日本全体のレベルアップに貢献したい。アイスホッケーに懸けるエースの自覚
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この記事では、日本の女性アイスホッケー選手である志賀紅音選手の経歴や、彼女がどのようにして現在の位置に至ったのかについて深く掘り下げています。彼女は2001年に生まれ、小学校1年生からアイスホッケーを始め、2018年の平昌冬季オリンピックでは代表に選ばれなかったという挫折を経験。これを機に自分に厳しく取り組むことを決意し、競技力を磨きました。2022年の北京冬季オリンピックでは活躍し、得点を挙げて日本の6位入賞に貢献しました。しかしながら、海外選手との体格差やプレースタイルの違いを痛感し、自らの課題を認識。その後、北米女子プロリーグに参戦し、トップレベルの競技者たちから多くを学び、さらなる成長を遂げています。
さらにこの記事では、彼女がどのようにして日本のアイスホッケー全体のレベルアップを目指しているのかを理解することができます。志賀選手は、日本の競技力を引き上げるために、これからの国際大会で成果を上げることを目指し、スウェーデンリーグへの参戦など新たな挑戦を続けています。また、国内でのアイスホッケーの認知度を高めることにも注力しており、北海道以外での試合開催や初心者向けのスクールの開講等、競技の普及活動にも取り組んでいます。彼女は、自身の成長だけでなく日本のアイスホッケー界全体の活性化を目指して活動していることがわかります。
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2024.10.29
キャリア・生き方日本全体のレベルアップに貢献したい。アイスホッケーに懸けるエースの自覚
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志賀 紅音(しが あかね)
2001年生まれ。小学校1年生でアイスホッケーを始め、19年から世界選手権への出場を重ねる。22年、姉の葵と共に北京冬季五輪代表に選ばれ、2得点で日本の6位入賞に貢献。23年にデンソー北海道に入社し、北米女子プロリーグに参戦。現在、日本のエースとして2大会連続の五輪出場をめざしている。北海道出身。
デンソー北海道のアイスホッケー選手、志賀 紅音。2022年の北京冬季オリンピックで活躍し、日本初の決勝トーナメント進出に貢献しました。その後、海外での武者修行を経て、たくましさを増した23歳のエース。挫折と成長の道のりをたどり、日本のレベルアップをめざす意気込みを語ります。
この記事の目次
平昌冬季オリンピックの代表落選。「チームプレー」の意味を悟る
──まずは、志賀さんの原点から教えてください。アイスホッケーを始めたのはいつですか?
小学校1年生の時です。私が通っていた北海道の小学校では、冬になると校庭に水をまいてアイスリンクを造るのですが、そのリンクでアイスホッケーを見た姉が「やってみたい」と言ったので、私も一緒に始めました。
幼稚園のころからスケートには親しんでいたので、滑るのに苦労はしなかったですが、アイスホッケーの選手同士がぶつかり合う激しさや、攻守の切り替えの素早さに目を奪われました。
──学生時代までの間で、ターニングポイントになった出来事は。
二つあります。まずは小学校5年生の時、より上をめざしたくて移籍した先のチームで、コーチが競技の基礎を徹底的に教えてくれたことです。それまではただ楽しんでプレーしていたのですが、アイスホッケーはひとりで動くのではなく、個々の役割を組み合わせて初めて一つのチームになるということを知り、視野がすごく広がりました。
もう一つは、2018年の平昌冬季オリンピックで日本代表になれなかったことです。「今のままじゃダメ」と気づいて、より自分に厳しく、練習するようになりました。
──「今のままじゃダメ」とは、どの部分でそう感じましたか?
今まで、あまり努力することなく所属チームで試合に出て活躍したり、世代別の日本代表になったりと、それなりに結果を出せていました。
でも、オリンピックの代表には選ばれませんでした。「なぜ?」となかなか納得がいかず、とても悔しかったのですが、冷静に代表入りした選手を見てみると、ここぞという試合で必ず結果を残してチームに貢献していました。一方、私は試合によってプレーのムラがあり、安定して力を発揮することができていませんでした。
これは明らかに「努力の差」だと思ったんです。それからは自分の課題と常に向き合い、練習の量を増やすだけでなく、質も高めてきました。
──チームへの貢献という意味でも、何か気づきはありましたか?
はい、ありました。私には、どこかで「自分さえよければいい」という考えがあり、チームのために動くという意識やメンバーとの連携が足りなかったと思います。
代表選手たちはチーム内での役割を理解し、時には自分が犠牲になってもチームに貢献するという姿勢を貫いていました。本当の意味での「チームプレー」を学んだ気がしました。
ようやく立てた夢舞台。つかんだ手応えと重い課題
──これまでの競技生活で、もっとも印象に残っている大会を教えてください。
大学3年生の時に出場した2022年の北京冬季オリンピックです。ずっと目標にしてきた舞台に初めて立つことができ、そして今まで練習してきたことが力となって得点を挙げられたことがとてもうれしかったですね。
一方で、海外選手とは体格や力強さの面で大きな差があると痛感したのも事実です。日本人としてそれをどう補うべきかを考えさせられました。
たとえば私のようなFW(フォワード)の選手で言えば、フェンス際でのバトルがまだまだ足りないなと。バトルを制することでゴールやパスのチャンスが増え、得点につながるので、選手一人ひとりがもっと意識を上げて練習していかないといけないと感じました。
──志賀さん自身は北京オリンピックの後、何を強化してきましたか?
