日本のアーチェリー界は、私が引っ張る。
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- スポーツ選手を目指している若者
- アーチェリーに興味がある人
- メンタル強化に関心がある人
- オリンピックを目指しているアスリート
- 日本のアーチェリー界に関心がある人
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この記事を通じて得られる知識は、園田 稚という日本のアーチェリー選手のキャリアと成長過程についてです。彼女は13歳でアーチェリーを始め、16歳で日本代表入りを果たしました。特に印象的なのは、東京オリンピックの予選での敗退を乗り越え、メンタル面を強化してパリオリンピックの国内最終選考でトップ通過するまでの道のりです。彼女は楽観的な姿勢と周囲の支えを受けながら、失敗を糧に一から自分を鍛え直し、最終的には冷静さと思い切りの良さを取り戻しています。
また、彼女がデンソーソリューションとスポンサー契約を結び、プロとしての環境でアーチェリーに専念できたこともキャリアの一部として重要です。大学生として競技活動を続ける中で得たスポンサーの支えが、彼女の試合に対する集中力を高めており、日本の競技界をリードする人物としての責任をどう感じているのかについても詳しく述べられています。
この記事では、彼女が目指しているのはオリンピックでのメダル獲得であり、彼女が熱意を持って日本代表としての役割を果たそうとしていることも伝えられています。
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2024.6.4
キャリア・生き方日本のアーチェリー界は、私が引っ張る。
磨いた精神力で狙う五輪切符
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そのだ わか園田 稚
大分県出身の22歳。13歳でアーチェリーを始め、この競技では史上最年少の16歳で日本代表入り。高校2年の2019年に世界ユース選手権個人銀メダル、早稲田大学1年生の21年に同選手権団体金メダル。22年、デンソーソリューションとスポンサー契約を結ぶ。23年、ワールドユニバーシティゲームズ混合金メダル。
2024年3月にパリ五輪アーチェリー女子の国内最終選考会をトップ通過し、脚光を浴びた園田 稚。東京五輪への出場を逃して以来、メンタル強化に励む園田は、デンソーソリューションとスポンサー契約を結んで活躍の場を広げてきました。日本の競技界をけん引する決意や、6月の五輪世界最終予選に懸ける思いを語ります。この記事の目次
才能を見いだされ、
競技歴2年でJOCエリートアカデミーへ──アーチェリー界をリードする園田さんですが、なぜ、アーチェリーを始めることに?
通っていた中学校の近くにたまたまアーチェリー場があり、母が「やってみたら?」と言ってくれたのがきっかけです。私も興味が湧いたので、早速行ってみると、とても楽しくて始めることにしました。当時、13歳でしたね。
──どういうところが、楽しいと感じたのですか?
アーチェリーは個人スポーツなので、自分のペースで思うがままにひたすら練習することができ、練習をやればやるほど上達するのが楽しかったんです。
最初は5メートルなど短い距離で、大きな的を狙うところからスタート。10点満点の中央部分に矢が刺さるのはシンプルにうれしく、刺さる音もパコパコパコ、といい音が鳴り快感(笑)。矢にはいろんな色があるし、胸部に着けるチェストガードのデザインもさまざまで、身に着けるのも楽しく、のめり込んでいきました。
──競技を始めてわずか2年でJOC(日本オリンピック委員会)のエリートアカデミーに入校したきっかけもお聞きしたいです。
中学2年生の時、全日本小学生中学生選手権大会に出場することができ、その時に視察に来られていたエリートアカデミーの関係者の目に留まって、翌年入校することになりました。スカウトされた理由は、当時から身長が高くて165センチ以上あったのと、矢の放ち方に癖がなかったからだと、後で聞きました。
──中学3年生で大分県の親元を離れて東京で寮生活。不安はなかったですか?
不安より、楽しみな気持ちが大きかったですね。以前から転校生に憧れもあって(笑)。あと、母が「もしうまくいかなければ、いつでも帰ってくればいいよ」と言ってくれて、気持ちを楽にさせてくれました。
──アーチェリーと勉強のほかにも、身の回りのことを全部自分でしないといけませんよね。
そうですね。毎日、練習をした後に洗濯をしたり、服を畳んだりすることが面倒に感じました。寮生活だったので食事は1日3食用意されるのですが、高校生になって、友達が手作りのお弁当を持ってきて食べているのを見るとうらやましく、ちょっと母の手料理が恋しく思うこともありましたね。
初めて陥った不調。東京五輪選考会でパニックのまま敗れる
──園田さんは史上最年少の16歳でアーチェリーの日本代表入りを果たしましたが、東京五輪では日本代表2次選考会で敗退。当時の状況を今振り返ってみると、どう思いますか?
