基盤となるという考えについて語られています。記事では、家族という枠を超えたコミュニティの重要性や、ワンオペ育児の困難をどう克服するかが描かれています。

さらに、仕事や家族の原動力となる安心感を育むために、家を開かれた存在にし、様々な人との信頼関係を構築することの意義が示されています。これには、現代的な核家族のあり方を、親族以外のつながりによって補完する試みが含まれています。また、フリーランスとして働く中での不確実性と自己管理の必要性についても触れられ、自分の心身を大切にしながら頼り合える関係を築くことの大切さが強調されています。自立には必ずしも完璧な安定基盤があるとは限らないけれど、安心できる関係を培い、変化に柔軟に対応していく姿勢が重要であると考えられます。

Text AI要約の元文章
家族と仕事

仕事も子育てもワンオペ。私を救ったのは「家族をひらく」家づくり

フリーの編集者・ライターの徳瑠里香さんに、「自立」をテーマにコラムを執筆していただきました。

いつでも帰ってこられる“実家”をつくる

私ごとですが、最近、家を建てました。自分たちが家を建てるなんて思ってもみなかったけど、中古マンション探しからスタートして、大きな買い物ゆえ「これでいい」ではなく「これがいい」を選んでいった結果、そこに行き着いたのです。

建築家の友人に設計を依頼した2年前。日常の情景、家族の暮らしについて、妄想と現実を行き来しながら具体的なシーンを描いて、私が勢いでPCを叩いた一編の文章を起点に、家づくりが始まりました。

そこから導き出された、我が家のコンセプトは「実家2.0」。実際に我が家には、大黒柱、土間、床の間、格子天井など、昔ながらの民家、“実家”をイメージする要素が散りばめられています。

真っ新な土地に家が建ち、そこに暮らす今も続く「実家2.0」プロジェクトのテーマは、「娘が安心していつでも帰ってこられる“実家”をつくること」。

現在5歳の娘は、一丁前の人間で、同じ場にいながら私とは違う目線に立っていて、「こんなふうに世界を見つめているのか!」と些細な言動に驚かさせることもしばしば。これからきっと多くの出会いや経験を得て、私には想像も理解もできないような自分の世界をひらいていくのでしょう。

とはいえまだまだ続く子育て。娘が社会に出て「自立」するその日まで、その時々に必要な距離を保ちながら、伴走していきたいと思っています。

内に「安心」があってこそ、外へ「自立」していける

では、「自立」ってなんだろう? 娘が「自立」していくために、何ができるだろう?

私は、「自立」は、何かあったときに、何もなくても、ふらっと帰れる場所がある、頼れる人がいる、そんな「安心」があってこそ成り立つものだと考えています。

挑戦して失敗しても、また戻ってやり直せばいい。たとえ嫌われても、あの人は好きでいてくれるだろう。心が疲れたら、ここでひっそり羽を休めればいい。そんなふうに何か一つでも「だから、私は大丈夫」と思えるような安心があってこそ、自立していけるんじゃないか、と。

私が娘にいちばん差し出したいのは「安心」。世界を信じて、いつか、どこへでも駆け出していって(疲れたらふらっと帰ってきて)ほしい。娘にとって、私たち親や暮らす家は「当たり前にそこにあるもの」でありたいと願っています。

あくまでこれは私たち親の勝手なエゴであって、娘が家に安心を感じるかどうか、帰ってきたくなるかどうかは、あずかり知るところではないけれど。

家がたとえ安心できなかったとしても、歌でもダンスでもアニメでもなんでも、自分を解放できる好きなことを花束にして、自分の居場所を見つけていってくれたらいいな(と思うけど、またそれは別の話)。