自分の成果と課題を見つめ直す中で、あらためてフォーカスしたのが得点力の部分でした。北京では2ゴールを挙げたものの、決定率をもっと上げなければならないと思ったんです。
リンクの上でシュートの技を磨くのはもちろん、ウエートトレーニングの内容を日本代表チームのトレーナーと共に練り直し、体づくりに励みました。
──選手としてさらなる飛躍をめざし、2023年にはデンソー北海道に入社しましたね。どんな経緯だったのでしょうか?
自分はまだまだアスリートとして成長したいと思い、大学卒業後も競技を続けようと決めました。当時、アスナビという日本オリンピック委員会のアスリート就職支援制度に登録したところ、アイスホッケーの藤本 那菜選手に対しても支援しているデンソー北海道からオファーを受けました。
道外に出ることも考えましたが、アイスホッケーをすることで地元北海道に貢献したい気持ちが強く、また、競技に専念できる環境が整っていることから、デンソー北海道に決めたんです。
会社では従業員の皆さんが激励の言葉をかけてくれるなど、日頃からの応援がとてもありがたいです。そして、会社の温かい支援に感謝するばかりです。
北米で武者修行。プレーで大切なのは、自信を持つこと
──2023年に北米女子プロリーグに参戦したのはなぜですか?
オリンピックで海外選手との差を思い知らされ、成長するには世界最高峰の場でもまれるしかないと思ったんです。普段から体格差のある選手たちと競り合うことで得られるものは多いはず。現地チームの入団テストを受け、合格しました。
──トップレベルの選手たちと接し、感じたことは。
彼女たちの意識の高さに驚きましたね。1試合が終わるたびにミーティングをして反省点を確認し合い、次戦にどう挑むかを話し合っていました。
オンとオフの切り替えが明確なことも印象的で。練習や試合には100%集中して挑み、終わればきちんと息抜きをする。メリハリをつけているから、競技でもいいパフォーマンスが出せるのだと思います。
──厳しい環境に身を置き、苦労もありましたか?
私のレベルが追いつかず、日本にいた時より試合の出場時間が減りました。得点できないどころか、パックに触ることもできない。初めての経験で悩みました。
でも、スタッフからこう言われたんです。「プレー自体がダメなわけじゃない。もっと自信を持ってプレーすれば、出場時間は増える」と。要するに、“自分のマインドがチームの結果に影響する”ということを指摘されたんです。
そこから自分の長所に自信を持ち、チームに還元しようと前向きに取り組む中で、少しずつ状況が上向いてきました。日本にいる時には、この苦境を体験することはできませんでした。今までに見たことのない自分にしっかり向き合ったことで、一つ成長できたと思っています。
──スタッフ陣は、見えない心の面までうまくアドバイスしてくれるのですね。
選手個々の意見を尊重して、きめ細かくサポートしてくれます。定期面談で選手の声に耳を傾けるだけでなく、練習や試合では随時、選手にプレーの意図を確認するなどコミュニケーションを大切にしていて。私に対しても、足りない部分を指摘して個別練習に付き合うなど、折に触れて支えてくれました。
──現地での競技の盛り上がりはどうですか?
忘れられないのはリーグのシーズン開幕戦です。8,000人以上の観衆に囲まれてプレーし、大歓声で味方の声が聞こえないほどでした。
現地ではアイスホッケーがメジャースポーツなので、競技人口や観客数が多いのはもちろん、人々の競技への愛情が深いんです。競技の道具を持って街を歩いていると「どのチームでプレーしているの?」「頑張ってね」と声をかけてくれて。日本もこんな環境になればいいなと思いましたね。
日本チームは私が引っ張る。最終予選を突破し、再びオリンピックへ
──このたび、新たな挑戦の場としてスウェーデンのリーグを選んだのはなぜですか?
この先、2026年ミラノ・コルティナダンペッツォ冬季オリンピックの最終予選など、重要な大会が控えています。そこで最高のパフォーマンスを発揮するために、新しい環境で出場機会を増やして試合勘を養いたいと思ったからです。
──このたび、新たな挑戦の場としてスウェーデンのリーグを選んだのはなぜですか?
この先、2026年ミラノ・コルティナダンペッツォ冬季オリンピックの最終予選など、重要な大会が控えています。そこで最高のパフォーマンスを発揮するために、新しい環境で出場機会を増やして試合勘を養いたいと思ったからです。
──現地では、どんなことを学びたいと思っていますか?
まずは、得点力を上げるための方法を学びたいです。ほかには、メンバー間のコミュニケーションのとり方など、チームのあり方も学んで日本代表チームに還元できたらと考えています。
──こうして海外挑戦を続ける理由は何でしょうか?
私自身、代表チームの中で苦しい局面でも得点できるような、背中で気概を示して引っ張る選手になりたいからです。
また、自分だけでなく、日本全体のアイスホッケーのレベルアップをめざしているからこその挑戦でもあります。私たちの世代が中心となって日本の競技力を引き上げ、オリンピックや世界選手権で実績を残していかなければなりません。
さらに、国内でのアイスホッケーの認知度を高めていきたいとも考えています。北海道以外での試合を増やしたり、初心者向けのスクールを開いたりして、競技の裾野を広げていくことも大事だと感じています。
──2025年2月にはオリンピックの最終予選があります。意気込みを聞かせてください。
最終予選を全勝で突破し、まずはオリンピックの出場権を獲得したいと考えています。そして、オリンピックで日本がこれまで以上の成果を上げれば、アイスホッケーという競技がさらに注目されることでしょう。選手一人ひとりがレベルを上げ、自信を持って挑むことで、必ず道は開かれると確信しています。
※ 記載内容は2024年8月時点のものです
キャリア・生き方執筆:PRTable 撮影:BLUE COLOR DESIGN
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