本田技研工業株式会社

皆が輝ける職場から、いい技術が生まれる。個性を認め合うHondaで歩む自分らしいキャリア

この記事のAI要約
Target この記事の主なターゲット
  • 自動車業界に興味がある人
  • 技術開発に関心がある人
  • キャリアチェンジを考えている人
  • グローバルで活躍したいと思っている人
  • ジェンダーの平等に関心がある人
Point この記事を読んで得られる知識

今回の記事では、本田技術研究所に勤める茂木恵美子さんと能見恵美さんのキャリアパスについて詳しく紹介されています。お二人はそれぞれの専門分野である化学や工業化学からスタートし、Hondaでの様々な経験を経て管理職に就任しています。彼女たちは日本国内だけでなく、アメリカやタイでの海外駐在も経験し、グローバルな視野でのキャリア構築をしています。彼女たちがどのようにして困難を乗り越え、自分のキャリアを形成してきたのか、特に性別の違いを超えて平等に扱われるHondaの企業文化や管理職としての指導方針についても触れられています。Hondaという企業の中で、“はみ出ること”を恐れずに挑戦できる環境があること、自分らしさを模索しながらキャリアを築いていくことの重要性を強調しています。このような経験を通して、彼女たちは後輩に対する指導や自分たちの体験を共有することの価値を見出しています。また、Hondaのフィロソフィーに従い、技術を通じて新たな価値を創造していく意義についても考察されています。

Text AI要約の元文章

時代の変化を先取りした研究開発を担う本田技術研究所で、管理職を務める茂木と能見。「技術の前では皆平等」というHondaイズムのもと、エンジニアとしてキャリアを積んできました。海外駐在や管理職への挑戦など、さまざまな経験で模索しながら見つけた仕事のやりがい、そして「自分らしいキャリアの歩き方」とは。

茂木 恵美子Emiko Mogi

本田技術研究所 材料研究センター戦略企画室

学生時代は有機化学を専攻し、卒業後は印刷会社に入社。BtoC企業で仕事をしたいと、1999年にHondaにキャリア入社。防振ゴム・タイヤの材料研究開発、約1年間エンジニアで構成されたHR企画部門を経て、マネジメント職としてアメリカ駐在を経験。帰任後は技術・商品戦略などに携わり、現在は材料研究センター戦略企画室の室長として、材料技術戦略や組織運営に関わるマネジメント機能を統括している。

能見 恵美Emi Nomi

本田技術研究所 材料研究センター戦略企画室 材料戦略ブロック

学生時代は工業化学を専攻し、2002年Hondaに新卒入社。塗料の研究開発でキャリアを積みながら、樹脂の研究開発も担当するようになる。その経験を活かし、2020年から樹脂のグループリーダーとしてタイに5年間駐在。帰任後は材料研究センター戦略企画室材料戦略ブロックのアシスタントマネージャーとして、ブロック横通しの組織運営支援などを行っている。

「自由な移動の喜び」を創造するため、材料研究センターの戦略立案を担う

本田技術研究所 材料研究センターは、「自由な移動の喜び」を創造し、あらゆる可能性を拡張していくモビリティの実現に向けて、革新的な材料技術の研究開発に取り組んでいます。その中で茂木と能見が所属する戦略企画室は、センター全体の方向性を検討する部署です。

茂木

「Hondaの未来の事業に向けて、先んじて材料を準備していくためには、モビリティ業界全体で生まれた新たなトレンドはもちろん、電池や半導体といった各技術領域での最新情報を取り入れながら戦略を練る必要があります。不確定な未来に備えるためにも、戦略はアップデートし続けなければいけません。

そこで、戦略企画室がセンター全体を横断する組織として材料技術戦略を統括し、リソースの中期計画策定や管理、人材育成などを主導しています。海外ブランチのメンバーとも連携しながら、グローバルでの材料戦略会議を企画・実行するのも私たちの役割です」

室長を務める茂木は、戦略立案における調整役としてセンター長とマネジメントメンバーの間をつなぎ、センター全体の円滑な運営に尽力。2025年の夏までタイに駐在していた能見は、現在アシスタントマネージャーとしてセンター運営支援と商品化が近い研究テーマの支援などを行っています。

学生時代は、理系の学部で学んでいたふたり。能見は2002年に新卒で入社しました。

能見

「膜の研究をしていたこともあり、塗料に関する仕事をしたいと考えていました。当時は大学院を卒業していないと研究職に就くことはなかなか難しかったのですが、Hondaは門戸が広く、環境にやさしい塗料の研究開発に取り組んでいた点が魅力でした。自由に挑戦できる雰囲気に惹かれたことも入社の決め手です」

入社後は希望通り塗料の研究開発からキャリアをスタート。樹脂パーツであるバンパーに使う塗料の研究テーマに携わった後、樹脂も担当するようになります。そして、塗料と樹脂のどちらの知見もあることを買われ、2020年からはタイでの駐在も経験します。

