本特集『「ふつう」を、問い直してみよう。』では、サイボウズ式ブックスから発売された書籍『山の上のパン屋に人が集まるわけ』をきっかけに、さまざまな人と一緒に「ふつう」について考えていきます。
今回のテーマは、子育てや家族との関係性において、自分が健やかでいられる「ふつう」をどう育み、どう守っていけばいいのか。子育てをしながら、コピー、エッセイ、脚本など書くことを生業にする夏生さえりさんに、話を聞きました。
理想のお母さん像とのギャップ
さえりさんは、2歳の息子さんと暮らしていらっしゃいます。子育てをする中で、「もっと◯◯がふつうだと思っていた」という発見はありましたか?
自分が妊娠・出産を経験する前はぼんやりと、赤ちゃんを抱いて優雅に微笑む聖母マリアのような母子像をイメージしていたんです。
でも、実際に子育てをしてみて、「ほんとにあんな人いるの!?」って思ったんですよ。
妊娠中も産後も心身が乱れ、私はあんなふうに穏やかには過ごせなかった。自分の経験や友人たちの話からも、頭の中にいた母性あふれる母親像は幻想だったんだと気づいたんですよね。
夏生さえり(なつお・さえり)。ライター。青山学院大学心理学科卒業後、出版社に就職。その後、web編集者に転職し、2016年にフリーライターとして独立。エッセイ、ショートストーリー、脚本、コピーライティングなど、文章にまつわる活動は多岐に渡る。
たしかに! もともと、“いいお母さん”像のようなものは抱いていましたか?
私にとっての“いいお母さん”像は、母でした。母は専業主婦だったので、嫌なことがあった日も悩んだ日も帰ればいつも家にいてくれた。それが当たり前だと思っていました。
でも大学生になって上京して、友だちや先輩、いろんな家庭の働き方や考えに触れるなかで、私は専業主婦ではなく働きたいと思ったんです。自分の性質的にも、母のようにはなれないなって。
いい意味で母という身近なロールモデルを手放し、母と自分の間に線を引けるようになりました。
みんなと「せーの」じゃなくても、自分のペースで進めばいい
そこから新たなロールモデルを見つけたり、世間の「ふつう」にとらわれることはなかったですか?
大学時代に、母になることも含め世の中の「ふつう」を手放すきっかけとなった出来事があって。
就活の波に乗れず、1年間山口県の実家に引きこもっていたんです。「私、がんばってくるよ」って決意して東京に向かったけど、やっぱり復学はできないっていうのを2回くらい繰り返して。
同級生は卒業して就職する時期だったので、Facebookを開いては、なんで私はみんなと同じように、「ふつう」に進めないんだろうって落ち込んで。決めたこともできない私はダメだって、人と自分を比べて苦しい時期でした。
そのつらい状態からどうやって抜け出したのでしょう?
実家でも暗い部屋に一人引きこもって、はじめての反抗期かっていうくらいに結構荒れてたんですけど、母も父も「久しぶりに一緒に暮らせて嬉しいね」ってむしろ、いいところにばかり目を向けてくれたんですよね。
「もう大丈夫だから。元気でいるから」と強がる私に、母は「元気がなくなっても、大丈夫。こうやってがんばれる日が来るし、元気がなくなったらまたいつでも戻っておいで」って。
その言葉をお守りに実家を出て復学し、そのまま東京で10年以上なんとかやっている感じです。思い出すと泣けてきちゃう……。
元気があってもなくても、さえりさんを丸ごと受け止めてくれた。親として世の中の「ふつう」にとらわれず、さえりさんを見つめているからこそ、かけられる言葉ですよね。
まさに、元気な自分もダメな自分も全部自分なんだと思えるようになって。
私にとって、当時はとても辛い時間でしたが、そこから何年か経って就職して仕事が楽しくなった頃に、あの時立ち止まったのは私にとっては最善の進み方だったんだと、やっと肯定できるようになったんです。
みんなと足並み揃えて「せーの」じゃなくても自分のペースで進めばいいんだって。
この先、仕事だけじゃなく、結婚や出産や子育てもあるかもしれないけど、全部同じように、誰かに合わせるのではなく自分のペースを大事にしよう、と思いました。
それからは、自分のやりたいことに忠実に生きていこうと思えるようになりましたね。
幻想のロールモデルを追うより、ご機嫌な毎日を重ねたい
素敵です。とはいえ、私も6歳の娘と暮らしていますが、つい他の誰かや世の中の「ふつう」と比べて揺らいでしまうことがあります。子育ては正解がわからないので。さえりさんはそういうとき、どうしていますか?