食卓を囲んで、家族をひらく

私たちは、娘の「自立」を支える「安心して帰ってこられる実家」を家族だけで築こうとは思っていません。

娘の命の危険性が常に伴う2歳頃まで、その後のコロナ禍も、マンションの一室でいわゆる「ワンオペ育児」に悲鳴を上げ、発狂寸前だった私。

娘が生まれると同時に組織に属さないフリーランスになったこともあり、仕事も育児も「がんばらなくちゃ」と勝手にひとり背追い込んでは息切れして、娘が生まれても働き方が一切変わらず出張も多く帰宅が遅い夫に「なんで私ばっかり!」と怒りをぶつけていました。

出張や残業が多い“男性的な”社会の働き方も、その中で培われてきたワーカーホリックな夫の性質も、自分の力ではすぐには変えられない(娘のために変えていきたいし、変わり始めていることもあるけれど)。

そう悟った私は、以来ずっと、自分たちだけで子育ての困りごとを解決しようとせず、周囲の人たちに頼って「家族をひらく」ことを実践しています。

家をつくるときのサブテーマは「食卓を囲んで、家族をひらく」。つまりは「ごはんをつくるから遊びに来て〜」「一緒にごはんを食べよう!」ということです。ワンオペ育児中やコロナ禍に欲していたのは、誰かと交わす、なんてことはないおしゃべり。そうしたささやかな時間を守っていきたいのです。

愛知の片田舎で生まれ育った私にとって、祖父母、親、きょうだい、親戚、ときには友だちも混ざって、老若男女が集う「賑やかな食卓」は家族の原風景でもあります。

大人が料理や片付け、おしゃべりをしている目線の先で、子どもたちが遊ぶ。親やきょうだい、家族との密で近しい関係だけでなく、親戚や地域の淡くゆるやかな関係の中に、子どもだった私たちがいました。

自分が親になってワンオペ育児を経験しなおさら「子育てはひとり、家族だけでするものじゃない!」ということが身に染みています。

だから、都会に暮らす核家族として、親族以外の友人たち、近所の人たち、保育園や習い事の先生……周囲の人たちと濃淡ある関係性を培って「家族をひらいていきたい」。その意思を表明するように、我が家の前面には街に開かれた大きな窓をつけました。

「実家2.0」プロジェクトは、親族を中心とした田舎の大家族の“実家”像を、親族以外の濃淡と流動性のある関係性の中で、東京の核家族版にアップデートする試みでもあるのです。

実際に、新しい家に引っ越してきてから、近所の家に夫の実家愛媛から届くみかんを配ったり(お花やお米をもらったり)、ママ友に「うちにごはんを食べにこない?」と声をかけたり(イベントに誘ってもらったり)、友人たちは週末、頻繁にごはんを食べに来てくれています(おやつやお酒を持って)。

その中で娘は、同じくらいの年の子たちと喧嘩して仲直りをして、親とは仕事も価値観も性格も違う大人の友だちに新しい世界を教わって、「育っている」ように思います。

仕事も家族も、想像力を働かせて、頼り合える関係を

ここまで家族の話をしてきましたが、自分の力を発揮して働き続ける、仕事のうえでの「自立」においても、「安心」は基盤となって支えてくれる気がします。

フリーランスで働く私に、組織の後ろ盾はなく、いつ食べていけなくなるかわかりません。所属や契約によって保証される「安心」がないからこそ、自分でその基盤をつくっていかなくちゃいけない。

だからこそ、焦りと不安から、自分のキャパシティ以上の仕事を引き受けて心身を蔑ろにしたこともありましたが、歳を重ねて「無理は続けられない」ことは体が知っています。

仕事上の「安心」の基盤、その先にある「自立」は、能力や実績、稼ぎなど、目に見える成果に裏打ちされるところもあるけれど、同時に、目には見えない「頼り合える信頼関係」も、欠かせないピースだと思うのです。

そこで実験しているのが、少しずつ「自分をひらく」こと。

たとえば私は今、不妊治療をしています。働きながら治療を続けることは、聞いてはいたけど、想像を超えて大変です。頻繁に病院に行かなければいけないし、ホルモンに振り回され生理に落胆し、気分も体調も激しく波を打つ。淡々とやっていこうと心構えていても、やってもやっても出ない結果に、心身が削られる感覚が降り積もっていく。