能見

「日本にいた頃から、樹脂部品の材料開発を幅広く経験してきましたが、タイではさらに担当する範囲が広がり、金属なども含めたクルマ1台分の材料を管轄していました。同時に管理職となったタイミングでもあり、苦労もありましたが視野が広がったと感じています」

一方、茂木は新卒で入社した印刷会社から、BtoCの企業で仕事をしてみたいという想いを抱き1999年にHondaにキャリア入社。印刷会社での経験を活かして塗料の研究開発を担当する予定が、想定外の配属になったと振り返ります。

茂木

「ゴム・タイヤの研究開発をする部署に配属され、防振ゴムの担当からスタートしました。当初はわからないことだらけでしたが、周りの方に助けていただきながら経験を積み、タイヤゴム材料の研究では何度か論文発表もしました。

その後、量産車のタイヤ開発などを手がけたのち、エンジニア自身が研究開発業務を離れて研究所全体のありたい姿や人・組織課題について考える HR(ヒューマンリソース)部門を経験。管理職認定後、アメリカに5年ほど駐在しました。

帰国後は、四輪の技術戦略全般に関わるコーディネーターを務め、2023年から現在の仕事をしています」

本田技術研究所 材料研究センターについてはこちら▶
https://global.honda/jp/RandD/field/hgmc/

誰の真似もしなくていい。上司からの言葉や厳しさが成長の転機に

長年エンジニアとしてキャリアを歩んできたふたり。転機となった出来事をそれぞれ振り返ります。

能見

「最初に自分の変化を実感したのは、バンパー材料の研究テーマのチームメンバーに入った時です。

それまで専門領域である塗膜の性能のことを中心に考えていたので、知らなかったことにたくさん出会って視野が広がりましたし、『クルマの部品として最適なのか』という目線で考えるようになりました」

そこには、当時の上司の指導も大きく影響したと話します。

能見

「少しのトラブルで諦めてしまう私に、『すぐにできないと言うべきではない』『部品の性能をどう考えているのか』など、視野の狭さを指摘してくれたので、あまりに正論で厳しい言葉に思わず涙目になったこともあります。でも、その指摘があったからこそ設計部門に材料エキスパートとしての意思をしっかりと伝えられるようになりましたし、“塗膜オタクの材料屋”から抜け出せた気がします」

一方の茂木は、今以上に人数が少なかった女性エンジニアとしての経験がキャリアを考えるきっかけになったと振り返ります。

茂木

「前職の印刷会社では、生産ラインでの開発品試作のために、夜間に立ち会うこともありました。そんな時、上司が私を心配して手伝ってくれたのです。『男性ならひとりで任せられる仕事を、私はサポートしてもらわないといけないのか』と男女の違いを突き付けられた経験でした。自分にしかできない仕事や価値を見出そうと考えましたが、結局見つけられず……。それが転職を考えるきっかけのひとつでした。

Honda入社後は、女性エンジニアの先輩たちもいましたし、前職以上にエンジニアとして性別に関係なく対等に、時には厳しく指導をもらいました」

その後、管理職へのステップアップも転機のひとつに。当時は、ガシガシと仕事に没頭する周囲の管理職たちを見て、「自分は絶対にこんな風にはなれない」と思っていたと言います。そんな茂木の背中を押したのは、上司の言葉でした。

茂木

「『そういう管理職がほしいのであれば、茂木さんに声はかけないよ』と言われたんです。『いろいろなタイプの人が混ざることで新しいものが生まれるのだから、茂木さんらしく活躍してくれればいいんだよ』と。誰の真似もしなくていいと言ってもらえたことが、私にとってはとても大きかったですね」

駐在経験で見つけた新たな自分。Hondaなら「はみ出ること」も恐れずに挑戦できる

上司からの言葉に加えて、ふたりに共通する転機として海外での駐在経験があります。茂木はアメリカのオハイオ州に、能見はタイに駐在したことが、無意識に作っていた見えない枠を外す大きなきっかけになったと話します。

茂木

「私は、Hondaの四輪研究開発の女性エンジニアとして初めてアメリカに駐在しました。自分で希望を出したわけではなかったので、正直『自信がないし、行きたくないな』と思っていたのですが、行ってみたらとても居心地が良くて。

というのも、皆がプロフェッショナルに働いていて、性別などに関係なく“個人として”尊重する風土があったのです。私はマネジメントとしてメンバーとコミュニケーションを積極的にとろうとしましたが、私自身が険しい顔をしていると誰も話しかけてくれない。楽しそうに仕事をしていた方が、気軽に声をかけてくれたり、相談してくれたりしたんです。

私はもともとよく笑うタイプなのですが、日本にいた頃はどこか気負いがあって、職場では忙しそうな雰囲気を出してしまっていたんですね。でも、アメリカに来て『そのままの私でいいんだ』と教えてもらいました。会社員生活は長いですから、仕事をしている時間も自分らしくいることが大切だし、皆にも快適に過ごしてほしいと考えるようになりました」