当時高校2年生だった私は、圧倒的にメンタル面が弱かったせいで敗退したと思っています。試合の前半で低い点数を出してしまい、もうその時点で「ああ、駄目だ」と。さらに、後半は周りがすごい選手たちばかりに見えてきて、「もう負ける。選考から落ちる」と思いながらプレーしていました。
実は、試合で不調に陥るという経験がほぼなく、東京五輪選考会が初めてでした。立て直し方もよくわからず、焦る気持ちだけが先走り、パニックのまま時間が過ぎて……。5位に入れば最終選考会に進めるところ、僅差の6位に終わりました。
──悔しい敗退でしたね。
本当に悔しい思いをしました。不利な場面を想定した練習が足りなかった結果です。
そして2023年、ナショナルチームのメンバーからも漏れてしまいました。悔しさを通り越し、情けなく、「世界で活躍したいはずなのに、私は一体何をやっているんだろう。もう、このレベルに達することができないのであれば現役を引退した方がいいかもしれない」と葛藤の毎日でした。
そんな時、コーチやトレーナーから「もう一回、最初からプランを考えてやってみよう」と声をかけて励ましてくれたんです。次第にどん底からだんだんと熱いものが湧き起こり、「このままではいけない。みんなのためにも頑張らなくちゃ。私は日本を背負って世界で戦っていく」と決意しました。
出遅れから猛追。パリ五輪国内最終選考会を1位通過
──2024年3月のパリ五輪国内最終選考会(2日間開催)では、2日目の1ラウンド目で出遅れましたが、最後は巻き返して1位通過しましたね。
1ラウンド目は4位に終わり、首位の選手の点数がずば抜けていたので、正直「まずいな」と感じました。
──そこから、どう立て直したのですか。
的の10点の部分を狙いすぎて、集中力が切れてミスしてしまっていたので、的を大きく捉えて楽にプレーしようと心がけました。
あと、ミスを恐れて「置きにいく」かのような放ち方になっていることにも気がつき、「そんなやり方では中途半端な点数しか出せず、仮に世界の舞台に行ったとしても、とうてい通用しない。だから、思いきって強く放とう」と思ったんです。すると、自然と的の10点の部分に当たり、得点も上がっていきました。
──過去の経験が活かされ、うまく切り替えられたのですね。すぐ隣に他の選手がいる状況で、気が散りませんか。
まっすぐ自分の的だけ見ているつもりでも視界に入ってしまいますし、各選手の的の下に点数ボードがあるので、他の選手の点数もはっきり見えるのがアーチェリー競技です。みんな同じ条件で戦っているわけですので、「目に入っても動揺しない心」をつくることが大事だと思います。
──最終的には2位の選手を大きく引き離す得点で1位。6月の世界最終予選に駒を進めた心境は?
すごく気持ちよかったです。いい感触でプレーできましたし、結果もついてきてよかったなと。でもまだ、オリンピックのチケットをつかんだわけではありません。ここで気を緩めることなく、最終予選に向けて一日一日を大切に練習していきたいです。
──東京五輪の2次選考会の時と比べると、すいぶんメンタルが強くなりましたね。
絶対に強くなっていると思います。東京五輪の2次選考会で敗退した後、いつも追い詰められたような場面を想定しながら、試合同様の緊張感を持ち、集中して毎日を過ごしてきました。
なので、今回のようにプレッシャーがかかる試合で調子が良くなくても、「今、自分はこういう状況だから、こうしていけば点数が上がるはず」と冷静に判断することができたんだと思います。
試合中には、好不調の波が起きがち。私の場合はどの試合も同じで、緊張すると小さく、優しく矢を放ってしまうので「大きく捉えて放とう」と軌道修正しています。試合中にミスの原因に気づき、修正できるかどうか。アーチェリー選手はこの壁を乗り越えた時に、レベルアップできるのだと思います。
五輪メダルに向け、憧れの先輩を追って
──パリ五輪をめざす中、早稲田大学2年生の2022年にデンソーソリューションとスポンサー契約を結びましたが、国内の学生アーチェリー選手としては初の試みでしたね。
お話をいただいた時は、驚きました。また、私はデンソーソリューションに所属するアーチェリーのオリンピックメダリスト、早川 漣(れん)さんの大ファンだったので、漣さんと同じ企業から支援をいただけるなんてすごくうれしくて、とてもいいご縁に恵まれたなと思っています。
──会社からのサポートをどう感じていますか。
競技に集中できるよう、サポートしてくれて本当に感謝しています。従業員の皆さんは横断幕を掲げて試合の応援に駆けつけるなど、日ごろから応援してくださって感謝の気持ちでいっぱいです。皆さんからメッセージを受け取ったり、「頑張ってね」と声をかけられたりすると、とても励みになります。
──競技人生でかなえたい最大の目標は?
もちろん!オリンピックでメダルを取ることです!
私の憧れである漣さんは、ロンドン・オリンピック女子団体で銅メダルを獲得しています。それを超える成績を残した時、漣さんと同じぐらいか、あるいは超えるような競技力、人間力を備えられていることも目標です。
──最後に、6月の世界最終予選に懸ける気持ちを聞かせてください。
ワールドカップで試合経験を積みながら調子を上げていき、最終予選で日本女子団体のオリンピックチケットをつかみたいと思っています。課題は、さらなるメンタル強化。最初の1本目から10点が出せるようにさらに精神力を鍛えたい。最大の敵は「自分自身」です。
※ 記載内容は2024年5月時点のものです
キャリア・生き方執筆:PR Table 撮影:BLUE COLOR DESIGN
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