サイボウズ株式会社

ドラァグクイーン・脚本家のエスムラルダさんと考える、だれも排除しない「まぜこぜのチーム」への道のり

この記事のAI要約
Target この記事の主なターゲット
  • 多様性に関心のあるビジネスマン
  • 組織内でのチーム作りに興味があるマネージャー
  • LGBTQ+やその他マイノリティの問題に取り組む人
  • 映画や文化活動に興味がある人
  • サイボウズやGet in touchの活動に関心のある人
Point この記事を読んで得られる知識

このインタビュー記事では、映画『まつりのあとのあとのまつり~まぜこぜ一座殺人事件~』を通じて、マイノリティの課題や多様性を認識する重要性について語られています。エスムラルダさんは、東ちづるさんとの親交から今回の映画の脚本に携わり、多様性をテーマにコメディサスペンスという新しい表現方法を試みました。この記事を通じて、社会においてマイノリティが抱える生きづらさがなぜ変わらないのかという問いが、観客に問いかけられています。映画撮影にサイボウズのオフィスが使用されたことからもわかるように、Get in touchとサイボウズの協力は、多様性を含む社会への理想を共有することで実現されました。

記事の中心メッセージは、組織内で誰も排除せず、さまざまな個性を活かし合える "まぜこぜのチーム" をどう実現するかという課題です。そのために、まずは社会の多様性を理解し、自身の偏見を認識し改善することが必要だとされています。また、互いの環境を理解することで、より良い社会を築くことができるという視点が強調されています。さらに、お互いを思いやり、様々な側面から物事を見て議論することで、個人や組織が豊かになりうることが提案されています。記事は具体的な対策として、組織内での匿名のフィードバックシステムの設置などが有効であるとしています。

Text AI要約の元文章
働き方・生き方

ドラァグクイーン・脚本家のエスムラルダさんと考える、だれも排除しない「まぜこぜのチーム」への道のり

2024年6月16日、女優の東ちづるさんが理事長を務める⼀般社団法⼈Get in touchが制作した映画『まつりのあとのあとのまつり~まぜこぜ一座殺人事件~』が先行公開されました。

本映画には、さまざまなマイノリティによるパフォーマー集団「まぜこせ一座(いちざ)」のメンバーが出演。彼らが直面する「なぜ、わたしたちの生きづらさは変わらないのか?」という課題を、視聴者に自分ごと化してもらう試みをもった作品です。

実は本映画の撮影場所となったのは、サイボウズの東京オフィスの一角。「チームワークあふれる社会」を目指すサイボウズが、Get in touchの「まぜこぜの社会」という理想に共感し、撮影場所が決まりました。

今回は本映画に寄せて、脚本を担当したドラァグ・クイーンのエスムラルダさんにお話を伺いました。会社や組織の中で、誰⼀⼈排除せず多様な個性を活かし合える「まぜこぜのチーム」は、どうすれば実現できるのでしょうか?

一人ひとりが「世の中にはいろいろな人がいる」ときちんと理解することが第一歩

園田
先日、映画を拝見しましたが、とってもおもしろかったです!

サスペンスやコメディ要素をふんだんに盛り込みながらも、一貫して社会派としてのメッセージも強く感じられ、いい意味で視聴後に「モヤモヤ感」が残る作品でした。
エスムラルダ
ありがとうございます! そう言っていただき、とてもうれしいです。

エスムラルダ。1972年生まれ。大学在学中の1994年よりドラァグ・クイーンとしての活動を始め、各種イベント、メディア、講演会などに出演。2018年にはドラァグ・クイーンのユニット「八方不美人」のメンバーとして歌手デビュー。一方で大手印刷会社を経て、フリーのライター、編集者、脚本家に転身。舞台・ドラマの脚本や東宝ミュージカル『プリシラ』の翻訳を手がける。著書に『同性パートナーシップ証明、はじまりました。』(ポット出版、共著)、『話しやすい人になれば人生が変わる』(アルファポリス)などがある

園田
そもそも今回の映画の脚本には、どういった経緯で携わることになったんでしょうか?
エスムラルダ
以前から東ちづるさんとは親交があり、また八方不美人のドリアン・ロロブリジーダが参加していることもあって、まぜこぜ一座の活動はよく知っていました。去年ちづるさんから連絡があり、「まぜこぜ一座として初めての映画を作るので、脚本をお願いしたい」と相談を受けたんです。

そのとき、東さんがおっしゃったのが、「マイノリティの課題など社会的なメッセージを織り込みながらも、決して押しつけがましくなく、おもしろく見られるコメディサスペンスにしたい」ということでした。