能見

「私の場合は、日本にいた時から茂木さんをはじめ、ロールモデルとなる女性エンジニアがいたので、自分のキャリアパスも何パターンか想像することができました。ただ、駐在中に管理職になったので、日本と文化が違うなかで初めてマネジメントをすることに苦労はありました。

現地の方は、とても素直に気持ちを表現します。それは、良いことも悪いことも同じなので、時には傷つくこともありましたし、迷うこともありました。日本でのコミュニケーションに慣れていると予想しないリアクションがあるので、そのギャップに戸惑ってしまったのです。

でも管理職になる時に、皆が言いたいことが言えずに不満が溜まってしまう状況は作らないようにしようと決めていたので、自由に仕事をしてもらいながら、日々のコミュニケーションで自分の想いを積極的に伝えることを大切にしました」

「自分らしさ」を模索しながら管理職にも挑戦してきた茂木と能見。苦労もありながらHondaでキャリアを歩んでこられた理由を、こう語ります。

茂木

「Hondaって、“はみ出ること”が認められますし、むしろ求められるんです。たとえば、能見さんが塗装と樹脂の両方を担当したように、『それはあなたの仕事じゃない』と言われることがありません。

会社のフィロソフィーに従って、技術や製品のあるべき姿のために自分がやりたいと思ったことは挑戦させてもらえる。私自身は『Hondaでやっていくぞ』と固い意思を持って歩んできたわけではありませんでしたが、『技術で課題を解決したい、自分の力で形にしたい』技術オタクの特性を持って数々のテーマに向き合い、つらさもおもしろさも感じながら過ごしてきたら、自然とここまで来ていました」

能見

「私は、『ものづくりがしたい、直接お客様に届く製品を作りたい』という想いがかなえられることが原動力になっています。あとは、学生の時から海外旅行が趣味だったので、海外駐在できることや、各国にあるHondaの工場や研究所に出張の機会があることも楽しいです」

もっと個性あふれる職場に──共に挑戦を楽しむ関係を広げていきたい

Hondaのなかでの「女性初」を経験しながらステップアップしてきた茂木と、その背中を指針にしながら進んできた能見。あくまで自然体に、朗らかに自らの歩みを語るふたりは、その経験を後輩たちが自分らしくキャリアを歩むために参考にしてくれたらと話します。

能見

「駐在を経験して、あらためて日本の技術力の高さを海外へ伝えていきたいと感じましたし、皆の夢の実現を支援する役割を担いたいと思いました。一緒に挑戦の障壁になるものと戦って、何かあったら守ること。そうやって力になることで、挑戦を楽しめる職場にしていきたいと考えています。

男女関係なく、『なんとなくキャリアパスのイメージができない』という人はいると思うのですが、上司・先輩とよく話し合いながら、『一緒に頑張っていこう』と言える関係性を広げていきたいですね」

茂木

「Hondaは、意思を持って挑戦する人にとってとてもチャンスの多い場所。自分の意思を発信することで、お互いが活性化して成長できる機会がたくさんある会社です。

たとえば、今よりも女性のエンジニアがかなり少なかった時代は、『男性の普通が皆の普通』だったので、泊まりがけの『山ごもり』(※)もあたりまえでした。でも、いろいろな参加の仕方や選択肢があった方がもっと多くの人が参加しやすくなるのではないかと考えて、私は両日とも日帰りで参加することにしたのです。

その意思を伝えた時、はじめは男性管理職の方々は驚いていましたが、『それぞれに価値観は違うから』と、すぐに受け入れてくれたところにHondaらしさを感じたのを覚えていますし、この経験を踏まえて、違和感を持った側が声を発していかないと、相手には伝わらないなということも実感しました」

※通常の業務と異なる空間にこもり、創造力を働かせ、議論に集中することで、テーマのアウトプットをめざすHonda独自の文化。日帰りに加え、施設に宿泊するケースも。

一人ひとり違う個性を認め合う──それは、働き方も同じだと茂木は続けます。

茂木

「仕事に邁進したい人、今は子育てを優先したい人など、状況はそれぞれです。まだまだ自由度が足りない部分はありますが、我慢する必要はありません。皆が働きやすい環境を作っていきたいですし、管理職も含めてもっといろいろな個性が増えていってほしいと思っています。

Hondaは、働きながら自分を成長させ、成果も得られるとても良い場所です。そんな素敵な場所で皆が輝けて、楽しく仕事ができれば、きっといい技術が生まれると信じています。私はこれまでさまざまな機会を与えてもらったので、今後は周囲の皆さんに機会を提供できるようになりたい。それが今の想いです」

「技術の前では皆平等」「差ではなく違いを活かせ」といったHondaイズムの中で見つけた自分らしいキャリアの歩み方。苦労もおもしろさも味わいながら作ってきたその道が、次の誰かの「自分らしさ」につながるように──これからも笑顔で歩み続けます。

※ 記載内容は2025年10月時点のものです

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