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1on1、雑談タイム──これらが失敗に終わるのはなぜか

この記事のAI要約
Target この記事の主なターゲット
  • ビジネスリーダー
  • マネージャーや管理職
  • 人事担当者
  • 組織改革に興味がある人
  • 職場の生産性向上を目指すエンジニア
Point この記事を読んで得られる知識

この記事を読むと、組織における改善施策が思い通りに成果を上げない理由や、その背後にある構造的問題を理解することができます。善意から始まった取り組みが、実際には新たな負担を生むことがある点が探られます。特に、組織の設計が重要であることが強調され、善意が空回りする前に効果的な制度設計が必要であると指摘されています。

チームの成功を個人の資質だけに依存するのではなく、制度そのものが重要な要素であり、適切なルールと仕組みが善意を支えるという考えが示されます。また、情報の共有やフィードバック制度の構築が、善意の補完に必要である点についての具体例が述べられています。さらに、リーダーシップや組織運営では、状況に合わせた適切な制度設計の必要性が強調され、組織としての成長や効率化に不可欠な要素として紹介されています。

Text AI要約の元文章
カイシャ・組織

1on1、雑談タイム──これらが失敗に終わるのはなぜか

話題の人気ブログ「おい、」シリーズの著者で、ソフトウェアエンジニアのnwiizoさんによる新連載「生産性を取り戻せ」。この連載では「仕事の生産性」をあらゆる角度からとらえ、チームで生産性を高めていくためのヒントを探っていきます。

第4回は「組織において“善意”が毒になるとき」について考えます。

はじめに

あるリーダーが悩んでいた。

「チームの心理的安全性を高めよう」と決意したらしい。1on1を週次に増やした。金曜の午後に雑談タイムを設けた。Slackに「何でも相談チャンネル」を作った。チームの全体ミーティングで「何でも言っていいよ。ここは安全な場所だから」と繰り返した。

3ヶ月後、チームは前より息苦しくなっていた。

週次の1on1が「義務」になっていた。話すことがない週も30分埋めなければならない。「何でも言っていいよ」と言われるほど、「何を言えばいいかわからない」と感じるメンバーが増えた。善意で始めた取り組みが、新たな「見えない負荷」になっていた。

善意は嘘ではない。このリーダーは本当にチームのことを考えていた。しかし、善意だけでは、構造を変えられなかった。むしろ、善意が新しい構造的問題を作っていた。

他人事として聞いていられる話ではありませんでした。私自身、似たような失敗を何度もしています。善意があれば、なんとかなると思っていました。しかしそうはならないのです。

ならないのはなぜか。この問いに向き合ってようやく見えてきたのは、善意と結果の間には「設計」という層があるということでした。

良いチームを作るのは「良い人」ではない

「良い人がいれば良い結果が出る」──私たちは無意識にそう信じています。冒頭のリーダーも、たしかに「良い人」でした。

しかし、この前提は間違っています。良い人の集まりでも、制度が悪ければ悪い結果が出ます。逆に、普通の人の集まりでも、制度が良ければ良い結果が出ます。つまり、チームの結果を決めるのは「個人の善悪」ではなく「制度の設計」です。

ここで1つ断っておきます。2〜3人の立ち上げ期や、数週間で解散するPoCチームでは、この話はあまり効きません。制度を整える前に終わるからです。制度論が効くのは、同じ顔ぶれで数ヶ月以上続くチームです。この記事が想定しているのはそちらです。

組織改善の議論でよく見かける誤りがあります。組織を機械のように捉え、部品を入れ替えれば出力が変わると考える発想です。「このチームにシニアを1人入れれば生産性が上がる」「プロセスをこう変えれば効率が改善する」。工場の生産ラインなら正しいかもしれません。

しかし、チームは機械的ではありません。チームに人を加えると「組織図」は変わりますが、組織の課題は解決しません。

冒頭のリーダーも「週次の1on1」「雑談タイム」「相談チャンネル」と、仕組み自体は作っていました。それでも息苦しさを生んだのは、仕組みの「形」はあっても「中身」が決まっていなかったからです。

1on1で何を話すのか。相談チャンネルで何を相談すればいいのか。雑談タイムには何を持ち込まないと約束するのか。そこが空白のまま、器だけが置かれていた。「器を置けば中身が自然に湧いてくる」と期待していたのです。

しかし、空っぽの器は「何を入れるか」を毎回個人に考えさせる負荷に変わります。冒頭で「話すことがない週も30分埋めなければならない」という声が出たのは、まさにこれです。

