昭和8年に創業した高円寺の老舗銭湯「小杉湯」。変わらず“街の銭湯”でいるために、変わり続ける。そんな思いで、2024年4月、東急プラザ原宿「ハラカド」に2店舗目となる「小杉湯原宿」を開業しました。そこでは企業の垣根を超えたコラボレーションが実施されています。
小杉湯のぶれない思いに共感する人々が集まり、協働することで新しい価値が生まれ、互いが長期的に活動を続ける仕組みができていく。その姿は、サイボウズが重視する「多様な個性を活かしたチームワーク」と重なります。
100年後も街の銭湯としてあり続けるために、他社と協働しながら、理想と利益の両立をどう実現しているのだろう?
そんな問いを携えて、サイボウズ式編集長・神保麻希が「小杉湯原宿」の番頭・関根江里子さんを訪ねました。
人を選ばず受けいれて、誰にも閉じない“街の銭湯”
さっきまで原宿の喧騒の中にいたとは思えない、ほっと安らぐ空間ですね。新しいのに昔ながらの街の銭湯の雰囲気がそのままあるというか……。
ここは商業施設のテナントですが、設計の考え方は高円寺の小杉湯と変わらないんです。銭湯は人を選ばず受けいれて、誰にも閉じない場所です。
関根江里子(せきね・えりこ)。株式会社小杉湯 副社長 / 小杉湯原宿責任者。1995年生まれ。上海生まれ東京育ち。2020年にペイミーに入社し、同年末には取締役COOに就任。2022年に銭湯経営を目指し独立し、同年、小杉湯2号店目である「小杉湯原宿」のプロジェクトにジョインしたことを機に、株式会社小杉湯に入社。翌年より現職を務める。
だから、たとえばロッカーの数字や案内の文字は、癖がなく読みやすいフラットなフォントにしていて。浴室でこだわった白いタイルも、1色だけを選ぶと私たちの意志が反映されてしまうので、床、壁、天井で違う白を採用しました。銭湯という箱自体にあえて私たちの意志を込めないようにしています。
男湯にも女湯にもベビーベッドと化粧水が同じように置いてあることにも、なんだかきゅんとしました。
お風呂の大きさも形も、男女で同じです。銭湯は時代を変える場所ではなく、時代を受けいれる場所だと思っているので、ジェンダー観を語るつもりはないんです。ただ、ベビーベッドがあることで、子連れで来た人が自分を受けいれてくれる場所だと思ってもらえたらいいなって。
小杉湯原宿では、銭湯を中心とする街をイメージした「チカイチ」というスペースを展開。このスペースでは、企業とコラボしたビールスタンドやランニングステーションなど、ブランドの芯にある「思い」に触れることができる。
目先の利益ではなく、100年後の文化を見つめる
この場を取り仕切る番頭の関根さんは、スタートアップの取締役から現職に転身していますが、小杉湯に関わるようになって変化はありましたか?
1から10までぜんぶ変わりました。いちばん変化したのは思考の時間軸です。
小杉湯原宿は「100年続く“街の銭湯”をつくる」ことを本気で目指しているので、あらゆる判断基準が目先の利益にはないんです。
前職時代は「1か月先をどう乗り越えるか?」という超短期視点でしたが、いまは常に「10年後も続けるために、いまどうするか?」という長期視点で物事を考えています。
長期的な視点で、具体的にどんな判断をされているのでしょう?
「小杉湯原宿」をオープンするにあたって、短期で見れば、いかにメディア露出を増やして、人を呼び込むかが勝負になると思うんです。でも、私たちはメディア露出を極力抑えて「混まないこと」に心を砕きました。
具体的には、オープンから2か月半経ついまも、朝と夜の時間帯は「渋谷区神宮前エリア」の街の人たち限定で入場制限をしています。ほかにも原宿に約100万人が集まる夏の大イベント「スーパーよさこい」の期間は小杉湯原宿を臨時休業にして、スタッフみんなでボランティアとして街に出ます。
小杉湯原宿を100年先も街に根付く銭湯にしたいからです。
開業時、イベント時に街の銭湯が大混雑して「3時間待ち」のアミューズメントパークになってしまったら、お客さんもスタッフも疲弊してしまう。
私たちが大切にしたいのは、街の銭湯として、みなさんの日常にそっと寄り添うこと。街の人たちに平日も含む週1回のペースで通ってもらいたいんです。
混んでいる銭湯に通いたいとは思いませんよね? 2回目も3回目も来てもらいたいから、混雑を避ける運営を続けています。
短期視点でブームを生むのではなく、長期視点で常連さんを増やして、本気で“街の銭湯”をつくっているんですね。
銭湯って、常連さんがいて、マナーを見て学んで、自然と自治が生まれる場所なので、ここはまだ“街の銭湯”とは呼べないと思っていて。
「小杉湯原宿」の銭湯文化をつくっていくスタートラインに立てるのは、いまから5年後だと思っています。
「思い」をベースに築く、長期的なパートナーシップ
5年かけてスタートラインに立つ……! でも、そうした長期視点が、協働する企業さんとずれることはありませんか?
