
[Vol.2] 男性の美容

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- 男性向け美容製品に興味のある人
- 美容業界の歴史に興味を持つ人
- 日本の化粧品市場について知りたい人
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この記事を読むことで、日本における男性向け美容製品の歴史や市場の進化を知ることができる。1933年にマンダムが発売した「丹頂チック」は、日本の男性美容市場の先駆けであり、その後の男性向け美容の発展に大きく寄与した製品であることが分かる。その後、1960年代後半に若者をターゲットにした資生堂の「MG5」や、中高年層向けの「マンダムシリーズ」といったブランドが出現し、市場の拡大を促進したことが理解できる。また、1980年代後半には、外資系メーカーが高価格帯のスキンケアを展開し、日本の男性美容市場の多様化が進んでいったことが記されている。これにより、日本と世界の男性美容市場の関係性や、消費者の年齢層に応じた戦略の変化を学ぶことができる。
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1933年にマンダム(当時の社名は金鶴香水)が発売した整髪料「丹頂チック」。日本における男性向け美容製品は、ここから始まったと言っていいだろう。手を汚さずに整髪できる手軽さから大ヒットし、長らく整髪料のトップシェアを誇っていた。
戦後の混乱期を過ぎた1964年ごろ、独自のファッションをまとって銀座を歩く、“みゆき族”なる若者たちが出現。こうした若者文化が、男性美容の新提案を受け入れやすい土壌を生んだ。1967年、資生堂がヘアケア、スキンケア、フレグランスなどの商品を総合男性化粧品ブランド「MG5」として誕生させる。ターゲットを若者に据え価格を低めに設定し、スタイリッシュなパッケージやライフスタイルの提案を図ったCMで、自己表現の楽しさを知るようになった若い世代にアピール。男性化粧品がシリーズ展開できるブランド化を図ったことで男性美容市場は拡大していく。
一役買ったのが、丹頂(金鶴香水が丹頂チック発売後に社名を変更)が1970年に発売した「マンダムシリーズ」だ。中高年層を取り込む戦略で、CMにチャールズ・ブロンソンを起用。「う~ん、マンダム」のフレーズをまねる子どもが続出して人気が爆発、幅広い層への訴求に成功した(翌年、マンダムに社名変更)。8年後には後続ブランド「ギャツビー」を発表し時代のニーズに合った新アイテムを提案していく。「いつでもどこでもペーパー洗顔」をうたった「フェイシャルペーパー」(1996年)は、欠かせないお役立ちアイテムへと成長した。
1980年代後半、百貨店市場を狙った高価格帯のスキンケアが登場する。仕掛けたのは、外資系化粧品メーカー。1964年に世界初、総合男性化粧品を発売し、世界の男性美容市場を牽引してきたアラミス(エスティ ローダー グループ)は、1987年にメンズ スキンケア「ラボ シリーズ」を発売。その後、男性用フレグランスも再注目され、1995年にはブルガリの「プール オム」が一世を風靡した。
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1933年
「びん付け油」に代わる整髪料として発売。植物由来の原料(ヒマシ油)や、スティック状の使いやすさもあり、一家に1本常備されるほど一世を風靡した。今でも販売しているロングセラー商品。
マンダム(当時:金鶴香水) 「丹頂チック」 -
1967年
1963年に発売した整髪料「MG5」のヒットを背景に、おしゃれをするのが当たり前になっている若者をターゲットにした総合男性化粧品ブランド「MG5」を立ち上げる。平均価格600円、23アイテムを発売。
資生堂 「MG5」 -
1970年
資生堂「MG5」とは一線を画し中高年層をターゲットにした男性化粧品ブランド。「タフな男」をイメージし、CMにはチャールズ・ブロンソンを起用。フレグランスを中心に同じ香りのヘアケア、スキンケア商品を発売。
マンダム(当時:丹頂) 「マンダムシリーズ」
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1983年
皮膚科学の理論に基づき生まれた米国の化粧品ブランド「クリニーク」が、男性向けに発売したスキンケアライン。洗う、除く、潤すの3ステップで完了するスキンケアを提案。
エスティ ローダー グループ クリニーク 「スキン サプライズ フォー メン」 -
1987年
アラミスから生まれた「ラボ シリーズ」は科学的なアプローチで男性の肌特有のニーズに着目して開発。スキンケア、シェーブケア、ヘアケア、ボディケア製品がそろう。現在も百貨店ラインアップのトップシェアを誇る。
エスティ ローダー グループ 「ラボ シリーズ」 -
1995年
シンプルなボトルに「BVLGARI」のエンボス。ラグジュアリー感たっぷりのボトルデザインが、おしゃれな男性の心をつかんだ。清潔感がありながら官能的で洗練された香り。写真は現行商品。
ブルガリ 「プール オム」
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百貨店の高価格帯ラインアップ登場 2000年代は男性美容の転機に
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