善意が機能する「設計」とは

人を入れ替えても変わらなかった。では、何を見直せばよかったのか? 答えは、市場経済が長年向き合ってきた失敗のパターンと、驚くほど似ていました。

市場が健全に機能するには、いくつかの前提条件が要ります。

全員が同じ情報を持っていること。ある人の行動の結果が他の人にも見えること。みんなで使う資源がきちんと供給されること。この前提が崩れないように、社会は法律や規制で矯正してきました。つまり倫理とは、こうした失敗を構造的に補正する設計のことだと考えると、話が一気にチームに繋がります。

チームで「失敗」が起きる構造も同じです。情報が偏り、マネージャーだけが全体を把握している。ある人の残業が、別のメンバーの作業を気づかぬうちに上書きする。一部の人の努力に、全員が無自覚に寄りかかる(ただ乗り、フリーライダー)。

これは個人の善悪ではなく、チームの設計の問題です。改善するには「善意」ではなく、失敗を補正する「設計」が必要です。

ただし、市場とチームには決定的な違いがあります。

市場には、価格や売上というフィードバック機構があります。それらの指標が下がればすぐに問題が分かります。しかし、チームの「失敗」はそうはいきません。じわじわと、メンバーの疲弊やモチベーションの低下という形で、数ヶ月かけて表面化します。

だからこそ、チームの制度設計は、市場の制度設計より難しい。フィードバックが遅い領域で、構造の歪みを早期に検知する仕組みが必要になります。

冒頭のチームリーダーに戻ります。このリーダーは「良い人」でした。善意も本物でした。しかし、善意を制度に落とし込めていませんでした。「何でも言っていいよ」は美徳の表明であって、制度の設計ではありません。

善意だけあっても、それを形にする仕組みがなければ、個人のがんばりで終わります。「この場では何について話すか」「批判はどう行うか」「発言しないことも許容されるか」といった具体的なルールがあって初めて、善意は機能するのです。

善意の押し付けも放任主義も機能しない

では、善意を制度に落とし込むには、具体的にどうすればいいのでしょう? よくあるのは次の2つのアプローチですが、どちらも正しくは機能しません。

善意をそのまま持ち込む「天使の道」──日常の道徳感覚をそのまま組織に持ち込むこと。「みんなで仲良く」「助け合おう」「思いやりを持とう」。善意の押し付けです。冒頭のリーダーがやったのはこれです。家庭や友人関係のルールを、チームにそのまま適用しました。しかし、チームは家族ではありません。チームには目的があります。目的に向かって機能するための構造が必要です。

結果さえ出ればいい「悪魔の道」──法律やルールに違反しなければ何でもOKという放任主義。「結果さえ出せば、やり方は問わない」。個人KPIを与えて、あとは放置します。第2回の連載で見た「協力の破壊」を生むような構造です。

現実のチーム運営は、この2つの極端の間にある「制度設計された中間地帯」にあるべきです。

善意を前提としつつも、善意だけに頼らない。ルールで縛りつつも、ルールだけで動かさない。言い換えれば、「頼れる善意を仕組みに織り込み、頼れない部分をルールで補強する」という発想です。

たとえば、「お互いにフィードバックしよう」は天使の道です。「フィードバックの頻度を個人KPIにしよう」は悪魔の道です。制度設計された中間地帯とは、具体的なルールを持った仕組みです。

月に一度、同僚同士の相互評価(ピアレビュー)の場を設けます。フィードバックは行動に対してのみ行い、人格には触れません。受けた側がアクションを決めます。

しかし、こう書くと制度設計が万能に見えますが、そうではありません。

制度には必ずコストがあります。ルールが増えれば柔軟性が減ります。仕組みが増えれば維持の負担が増えます。制度設計の罠は、制度を作ること自体が目的になることです。第2回の連載で見た「計測が目的になる」と同じ構造がここにもあります。制度は手段であって目的ではありません。

「制度」だけでは善意が空回りする

ここまで読んで「人の善意を制度で管理するなんて冷たい」と感じる方もいるでしょう。しかし、制度は善意を構造化するものです。人間を信頼しないから必要なのではなく、「この人が辞めても残したい良さ」を保存するための仕組みです。

冒頭のチームリーダーを思い出してください。善意から1on1を設計しました。そのリーダーが異動したら、1on1は消えます。善意が個人に属しているからです。しかし、「月次の構造化されたフィードバック」が制度として存在すれば、リーダーが変わっても残ります。

制度に埋め込まれた善意は、人が変わっても残ります。 個人の善意に依存するチームは、その人が抜けると崩壊します。制度に善意を埋め込んだチームは、誰が入っても機能します。