マイノリティをテーマとして扱う作品は、どうしてもヒューマンドラマとかお涙ちょうだい的なものになりがちですが、マイノリティの人たちによるコメディサスペンスというのは新しいしおもしろいと思い、即座にお引き受けしました。
園田
映画では、小人症の人は自動販売機に手が届かないといったエピソードもありました。恥ずかしながら、言われるまで自分も気づかなかったことです。
エスムラルダ
そうですね。わたしも今回の脚本を作るなかで、さまざまなマイノリティの方々から普段どんなことを感じているかを伺い、初めて知ることもたくさんありました。
園田
知らず知らずのうちに、マイノリティが社会からいないことにされている。少数派だからというだけで、適切な配慮を受けることができない。そういった現実があるんだ、とあらためて作品に突きつけられました。

エスムラルダさん自身もいままで「社会からいないことにされている」と感じたことはありましたか?
エスムラルダ
わたしは30年ほど前、20歳のときに、初めてゲイの友だちができました。それを機に周りの人にカミングアウトするようになったんですが、それまではよく「どんな女性が好きなの?」と訊かれていたし、そのたびに嘘をついていました。みんな、目の前にゲイがいるなんて思っていなかったんですよね。わたし自身、自分以外のゲイと会ったことはなく、常に孤独を感じていました。

いろいろな意見がありますが、わたしは、セクシュアルマイノリティが社会に当たり前にいるという認識が広がっていけば、かつてのわたしのように嘘をついたり孤独を感じたりすることなく、ラクに生きられる当事者が増えていくのではないかと思っています。

そのためには、できる人から少しずつカミングアウトしていくことも必要かもしれません。
園田
すでに多様な人と「ともに生きている」と知ってもらうことで、マイノリティにとってより生きやすい社会になる、と。
エスムラルダ
ええ。もちろんそれは、セクシュアルマイノリティに限ったことではありません。わたしも、ほかのマイノリティの方については、まだまだ知らないことだらけです。

まずは一人ひとりが、「世の中にはいろいろな人がいる」ときちんと理解し、それぞれが抱えている困りごとなども知っていく。それが第一歩ですよね。

マイノリティの立場で考えることは、未来の自分のためでもある

園田
そもそも「マイノリティが社会からいないものとされる」という課題はどうして起こるのでしょうか?
エスムラルダ
「メディアなどが発信する情報に偏りがあり、マイノリティに関する情報や知識が十分に行きわたっていない」など、さまざまな理由が考えられます。その一方で、多くの人が時間的にも経済的にも自分のことで精一杯になり、他人のことまで考えたり想像したりする余裕をもてなくなっていることも大きいと思います。

マイノリティについて考えると、いままで自分が当たり前だと思っていた世界が揺らいでしまうような気がして、あえて目を背けている人もいるかもしれません。

でも、人生にはいつ、どんな変化が訪れるかわかりません。いま健康な人でも、病気になったりけがをしたり年をとったりして、体の自由がきかなくなくなることがあるかもしれないし、自分が、あるいは家族や友だちが、実はセクシュアルマイノリティだったと知ることがあるかもしれない。

そんなとき助けになるのは、社会保障制度やバリアフリー設備であり、世間の理解であり、正しい情報や知識なんですよね。
園田
「自分はマイノリティじゃない」という認識自体を見直すことで、一見無関係に見えることも自分ごと化しやすくなるかもしれませんね。
エスムラルダ
ええ。マイノリティの課題は他人事ではなく、誰もが当事者として考えるべき問題だと思っています。

それから、人々が自分のことに精一杯になっている背景には、「道を外れてはいけない」「自分の身は自分で守らないといけない」という風潮もある気がします。

「世間で『ふつう』『当たり前』『正しい』とされている道から少しでも外れると、大変なことになる」と思い込み、失敗しないように、道を外れないように、いろいろなことを我慢し、必死になっている人は少なくありません。

中には、マイノリティへの配慮や施策などが行われることに対し、「自分たちは頑張っているのに、マイノリティばかりが優遇されている」といった不満を抱く人もいます。

そして、マイノリティに対して厳しい目を向ける人たちの中には、いざ自分自身がマイノリティになると、「自分にはもう価値がない」などと考えてしまう人もいるんですよね。
園田
たしかにいまの社会で「ふつう」とされている道を逸れることには不安があります……。
エスムラルダ
でも、もしみんなが「明日、自分や大事な人に何かあって、『ふつう』に生きることができなくなっても、周りの人や社会が支えてくれるから大丈夫」という安心感を抱ける状況だったらどうでしょうか。