私も揺らぐときはあります。でも、私には私のペースがあって、選びたいものがあって、行きたい場所がある。他の誰かの現時点の状態と比べても意味がないと思っていて。
あの人が選んでいるものは、今の私がほしいものじゃないと境界線を引いて、じゃあ自分はどうしたい?と問うようにしています。
なるほど! SNSでいろんな距離感の人の日常に触れていると、自分との境界線がわからなくなるし、一瞬を切り取った像から勝手な理想を抱いて、自分にはできないと落ち込んでしまうこともあるように思います。
そうですよね。でも、理想のワンシーンしか見えていないので、実際にその人が何に悩んでいるかまでは知らない。だからロールモデルって幻想なのかなって思うんです。
理想にとらわれないという意味では、夫の存在も大きいですね。
妊娠中に夫に「どんなお父さんになりたい? 何がしたいとかある?」って聞いたら、
「そういうのはない。こうなりたいと理想を持つことが自分を苦しめることを知っているし、父親としてではなく、自分のままで子どもと接していきたい。」という答えが返ってきたんです。ほお〜と感心しました。
ほお〜。子どもが生まれても自分は自分のままで、生まれ変わるわけじゃないですもんね。さえりさんは今、理想を抱いていないですか?
こういうお母さんになりたいっていうのはない、というか、息子が振り返って決めてくれることだなと思っているんですけど、こういう毎日を重ねたいって意識していることはあって。
夫と結婚したときに、この人といつまでも仲良く暮らしていくために、できるだけ毎日仲良く過ごしていこうって決めたんです。
遠い未来を想像するんじゃなくて、毎日を重ねていった先に未来があるのだから、今を大事にしようって。
息子とも成長してもいい関係でいられるように、できるだけ毎日大事に向き合って、見つめて、楽しい時間を一緒に過ごす。ただただ、家族とご機嫌な毎日を重ねていきたいんです。
自分の「ふつう」を手放さずに、夫婦ふたりの「ふつう」を新たにつくっていく
パートナーと息子さんとご機嫌な毎日を重ねていくために、意識していることはありますか?
自分がご機嫌でいること、ですかね。もちろん夫と喧嘩になることも嫌な雰囲気になることもあるんですが、できるだけ次の日に持ち越さない。
嫌な気持ちは長引かせず、その日のうちに伝えたいことは伝えて、すっきりした気持ちで1日を終えることを意識しています。
いいですね。夫婦間で子育ての方針など、価値観の違いがあったときはどうしてます?
夫婦間でも価値観は違って当たり前。だからふたりの価値観を新しくつくるのがいいんだろうねって話を夫としたことがあって。
私の価値観はこれで、あなたの価値観はこれで、じゃあ今回私たちはどうする? ってことを考える。
どっちかの価値観に寄せるんじゃなくて、私は私のまま、あなたはあなたのまま、家族の方針を決めるようにしています。
自分の価値観を捨てるわけでも押し付けるでもなく、ふたりの価値観をつくっていく。それって具体的にどうやってやっていけばいいんでしょう?
私はこうだけど、あなたは? って話を重ねていくしかないですよね。
結婚って、他人とちゃんとぶつかってぶつかって、それでも相手も変わらないし、私も変えられないということを受け止めることから始める修行のよう……。
すごく疲れるし労力がいることだから、誰とでもできることじゃない。でもそれができなくなったら、どんどんすれ違っていってしまうと思うから。
その過程で答えを出さない、白黒はっきりしないということも大事だと思っています。
たしかに、家事育児と仕事とか、夫婦のプロジェクトって常に現在進行形だから、答えを出さずに更新し続けるってことも必要になってくるのかもしれないですね。
長く一緒にいても、今になってわかる違いもありますから。その都度話して、違いを受け止めて、それぞれのまま一緒にいるための家族の価値観をつくっていくしかないと思います。
自分を満たして、余剰分の優しさを人に渡す
世間や誰かの「ふつう」と自分を比べて落ち込まないためにも、夫婦で家族の価値観をつくっていくためにも、自分はどうしたいか? という軸に戻っていくことが大事なんだと、お話を聞いていて思います。
私も忙しかったり考えすぎちゃうと、自分がどうしたいかを見失っちゃうこともあります。でも迷ったときは、自分が楽しいと思えるワクワクする方に進むと決めています。
あまりにも大きな選択でわからなくなったときは、身近な選択から実践してみる。
例えば今日のランチに何を食べるか。レストランのメニューでおすすめって書いてある……こっちのほうが安い……と惑わされても、私は今何を求めてる? これだよね! と選ぶ。
「私がこれを食べたいから、これを選んだんだ」とちゃんと意識するだけで、自己肯定感が上がるんですよね。
私は今でもすぐに元気がなくなっちゃうんですけど、些細な選択であっても、自分で選ぶことで、自分の人生は自分でつくっているんだって立ち直れる。
なので“自分のことは、自分で選び取る”という意識を持って生きています。自分で、人生をつくっている。そう思うことって、日々ご機嫌でいるためにものすごく大切なことだと思っています。
子どもや家族に絡む選択をするとき、自分を脇に置いて迷ってしまうこともあります。さえりさんはどうしていますか?