ただし、ここで慎重に区別すべきことがあります。「制度化する」ことと、「善意を埋め込む」ことは、似ているようで別です。週次の1on1を義務化しても、それが「誰のための時間か」を決めていなければ、制度は空回りします。冒頭のチームリーダーがまさにそれでした。

1on1には奇妙な非対称性があります。マネージャー側にいると、自分の1on1は「まあ、それなりにうまくやれている方だろう」と感じます。月曜の夕方、1on1を終えて自席に戻り、「今日はいい話ができた」と手応えを感じる。

ところが、同じ時間を部下の側から眺めると、驚くほど違う景色が残っています。「聞かれていたのは自分の状況ではなく、上司が聞きたかったことだけだった」「結論は最初から上司の中で決まっていた」——そういう声は、退職時や転職後の雑談で、ぽろりと漏れてきます。

マネージャーにとっての「いい話ができた30分」が、部下にとっては「上司の自己確認に付き合わされた30分」として記憶されている。同じ時間のはずなのに、残る感覚がまるで違う。この評価ギャップは、善意が空回りする構造の典型です。

1on1が「マネージャーのための時間」になっているとき、部下にとってそれは義務でしかありません。制度だけあっても、注ぎ込む善意がなければ、ただのルールになって形骸化してしまいます

制度は、閉ざされた回路を外から強制的に開ける仕掛けです。月次のアンケートで部下の実感が自動的に集まる。評価の指標が「マネージャーの手応え」ではなく「部下の受け取り方」になる。個人の内側に「疑うモード」を期待する代わりに、組織の外側に「疑いを強制する場」を置きます。

善意では辿り着けないところへ、制度が連れていってくれます。制度の本当の役割は、人を縛ることではなく、人が一人では入れないモードに連れていくことです。

「間違うかもしれない」という前提を置く

では、「疑うモードに人を連れていく制度」とは、具体的にどんな形をしているのか。

私がこれまで、技術顧問や業務委託でいろいろなチームや組織に関わってきた中で、「ここは疑う力が組織として機能している」と感じた現場には、共通する特徴が3つありました。n=数十社の観察で、統計的な話ではありません。それでも、繰り返し目にしたものだけを書きます。

①悪い情報が自然に上流へ流れる経路があること

障害の予兆、違和感、「なんか変だな」という感覚──こうした言語化しにくい情報ほど、組織の中で最初に消えます。「こんな小さなことを報告していいのか」と躊躇させる雰囲気だけで、情報は止まります

私が印象に残っているのは、障害報告の件数が「多い」ことを良しとするチームでした。小さな違和感まで報告され、小さなうちに拾い上げられる。報告件数の多さを誇れる組織は、実は疑う力が一番強い組織でした。逆に「うちは障害が少ないです」と自慢する組織ほど、大きな障害が起きたときの驚きが深い。

②「前にも見た」で片付けない習慣があること

熟達した人ほど、目の前の現象を過去のパターンに当てはめて即断します。効率という意味では正しい。しかし、その即断が新しい兆候を見落とさせる。私自身、何度もこれをやりました。「ああ、あのパターンだろう」と判断してしまって、後から「今回は違った」と気づく。

この罠を避けている組織では、熟達した人ほど「今回は何が違うか」を自分から問いに行っていました。効率と引き換えに、疑いの余地を確保する

しかも、これは個人の性格ではなく、組織の習慣として共有されていました。新人がベテランに「それ、前のケースと同じですか」と無邪気に聞ける文化。ベテランが「言われてみれば、ちょっと違うな」と立ち止まれる文化。2つで1セットです。

③上の人が「自分は間違うかもしれない」と口に出せること

これが決定的でした。3つの中で一番効くのが、これです。

制度を整えても、ルールを書いても、トップが信念を守るモードに固まっていると、その組織に新しく入った人は数ヶ月で同じモードになります。空気が人を染めます。逆に、トップが率直に「自分もよく分かっていない」「あの判断は間違ったかもしれない」と言える組織では、下の人の言葉が変わります

「実は気になっていることがあって」「ちょっと確認したいんですが」という声が増えます。上の人が先に謝ることで、下の人が安全に疑えるようになる。これは制度というより、制度を運用する人の姿勢の問題です。しかし、その姿勢を「運」に任せず、採用や昇進の基準に組み込めるなら、それはもう制度の一部です。

これら3つに共通するのは、「自分たちは間違うかもしれない」という前提が、個人ではなく場の側に埋め込まれていることです。

チームでも、組織でも、そこに埋め込まれた前提が人の振る舞いを引き出します。個人の善意や熟練に頼るのではなく、構造として「疑う力」が埋め込まれている。これが「制度に善意を埋め込む」ということの具体像です。