他人に対してもう少し優しく接することができるようになり、社会全体として、いろんな人に手を差し伸べるゆとりが生まれるような気がしませんか。

卵が先か鶏が先か、みたいな話にはなりますが、一人ひとりが互いを思いやるようになれば、逆に自分たちがいま抱えている焦燥感や不安感は軽くなっていくのではないでしょうか。

多様性の中で、自分なりの答えを探していくことが大事

園田
とはいえ、自分のことで必死なときに他人のことまで思いやるのは、やはり大変かもしれません……。
エスムラルダ
そうですね。多様な立場に想いを馳せるためには、さまざまな価値観に触れる必要がありますし、気持ちの余裕や知識、想像力も必要です。簡単にできることではないかもしれません。

それでも、自分を大事にしつつ、他者の事情などを思いやる気持ちを忘れないことも重要だと思います。

最近、SNSなどで、自分の尺度とたまたま目に入った情報だけをもとに善悪を判断してしまう人や、「女は~」「男は~」「高齢者は~」「ゲイは~」など、乱暴に属性でくくって攻撃している人をしばしば見かけます。

何事においても簡単に「答え」を出そうとしている人が多い気がするんですよね。それはとても危険なことだし、対立が深まるばかりです。

人生にも社会的課題にも正解はありません。いろいろな人たちの考えや立場を知り、葛藤し試行錯誤を重ねながら、自分なりに「より良い」と思えるものを探していく。それがこの社会で生きるということであり、豊かな人生、豊かな社会につながっていくのではないかと、わたしは思います。
園田
白黒はっきりした事柄に身をゆだねるのではなく、多様な価値観の中で自分らしさを探していくんですね。
エスムラルダ
ええ。それは個人だけでなく、組織としても大事な考え方だと思います。

たとえば他者への想像力が欠けた結果、取り返しのつかないトラブルが起きることがあります。最近だと、配慮にかける不適切な発信によってSNSで炎上する企業などもよく見かけますよね。

でも、もしその企業やチームの構成メンバーにいろいろな属性の人がいて、フラットに意見を言い合える環境だったら、きっとどこかで歯止めがかかるのではないかと思うんです。
園田
一方で、組織としては多様な意見が出てしまうと、意思決定がしづらくなるという事情もありそうです。
エスムラルダ
同質的な組織で一丸となって突き進むのは、たしかに効率がいいし、利益を生み出すうえではいいかもしれません。

しかし、どこかのタイミングで組織として大きく道を踏み外したり、後戻りができない状況になってしまったりするリスクもあります。

だからこそ、多様な人たちが集まり、いろんな側面から物事を見て、いいとも悪いとも言いきれないこともしっかり考え、議論していくことが大事なのではないでしょうか。

自分を受け入れることで、他者にも寛容になれた

園田
多様な人たちと刺激し合い、ともに理解を深めていくことで、個人だけでなく組織や社会全体が幸せになっていくかもしれない、と。

そのためにも、まずはそれぞれがマイノリティに対する偏見をあらためていく必要がありそうです。
エスムラルダ
ええ。ただ、偏見は誰しも持っているものです。実は、わたし自身も同じマイノリティであるゲイに対して偏見を持っていたことがありました。

先ほどもお話ししたように、20歳までは自分以外のゲイと会ったことがなかったし、自分も男性が好きなのに、ゲイに対してどこか「自分とは違う人たち」と思っていました。新宿二丁目という街にも、漠然とした「怖さ」を感じ、最初はなかなか足を踏み入れることができませんでした。

ちょっと主語が大きくなりますが、人間って、自分が接したことのないものに対して、どうしても不安を感じやすいんですよね。
園田
なるほど。そこからエスムラルダさんはどのようにして偏見を解消していったのですか?
エスムラルダ
あるゲイの団体にアクセスし、たくさんのゲイの友だちができたことが大きかったですね。

彼らのおかげで、「自分と同じように、同性を好きな人はたくさんいるんだ」「同性を好きなのはおかしなことではないんだ」と理解でき、自分自身がゲイであることも受け入れることができました。

自分の中の偏見を解消するためには、やはり「ちゃんと知る」ことが何よりも大事なことですね。それから、自分自身をきちんと受け入れること。

セクシュアリティのことに限りませんが、わたしは「『良い』部分も『悪い』部分も含めて、これが自分なんだ」と自分自身をしっかり受け入れられるようになって、ようやくほかの人たちのさまざまなありようを受け入れられるようになった気がします。

