株式会社デンソー

遊び心と安定感を携えて。五輪金メダリストが笑顔の内に秘める哲学

この記事のAI要約
Target この記事の主なターゲット
  • スポーツ選手やアスリート
  • ソフトボールファン
  • キャリアを考えている社会人
  • メンタルや自己啓発に関心のある人
  • 中高生の部活動に参加している学生
Point この記事を読んで得られる知識

この記事を読むことで得られる知識は、川畑 瞳選手のスポーツ選手としての成長過程や、彼女が大切にしている哲学についてです。川畑選手は、幼少期からソフトボールに触れ、優れた練習環境を求めてデンソーに入団しました。彼女は東京オリンピックで金メダルを獲得し、その勝因として「誰のために、何のためにやるか」を明確に意識することの重要性を実感したと語ります。また、彼女はチーム内での役割として、チームの雰囲気づくりや後輩とのコミュニケーションを重視し、若手に練習のメリハリをつける重要性を伝えています。さらには、競技生活を楽しみながら続けるという「遊び心」を持つことの大切さを強調しており、その姿勢が彼女のスキル向上や怪我の防止にも繋がっていることを示しています。将来の夢としては、引退後に故郷でソフトボールを教えたいという願いを持っており、若い世代に競技の楽しさを伝え広めたいと考えています。

Text AI要約の元文章

2024.11.21

キャリア・生き方

遊び心と安定感を携えて。五輪金メダリストが笑顔の内に秘める哲学

デンソー女子ソフトボール部「デンソーブライトペガサス」で10年目を迎えた川畑 瞳。日本代表の内野手として活躍し、東京オリンピックでは全試合に出場して金メダル獲得に貢献。鉄壁の守備と笑顔でチームに安心感を与える川畑が、困難を乗り越えてきた道のりや、競技生活で大切にしている「哲学」を語ります。

この記事の目次

    みんなで心を奮い立たせて猛練習。インターハイで頂点に

    ──川畑さんがソフトボールを始めたきっかけは何ですか?

    5歳上の兄の影響です。私が保育園児だった頃から、毎週のように兄のチームの練習や試合を見に行っていました。兄のプレーをまねてみたり、一緒にキャッチボールをしたりして自然とソフトボールに親しんでいくうちに、私も本格的に兄の所属するチームで活動するようになりました。

    そして、小学生の頃に北京オリンピックを見て金メダルに輝いた日本選手たちに憧れ、中高一貫のソフトボール強豪校に、寮生活をしながら通うことを決意したんです。

    こう振り返ってみると、ソフトボールしかやっていませんね(笑)。

    ──高校最後の夏にインターハイ(全国高等学校総合体育大会)で優勝されていますよね?

    はい。インターハイでの優勝はとても思い出深いものです。練習をクリアできれば絶対に優勝できる。全員がそう信じていたから達成できたんだと思います。

    いつも、みんなで心を奮い立たせ、一緒に泥くさくボールを追いかけていました。「高校生活最後の大会を楽しもう!そして絶対に優勝しよう!」とチームで盛り上がって。当時、3年生たちの間には強い団結力がありました。

    2014年の全国高等学校総合体育大会で優勝を決めた鹿児島・神村学園高等部

    ──高校生活を有終の美で締めくくった後、デンソーに入団した理由は何ですか?

    練習環境が一番いいと感じたのがデンソーだったからです。練習の時には気持ちをきちんと切り替えて臨む、メリハリのあるチームの雰囲気にも惹かれました。

    デンソー安城製作所の敷地内にあるソフトボール専用球場。敷地内には室内練習場やトレーニングルームが併設された寮もあり、競技に集中できる環境が整っている

    東京五輪を制覇。意識したのは「誰のために、何のためにやるか」

    ──2021年に開催された東京オリンピックで全試合に出場されましたね。思い出に残る一戦はどれですか?

    1次リーグのカナダ戦ですね。勝てば決勝進出、つまり銀メダル以上が確定する大事な試合でした。

    0対0で迎えた延長タイブレーク8回裏で、私は三塁走者のピンチランナーとして出ました。そこから1死満塁になった後、当時の日本代表キャプテンがセンター前にサヨナラヒットを放って私は勝利を決めるホームベースを踏むことができたんです。感無量でした。

    オリンピックはひとつのミスが命取りになる大舞台。初めて出場した私は、重圧を感じながらも懸命に戦う先輩たちの横で、足が震えていました。でも「絶対にできる」と自分に言い聞かせ、今まで培ってきた努力が最後は結果に表れると信じて挑み続けました。

    ──そして、決勝ではアメリカを破って金メダル。どんな気持ちでしたか?

    表彰式で金メダルを手にしても、なんだか夢みたいで実感が湧かなくて。オリンピックまでの日本代表合宿がかなりきつかったので、「やっと終わった」という安堵が大きかったですね。

    初めて手にしたオリンピックの金メダル。厳しい練習や試合を乗り越えた分の重さがある

    ──オリンピックでの最大の収穫は何でしたか?