最近、私が住みたかった土地に引っ越しをしたんですが、転園することになるので、息子にとってはどうだろう? と悩んだんですね。
まだ本人の気持ちは聞けない年齢だし、彼がどう思うかはわからない。以前住んでいた場所のほうが、一見「子育てに向いている」という感じがする場所だったんです。
でも、息子にとっては親である私がご機嫌でいることが大事なんじゃないかと思ったんです。自分を削って子どものため、家族のためにがんばっているとピリピリしちゃうので。
疲れているのにごはんをつくったけど、夫の帰りが遅くてむかつくとか、子どものためにがんばったのに報われなかった! とか、思いたくない。
自分に余裕がないときに人に無理して優しくすると、見返りを求めちゃうんですよね。だから私は一番に自分を満たして、余剰分の優しさを人に渡そうって思っているんです。
自分が楽しくご機嫌に過ごせる環境を整えて、余剰分ができれば、子どもとも、夫ともたっぷり楽しい時間を過ごせる。
自分を犠牲にしてやったことって、相手が受け取ってくれないと悲しくなる。でも余剰分なら受け取ってくれなくてもいいよって思える。だから何より自分の気持ちを満たして、疲れているときはちゃんと休むようにしています。
そうやって自分にとって一番いい選択をすることは、回り回って夫や息子のためにもなると信じているんです。自分が幸せでいることは周りを幸せにすることにもつながると思うから、自分を一番大事にしたい。そしてもちろん、夫も息子もそうであってほしい。
それぞれが自分を満たしてやりたいことをやっていく先に、家族の幸せがあると思うんです。
育児も仕事も、自分が心地よくいられる「ふつう」を何一つあきらめない
さえりさんは、世の中の「ふつう」ではなく、自分の「ふつう」と家族の「ふつう」を探り続けているように思います。
自分が心地よくいられる状態が「ふつう」だと思うんですよね。
私も産後、自分の「ふつう」が揺らいで、自分が自分でなくなっちゃう感覚があったんですよ。だから産後2ヶ月で仕事復帰しました。世の中的には半年とか1年休むのが「ふつう」かもしれないけど、私にとっては違った。
でも無理かもな。夫は仕事が忙しいし。と逡巡しつつ、自分を満たすために、週に何回かは働きたいと夫に伝えたら、一緒に考えてくれたんです。
世の中の「ふつう」にとらわれて、私自身ができないと思っていたけど、周囲の人たちに気持ちを伝えて頼っていったら、やり方が見つかった。
方法は一つじゃないし、自分1人で考えてあきらめなくてもいいんだということがわかった。だから今、すごく楽しいんです。
現時点のさえりさんにとっての心地よい「ふつう」が見つかったんですね。
もっと仕事したい! もっと育児したい! 1日が足りない! っていつも思っていますけど、それって毎日が好きなことでぎゅうぎゅう詰めだからなんですよね。
仕事も育児も好きなことは何一つあきらめたくないという気持ちでいます。
共働きで子どもがいる生活、基本さいっっこうなんで。子育ての大変さはゲリラ豪雨でしかない。
楽園にいたら、突然子どもが手足口病にかかって仕事どうしよう! ってゲリラ豪雨に襲われて(笑)、そのうち小雨になってまた楽園が戻ってくる。
大変なこともあるし、悩むこともあるけど、それでもやっぱり最高です!
そうは言っても、私も来年どうなるかわからないし未知の中にいます。だからこそ、自分の「ふつう」と家族の「ふつう」を守りながら、1日1日を大切に積み重ねていきたいです。
執筆:徳瑠里香/撮影:もろんのん/編集:深水麻初
サイボウズ式特集「ふつうを、問い直してみよう。」
世の中にある、「ふつう」という言葉。「みんなと同じ」という意味で使われていますが、「ふつう」って、実は一人一人違うもの。長時間労働が「ふつう」な人もいれば、家族第一が「ふつう」な人もいる。世の中ではなく、それぞれの「ふつう」を尊重することが必要なのではないでしょうか。サイボウズ式ブックスから発売された『山の上のパン屋に人が集まるわけ』をきっかけに、さまざまな人と一緒に「ふつう」について考えてみます。
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2023年8月29日「なんで、ふつうにできないの?」そう浴びせられてきた人たちへ。
2020年12月10日「パートナーが変わる」期待を手放そう。仕事も育児もがんばりすぎて疲弊していた、あの頃の自分へ