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家庭内の「家事ハラ」事情を考える──コデラ総研 家庭部(20)

この記事のAI要約
Target この記事の主なターゲット
  • 家庭内の家事分担に興味がある人
  • 家事に関する社会的な事象に関心がある人
  • 家事と育児のバランスに悩む既婚者
  • 家庭内のコミュニケーションに課題を持つ夫婦
  • ジェンダー役割に関する意識を持つ人
Point この記事を読んで得られる知識

この記事では、家庭内での家事の分担に関する問題、特に家事ハラスメント(家事ハラ)について考察しています。家事ハラとは、主に夫が家事を手伝う際に妻から無意識に発せられる言葉や態度が、夫の意欲を削ぐことを指しています。近年では、女性の就業率が増加し、家事を妻が中心になって行うことが前提とされる状況が見直されつつあります。記事では、家事と育児の接続性や、子育てにおける母性の役割が強調される点にも触れ、家庭内での家事分担についての意識改革が必要とされています。さらに、夫が家事に携わる際には、クオリティを高めるためには自らの工夫と発見が重要であると述べられています。こうした背景から、夫婦間での協力的な家事システムの構築が求められ、新しいルールの確立が重要であると結論付けられています。

Text AI要約の元文章

tech

家庭内の「家事ハラ」事情を考える──コデラ総研 家庭部(20)

テクニカルライター/コラムニストの小寺信良さんによる「techな人が家事、子育てをすると」というテーマの連載(隔週木曜日)の第20回目(これまでの連載一覧)。今回のお題は「家庭内の『家事ハラ』事情を考える」。

文・写真:小寺 信良

7月14日、旭化成ホームズが公開した「妻の家事ハラ」に関する調査結果は、多くの人がそれぞれの立場で居心地の悪さを感じたようだ。

妻の家事ハラ白書

これまで妻に任せっきりだった家事を手伝い始めた夫にかけられた、妻の何気ない一言に傷ついたことがあるという結果に、女性は「甘えてんじゃないわよ」と怒り、男性は「こんなこと言われたら凹むわー」と意気消沈する。

この結果は要するにヘーベルハウスでリフォームしませんかって話に落ちるので、やさぐれた大人であるところの僕なんかは、「なんだよ広告かよケッ」てな具合だが、サイトに掲載の動画を真正面から受け止めた人には、結構ツライ話だろう。

シングルファーザーとしておっさんの一人家事の研究成果を披露してきた当コデラ総研 家庭部としては、「妻があっての家事」という視点に立ってこなかったので、この件に関しては無力と言えば無力なんだが、なにかうまい着地点をひねってみたい。

夫婦間の家事分担については、生活の中から生まれることなので、ある日を起点にキッチリ約束を作って作業分担、というわけにはいかないだろう。多くの場合、家事は妻が主導権を握り、夫はその手伝い、という図式から始まるのが普通だろうと思われる。

つまりこの状況においては、家事のQC責任者は妻であり、基準のクオリティに満たない作業にダメ出しするのは、ビジネスで考えれば当然である。だが家庭内のことなので、そこまでドライに割り切れない、というわけだろう。

この白書に対して、そもそも妻が家事をする前提がすでにおかしいという意見も散見される。現在既婚女性の就業率は、昭和末から50%程度を推移している。細かい非正規雇用まで含めれば、これぐらいでは到底済まない数字が出るだろう。その現状を踏まえれば、妻が家事をする前提はなくなって当然とも言える。

総務省「労働力調査」による有配偶女性の就業状態の推移(「平成24年版 働く女性の実情」付表24、厚生労働省)

一方で、かつて私たちの親世代では、妻が家事をするのが前提になっていた。専業主婦が大勢いた時代の話である。その親に躾けられた子供である私たちの世代では、女性側のほうに「母のように家事ができない自分を責める気持ち」がある。

参考資料として、次のCMを見ていただきたい。ボンカレーでお馴染みの大塚食品が、7月7日に公開したスペシャルムービーだ。

専業主婦と就業主婦では、同じようなレベルで家事ができるわけがない。それでも自分を責め続ける妻の姿がある。

なぜ家事を手放せないのか

妻が家事を手放して、夫に任せられないもうひとつの理由は、家事と育児が接続しているからである。ごはんを作る、そんなことひとつをとっても、子供がいれば育児と切り離すことはできない。参考資料として、今度は味の素が制作したテレビCMをご覧いただきたい。

「日本のお母さん」篇

一見ハッピーにも見えるこのCMの表現が巧妙なのは、強い母性によって支えられる育児が、炊事とイコールで結ばれているところである。実際に子供を持てば、子育てはメシを食わせることだけではないことは自明なのだが、こういったCM表現が大量に日本中に投下されることによって、忙しくても一人で頑張る理想のお母さん像がインプットされる。もちろん実際にそうしている人もいるのだろうが、多くの人はそのイメージと現実のギャップに、また悩むことになる。

相手が傷つくかもしれないと思っても、「家事ハラ」と言われるような言葉を夫に投げてしまうことがあるのなら、それは家事ができていない状態に対して、疲れてしまっているからではないだろうか。妻が家事をする前提がおかしいというところまで来ているのであれば、任せた家事のクオリティは、夫の家事スキルに一任せざるを得なくなる。嫁姑問題に代表されるように、そもそも家庭内に自分のやり方を主張する人間が2人出現しては、家事は上手く回らないのである。

夫もバカではない。最初は慣れないことをやるためにクオリティが上がらないが、日本の社会の中で常に「カイゼン」を求められ続けてきたからには、やっていくうちに必ず作業効率とクオリティはカイゼンされる。

ただそのカイゼンは、妻の方法の伝授ではなく、夫が自分で研究、発見したものでなければ定着しない。男は論理的に意味がわからないものは、覚えられないからである。男に仕事を任せたら、ある程度本人に「気づき」が訪れるまで、黙って見ているしかないのだ。

女性にとってはイライラして辛い期間かもしれない。だが互いに傷つけ合っても、新しいルールは生まれない。そもそも日本には、協働して家事をやるという標準ルールがなかったのだ。いやうまくやってた家庭も当然あっただろうが、それは日本の標準的な家庭としてメディアの中で描かれてこなかったために、知られていないのである。

妻一人で頑張る時代を終わらせるには、お互いがお互いの試練を乗り越える必要があるということなんじゃないだろうか。(了)


本連載では、読者の皆さんからの、ご意見、ご質問、とりあげてほしいトピックなどを、広く募集しています。編集部、または担当編集の風穴まで、お気軽にお寄せください。(編集部)


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