制度が善意を奪うこともある

ここまで、善意と制度の関係について述べてきました。善意だけあっても、それを形にする仕組みがなければ、個人のがんばりで終わります。制度だけあっても、注ぎ込む善意がなければ、ただのルールになって形骸化する。両方が揃って、ようやくチームは機能します。

ただし、制度が善意を奪う瞬間もあります。過剰なルールが「この程度のことも自分で判断させてもらえないのか」という不信感を生むとき、善意は制度に流れ込む前に、メンバーの中で静かに冷めていきます

私自身、これを身をもって経験しました。以前あるチームで制度を整備しすぎた経験があります。コードレビューのルール、会議のフォーマット、意思決定のフローなど、すべてを明文化しました。2ヶ月後、メンバーに言われました。「この程度のことも自分で判断させてもらえないんですか?」。

「個人に依存しない構造」は、裏を返せば「個人の裁量を制限する構造」でもあります。制度が強すぎれば、メンバーの自律性が奪われます。

第1回の連載で見た「トップダウンの意思決定」が制度の名のもとに正当化されます。制度設計には常にトレードオフがあります。自律性と予測可能性のバランスを取り続けることが、制度の運用です。設計した瞬間に完成するのではなく、使いながら調整し続けるものです。ソフトウェアと同じで、制度にもメンテナンスが要ります。

あなたのチームの制度は、最後に誰が、何のために見直したか、答えられるでしょうか。答えられないなら、その制度はすでに形骸化に向かっているかもしれません。

おわりに

冒頭のチームリーダーに戻ります。

「何でも言っていいよ」は善意だった。しかし、善意だけでは、構造を変えられなかった。その後、このリーダーは制度を設計しました。「何でも言っていいよ」を、「この場では今月の課題について話す。批判は歓迎するが、人格への攻撃はしない。発言しないことも選択肢として認める」に変えた。

変えたのは、空気ではなくルールです。「安全な場所だから」という抽象的な宣言ではなく、「何について」「どのように」「何をしないか」を具体的に決めた。制度化した。

空気が変わった。正確に言えば、空気に依存しなくなった。リーダーの機嫌にかかわらず、同じルールで場が運営される。メンバーは「今日のリーダーの顔色」を読まなくていい。ルールが安全を保証しているからです。

ただし、この制度が機能し続けるかは別の問題です。先ほど「制度に埋め込まれた善意は人が変わっても残る」と書きましたが、何もせずに残るわけではありません。半年後にメンバーが入れ替わったとき、ルールの「なぜ」を知る人がいなくなれば、ルールは形骸化します。制度には「なぜこのルールが存在するのか」という文脈の伝承が不可欠です。

制度を設計する視点を手に入れると、チームの見え方が変わります。「あの人が良いリーダーだから」ではなく「あのチームの制度が良いから」と考える。個人ではなく構造を見る視点が、制度設計の領域にまで拡がりました。

善意は、制度に預けたほうが、長く生きる。ここまでが今回の話です。

ただし、制度は「何のために」設計するのかに答えなければ、また形骸化します。最終回では、最も根本的な問いに踏み込みます。あなたのチームは、何のために存在するのか。

最終回を読む

参考資料

  • Joseph Heath『Ethics for Capitalists』Friesen Press、2023年3月(邦訳『資本主義にとって倫理とは何か』庭田よう子訳、慶應義塾大学出版会、2025年9月)
  • Daron Acemoglu,Simon Johnson『Power and Progress』PublicAffairs、2023年5月(邦訳『技術革新と不平等の1000年史』鬼澤忍・塩原通緒訳、早川書房、2023年12月)
  • ↓連載第3回の記事はこちら

    2026年5月19日全員が正しいのに何も決まらない会議の正体

    ↓連載第2回の記事はこちら

    2026年4月23日数字は「嘘をつける」──KPIがチームの協力を破壊する構造的な理由

    ↓連載第1回の記事はこちら

    2026年4月16日「あの人さえいなければ」──この誤診が、チームの生産性を下げる

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    執筆

    ライター

    nwiizo

    インフラ運用の現場で鍛えられ、現在は株式会社スリーシェイクのソフトウェアエンジニア。技術書翻訳を複数手がけ、nwiizoとしてブログ「じゃあ、おうちで学べる」を運営中。

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    編集

    編集部

    深水麻初

    2021年にサイボウズへ新卒入社。マーケティング本部ブランディング部所属。大学では社会学を専攻。女性向けコンテンツを中心に、サイボウズ式の企画・編集を担当。趣味はサウナ。

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