「いろんな人がいるよね」で終わらせず、理解を深めていくために必要なこと

園田
組織観点の話になりますが、多様な人たちとチームとして働いていくためには、「いろんな人がいるよね」で終わらせず、おたがいに踏み込んでいくことが必要な場面もあると思います。

相互理解のために、わたしたちはどうしていくべきなのでしょうか。
エスムラルダ
まず、困りごとなどがあったとき、マイノリティ側がきちんと声を上げる必要があると思います。自分以外の人のことって、やはり完全にはわかりませんから、「言わなくても察して」というのはなかなか難しい。

わたし自身、ほかのマイノリティの方が声を上げているのを見て、初めて「あ、こんな困りごとがあったんだ」と知ったり考えたりすることが多々あります。

とはいえ、声を上げるのはすごくエネルギーが必要なことなので、カミングアウト同様、まずはできる人がやるしかありません。

声をあげる人が少しずつ増え、「こういう人たちがいる」「こういう困りごとがある」という理解が広がっていけば、いまよりも気軽に話し合いがしやすい環境になっていくのではないでしょうか。
園田
たしかに、当事者の方々が声を上げることは大きなきっかけになりますね。では一方で、おたがいの理解を深めるためにマジョリティ側の人達ができることってなんでしょうか。
エスムラルダ
組織の中でマイノリティ側の人たちが発信をしたとき、その発信の仕方や内容によっては、感情の部分でモヤモヤすることがあるかもしれません。「なんで自分がその要望を叶えないといけないんだ」と思うかもしれない。

それでも、感情と理性を切り離して考えてみてほしいんです。せっかく組織として成長できる機会なのだから、そこで一歩考えを進めてほしい
園田
現状を変えるような動きには、反射的に不安や反発を感じやすいですよね。だからこそ、意識的に感情と理性を切り離して考えるべきですね。
エスムラルダ
あとは、マイノリティ側の発信の負担が軽減できるような環境づくりは大切ですよね。

たとえば目安箱のようなものを設置して、匿名で発信できるようにすれば、マイノリティ側も声を上げやすくなるのではないでしょうか。
園田
そうした仕組みがあれば、いままでよりも活発に改善のための議論ができそうですね。
エスムラルダ
もちろん、マジョリティ側が、マイノリティ側の要望をすべて叶えるのは難しいかもしれません。ただ、面倒くさがらずにきちんと話し合い、どうすればおたがいが働きやすい環境を作っていけるのかを探っていくことが大事だと思います。

当然のことながら、マイノリティ側だって間違うことはあります。そのときに、マジョリティ側から「それは賛成できないけど、こうしたらいいんじゃないか」と言えるような関係性になるといいですよね。どちらが上とか下とかではなくて、対等な存在として

映画『まつりのあとのあとのまつり~まぜこぜ一座殺人事件~』は、2024年秋に上映予定です。

・監督:齊藤雄基
・脚本:エスムラルダ
・プロデューサー:東ちづる
・制作・提供・配給:一般社団法人Get in touch

・上映館一覧:
10月18日〜24日 
ヒューマントラストシネマ渋谷(東京)
キネカ大森(東京)

10月25日〜31日
アップリンク京都(京都)

11月11日〜11月17日
テアトル梅田(大阪)

※順次全国公開。
※詳細は後日、サイボウズ式公式Xでお知らせいたします。

企画:野阪拓海(ノオト)+サイボウズ式編集部/取材・執筆:園田もなか/撮影:小野奈那子/編集:野阪拓海(ノオト)

2024年4月16日多様性をアピールするほど、冷める社員。「エイジダイバーシティ」が当事者意識を育むカギ
2022年5月31日「自分に似たスタッフ」を求めてしまう管理職の呪いと解呪
2023年3月30日多様性に配慮しすぎて、なにも言えない。「関わらない」が安全策なのだろうか?

タグ一覧

  • マイノリティ
  • 多様性
  • 組織
  • 議論

SNSシェア

  • シェア
  • Tweet

執筆

ライター

園田 もなか

フリーランスのライター。エンタメ関連のコンテンツ中心に執筆やインタビューなど。

この人が書いた記事をもっと読む

撮影・イラスト

写真家

小野 奈那子

人、物、食を中心に撮影しています。ライフワークはアート収集。

この人が撮影した記事をもっと読む

編集

ライター

野阪 拓海

コンテンツメーカー・有限会社ノオトのライター、編集者。担当ジャンルは教育、多様性など。

この人が編集した記事をもっと読む

Pick Up人気の記事