もちろんあります。5年先を見ている私たちは、企業の担当者の1か月先の目標達成には貢献できないこともあるので。そこはもう「5年後の私たちを信じてください」と言い続けるしかない。
一見、突拍子もない決断をして驚かれるんですが、「ハラカド」を運営する東急不動産さんには、何年もかけてやっと「小杉湯さんならそうするよね」と理解してもらえるようになりました。デベロッパーとテナントという関係性ではなく、もはや運命共同体ですね。
信頼を得るまでにどのような過程があったのでしょう?
小さな実績の積み重ね、でしょうか。たとえば私たちは、銭湯の「ゆるめる」文化を体験してほしくて、サウナをつくらなかったんです。経済合理性から見たらありえない判断ですが、結果的に話題を呼んで、私たちの思いを社会に理解してもらうという点でも、大きな広告効果がありました。
「大人がこんなにも“思い”で動くことがあるんですね」とよくびっくりされるんですが、私たちの事業は常に「思い」がベースにあるんです。
たとえば、パートナー企業の花王さんとは、2年かけて商談しました。
花王さんって1882年の創業以来、石鹸をつくることから始めて日本の公衆衛生を支えてきた企業なんですね。清潔な日本の公衆衛生の文化は銭湯と花王が支えてきたと言っても過言ではない。だからどうしても花王さんとやりたかった。花王さんじゃなきゃだめだった。
ほかにも、ビールスタンドをつくるなら絶対に黒ラベルさんがいい! と、開業2か月前に猛アタックしたり。
どの企業さんも1社ずつ、私たちの熱い「思い」を伝えてパートナーになってもらいました。小杉湯の営業に上から順に当たっていくようなアタックリストはないんです(笑)。コラボできれば誰でもいいわけではないので。
10年後、20年後も変わらずお付き合いできる企業さんと手を組んでワンチームになる。私たちが思い全開なので、パートナー企業の担当者さんたちも思いを持って動いてくれるんです。
「理想」を出発点に、「経済性」も置き去りにしない
「思い」をベースに決断をされる際に、活動を続けるための経済性はどのように考えていますか?
もちろん、経営やパートナーシップを持続的なものにするために「経済性」も置き去りにはしません。出発点が「思い」にあるだけです。
私たちは、文化をつくることは、長期的に見て、経済が大きく回ると確信しています。「理想と利益」、「文化と経済」を天秤にかけてはいないんです。100年続く“街の銭湯”をつくるという理想を追い求めて実現できれば、経済性はちゃんとついてくると考えています。
長期的な視点でいるからこそ、理想の実現が経済性の実現にも紐づいてくるんですね。
だから、事業面の評価は、目先の数字よりも、“街の銭湯”という文化が社会に与えるインパクトを指標にしています。
パートナー企業さんにも、直近でテレビに何本出たかではなく、一緒に生涯商品を使い続けてくれるファンを増やしたいと伝えています。
同じ理想をもつ人たちが、長く働ける組織づくりを
組織において、スタッフの働きやすさと事業の成長も天秤にかけてしまいがちですが、小杉湯さんはどう考えていますか?
小杉湯と働く人の目指す道がずれていなければ、その両輪を回せると思っています。
だからコアなメンバーを採用するときにいちばん見ているのは、小杉湯の理想とその人の理想が一致するか。社会にとっていいことをしたい“公益フェチ”であるかどうか、ですね。理想が一致していれば、あとは人を軸にやり方を考えていけばいいと思っています。
小杉湯にマニュアルはなく、お風呂POPの書き方も掃除のやり方もスタッフそれぞれに任せています。強いて言えば、「POPはタイルの1マス上に貼ること」とか、そういう小さなレギュレーションはあります。
お風呂に浸かったときのお客さんの目線に合わせる。そのやさしさのラインを共有できていれば、耳が聴こえない人には手紙を添えるとか、文字が見えにくい人のためにルーペを置くとか、やさしい場づくりが自発的に行われるんですよね。
働く人のやさしさと喜びが、お客さんの心地よさにつながるんですね。
ここで銭湯を始めた以上、終わらせるという選択肢はないので、働く人たちも終身雇用で、育児も介護もちゃんと想像できる組織にしたいと思っているんです。当たり前に笑って働ける職場にしたい。
組織の拡大は目指していないので、正社員が20人以上になることはないと思うんですが。変わらない場所で、ともに考えて変わり続けていけたらいいなと。
「続けること」に重きを置いた小杉湯さんらしさが、組織づくりにも行き届いているんですね。
"街の銭湯"という文化をつくると言っても、私たちがやるべきは、高尚な文化を語ることではありません。雨の日も雪の日も、日の出とともにここへ来て掃除をして、湯を沸かす。
すべてはその日々の営みでしかなくて。365日続けて、5年、10年積み重ねた先に「小杉湯原宿」にしかない文化が生まれる。そう信じて、私たちは今日もここで湯を沸かします。
企画・取材:神保麻希/執筆:徳瑠里香/撮影:もろんのん
高円寺・小杉湯にて、サイボウズ式 特別展示
「ワークお湯バランス」を実施中です。7/31(水)まで!
サイボウズ式のオリジナルTシャツや書籍の販売、人気のコラム記事や漫画など、おすすめコンテンツを紹介しています。ぜひお越しください!
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