とにかくスケジュール管理が難しく、一度、仕事相手に直前に調整の相談をしたことがありました。

自分ひとりでなんとかしようと、ギリギリまで仕事を抱え込んでいたんですが、病院が長引いて間に合わず、事情を打ち明けたら、労わりの言葉とともに、調整してくれることに。最初から事情を話して相談しておけばよかったなと反省。同時に、緊張の糸がすっとほどけたような安心感に包まれました。

自分が引き受けた仕事は「自分の責任だから」と頑なになっていたけれど、チームでやる仕事であれば、どうにもならないときは、その「責任」を少しだけ手放してもいいのかもしれない。

そしてそれは「信頼」を手渡すことにもなるのかもしれない。受け止めてくれる、任せられる、という相手への信頼がないとできないことだと思うから。そんなことを感じて以来、話せる仕事のパートナーには、必要に応じて、正直に事情を伝えるようにしています。

誰も彼もが家庭や心身の事情をオープンに伝える必要はもちろんないと思います。私自身も、仕事相手に自分の事情を伝えることは、甘えなんじゃないか、気を遣わせてしまうんじゃないか、といった躊躇いもあります。

ただ、ひとりで抱えていたことをチームに共有したことで、相手も事情を伝えてくれて、「困ったときはお互いさま、頼り合いましょう!」という前向きな結束のようなものが生まれたように感じています。

言葉にしなくても、生理や更年期、育児や介護、心身の不調など、自分の周囲の人たちがその最中にいるかもしれないし、いつか自分がその当事者になるかもしれない。

そうした想像力を持ったうえで、いざというときに「頼り合える関係」がともに働くチーム内にあれば、「安心」が醸成されていくのではないか。そしてその先に、一人一人が力を発揮できる「自立」が成り立つんじゃないか、と思うのです。

揺るがない安心の基盤は、きっとないからこそ

自立をテーマに書いていったら、「安心」の話になりました。この原稿を今新しい家でひとりで書いていますが、(娘より先に)安心の基盤を得たのは私自身かもしれません。

その安心の正体は、一つ、家づくりの過程で、理想の生活から家族のあり方、在宅ワークの働き方、お金の流れまで、どうありたいかに想いを巡らせ、家族と共有できたことかなと思います。

目には見えない意思や願いを改めて言葉にして、それを実装する場としての「家」を建築家や大工職人がかたちにしてくれました。その家で、自分が大事にしたい当たり前の生活を、当たり前に、淡々と積み上げていく。刺激や大きな変化はないかもしれないけれど、そうした日々に、どこか安心を感じているような気がします。

そしてもう一つは、「うちにおいでよ!」と言いやすくなったことで、家を起点に新しい地で、淡い関係性が広がっていること。保育園のママ友、友人、仕事仲間、友人の友人。ゆるやかにつながる人たちが我が家に遊びにきてくれて、普段はあまり意識することはないけれど、自分たち家族が、自分たちだけで成り立っていないことを実感します。

家族それぞれに、複数の依存先とも言えるつながりがあることで、それぞれが自立し、バランスを保てているような気がするのです。

とはいえ、揺るがない安心の基盤はきっとないし、家族や仕事のチームづくりに完成形はなく、ずっと続いていくのだと思います。

人に頼り頼ってもらいながら、「自立」の花を咲かせる「安心」の種を身近なところに蒔き、育てていきたいです。

執筆・撮影:徳瑠里香/企画・編集:深水麻初
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執筆

ライター

徳 瑠里香

出版社で書籍、WEBメディアの企画・編集・執筆を経て、ご縁のあった著者の会社でPR・店舗運営などを経験。その後、独立。

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編集

編集部

深水麻初

2021年にサイボウズへ新卒入社。マーケティング本部ブランディング部所属。大学では社会学を専攻。女性向けコンテンツを中心に、サイボウズ式の企画・編集を担当。趣味はサウナ。

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