    「誰のために、何のためにやるのか」を明確にして臨めば、より大きな力を発揮できると実感できたことです。自分のプレーで応援してくれる方々の心を動かし、恩返しをしたいという思いを強く持つことが、なによりも自分には大切だということがわかりました。

    以前は自分のことばかり考えて余裕がなく、不調で打てなくなったら「もう、いいや」と投げやりになりがちでした。でも、「日本代表になれたのもいろんな方々のおかげ」と気づいた後は、競技に臨む姿勢が根本から変わったんです。

    自分の結果で一喜一憂しない。チームプレーに徹して不振脱却

    ──デンソーでの話も聞かせてください。川畑さんにとって最大の壁は何でしたか?

    デンソー入団2年目に不振に陥ったことです。1年目はサードとして日本リーグのベストナインにも選ばれたのですが、翌年になると他のチームに自分のプレーを研究されて。バッティングでは打てないコースをピッチャーに突かれて結果を出せず、精神的にかなり沈みました。

    ──苦境をどのように打ち破っていったんでしょう?

    きっかけは、先輩から「自分の結果で一喜一憂せず、腐ることなくチームプレーに徹するのが大事だよ」と言われたことでした。そこで、ハッと気づいたんです。守備で頑張ったり、チームメートを応援したりと、バッティング以外でもチームに貢献できることはいくらでもあるなと。

    それからは、「グラウンドに立てば守備だけはしっかりやろう」「自分のもとに飛んできたボールは何が何でもアウトにしよう」と気持ちを切り替え、乗り越えました。

    ──デンソーで10年目を迎えた今、心がけていることは?

    チームの雰囲気づくりに貢献し、プレーにもいい影響が出るように心がけています。

    たとえば、週末に後輩を誘って一緒にご飯を食べたり、休日には旅行に誘ったりしてお互いの心の距離を縮めています。

    その一方で、今のチームは若返りが進んでいるので、練習とそれ以外のメリハリをつける大切さを伝えるようにしています。こうして周りに指摘するのは得意じゃないんですが、今の立場としてはやらないといけないと意識していますね。

    ──デンソー一筋でプレーし続けているのはなぜですか?

    新人時代からずっとお世話になっているチームで、やはり思い入れが深いからです。周囲に結果という形で恩返しを続け、このチームでソフトボール生活を終えたいと考えています。

    チームのスタッフはもちろん、デンソー安城製作所の従業員の皆さんも長年支えてくれて、私の大きな原動力になっています。負けが続く時期でも大会会場まで応援に駆けつけてくれますし、結果報告などで出社すると「観戦に行って元気をもらった」「感動したよ」と声をかけてくれて。いつも背中を押してくれるから、私は頑張れているんです。

    雨の中でも、多くのデンソー従業員が大会の応援に駆けつけたデンソーブライトペガサススタジアム(愛知県安城市)

    自らの可能性を信じ、リラックスの精神で挑み続ける

    ──長年競技を続ける上で、モットーはありますか?

    「遊び心」を大切にすることです。何事も「無理だ」と自分の可能性にふたをするのではなく、遊び心を持って、楽しく挑戦するように心がけています。

    たとえば守備の練習でノックを受ける時も、捕球姿勢の型を意識する練習ばかりではなく、「こうやってボールをキャッチできたらかっこいいよね?」と、いろいろな姿勢での捕球を試します。そうすることで、どんなボールに対しても対応できるなどスキル向上につながると思っています。

    あと、試合では相手バッターの登場曲が流れると、守備位置につきながら歌っています(笑)。終始、「勝つぞ」と力んだままだと力を発揮できないので、いい意味でリラックスしながら臨むようにしているんです。

    「遊び心」を持つと、どんなボールに対しても柔軟に対応できる

    ──けがも少ないとお聞きしました。体づくりの秘訣は?

    特段、ケアに力を入れているわけではないのですが、睡眠はよくとります。あと、練習や試合でリラックスしていることが、結果的にけが防止につながっているのかもしれません。

    ──今年もワールドカップ優勝に貢献するなど活躍中の川畑さんにとって、4年後のロサンゼルス・オリンピックはどう見えていますか?

    コロナ禍で無観客だった東京オリンピックとは違って、観客の皆さんの大声援に包まれる場面を想像すると、やはり出場したい思いは膨らみますね。

    しかし、オリンピックにたどり着くのはそう簡単なことではなく、かなりの覚悟が必要。1年ずつ、自分ができることを積み上げた末にいい状態で4年後を迎えられたら、その時は出て、もう一度金メダルを手にしたいです。

    ──川畑さんが小学生の頃に見た北京オリンピックの金メダル。その舞台に立つことができた今、子どもたちに伝えたいメッセージは?

    オリンピックに出ている選手を見て「かっこいいな」「あんなふうになりたい」とわくわくする気持ちを大事にしてほしいです。そして、「誰のために、何のために」という思いを常に持ちながら練習を頑張ってほしいなと思います。

    ──今後、ソフトボール界をさらに盛り上げたい思いはありますか?

    現役を引退したら、故郷の鹿児島で小学生たちにソフトボールを教えたいという夢があるんです。ソフトボールを楽しむことと、遊び心の大切さを教えられたらなと。そうすることで競技の裾野が少しずつでも広がっていけば、これほどうれしいことはありません。

    ※ 記載内容は2024年8月時点のものです

    キャリア・生き方

    執筆:talentbook 撮影:talentbook, BLUE COLOR DESIGN

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