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- 小学生の子を持つ保護者
- PTA活動に参加している人々
- PTAの活動を改善しようと考えている教育関係者
- ボランティア活動に興味のある人
- 技術職に従事している人でPTA参加が求められている人
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この記事を通じて得られる知識は、ボランティアであるPTA活動における公平な負担の問題についての洞察です。筆者はPTAの共通の悩みである「無償での活動参加」をめぐる議論を提示し、プロの技術を持つ人がその技術を無償で提供することへの抵抗といった現状を探ります。PTAの役割がどのように役員に割り当てられるべきか、またそれぞれの活動に必要なスキルがどのように認識されるべきかを考察しています。具体例を用いて、改善案としてスキルに基づく応募方式や特性に合った役割のアサインが望ましいと提案します。しかし、現実にはそれらがすべて実現可能ではなく、すべての人が未経験の分野に手をつけざるを得ない状況が生まれがちで、これによって効率的に動ける人が浮上すると不公平感が生まれる可能性があることを指摘しています。それによって、結局誰もPTA活動に参加したくなくなるという悪循環にはまってしまう現実を解説します。これらの問題を解決するためには、PTA役員が参加者の特性を把握し、適切に仕事を割り当てる方法を考案する必要性を示唆しています。
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tech
PTAにとりつく公平負担の幻想──コデラ総研 家庭部(47)
テクニカルライター/コラムニストの小寺信良さんによる「techな人が家事、子育てをすると」というテーマの連載(ほぼ隔週木曜日)の第47回(これまでの連載一覧)。今回のお題は「PTAにとりつく公平負担の幻想」。
文・写真:小寺 信良
PTA活動の話題も今回で4回目になるが、やはり小学校の子供を持つ世代の多くが気になる話なのか、意外に「読んでる」という人が周りに多くて驚いている。今回は、無償のボランティア活動であるPTAに、どのようなスタンスでアプローチすべきなのかを考えてみたい。
昨年末から今年頭にかけて、プロは無償の仕事を依頼すべきではないし、引き受けるべきではない的な話がネットで盛り上がった。筆者もそれが「仕事」なのであれば、無償で引き受けることはないが、PTAのようなボランティアではまた別の考え方があると思っている。それというのも、PTAの委員を決める際に、自分はそれのプロだからやらない、という人が出てきているのだ。
プロのスキルは、無償で身につけたものではないため、スキルに対価が発生するのは分かる。だからボランティアではやらないという考え方も、一理ある。だがPTAは、どのみち何かの役を1回はやらないといけない決まりになっているところは多い。そこがおかしいという話もあるが、それはここでは置いておいて、どのみち何かやらないといけないのなら、自分が得意なことをやったほうが、自分が辛くないですよ、ということなのである。
例えば経理の経験がある人が会計を引き受けるとか、総務の経験がある人が書記を引き受けるといったことだ。僕の場合はモノカキの経験があったので、広報委員を進んで引き受けたわけである。
もしこれまでやったことがない仕事が抽選などで割り振られたら、大変だ。例えば予算書の書き方を知らない人が会計を担当するような事態を想像してみるといい。素人がいちから前任者に教わりながら、あるいは自分で勉強しながらやることになるので、ものすごく時間がかかる。当然クオリティも上がらない。
多くのPTA活動は、誰でもできるような仕事、ということになっている。だが知識やスキルがある人がやれば30分で終わるような仕事を、初心者だと有給を取って1日がかりでやるような羽目になるわけだ。そして実際、多くの活動がそんなことになっている。各自のスキルとPTA活動の内容が、マッチングできていないからだ。こんな勿体ない話はない。
求められるスキルとのズレ
ではなぜマッチングできないのか。まず理由のひとつは、それぞれのPTA活動にどんなスキルが必要なのかが、全然整理されていないからである。例えばこの仕事ではパソコンで書類を作るスキルがいるよとか、この仕事ではエクセルで集計する仕事があるよとか、この仕事では大勢の子供達を扱うよとか、いったことである。
これらのことは、誰でもできると思ってはいけない。この記事をご覧の皆さんはパソコンを使うことに抵抗がないだろうが、パソコンがない家庭も増え始めている。これまでパソコンでやっていたことが、今はスマホでやれてしまうので、いらなくなったのである。
子供を扱うにしても、大声を出して子供を整列させたりといったことが苦手な保護者もいる。自分に子供がいるからといって、誰でも「子供達のリーダー」がうまくできるわけではないのだ。これはスキルというより、向き不向きである。
だから方法論としては、先に求められるスキルや特性を提示し、それに対して応募するような方式に変えていくほうが、より望ましい結果が得られるのではないかと思う。
ただ、すべての役職が応募で埋まるわけではないだろう。細かい役割については、役員がアサインしたほうが早い場合もある。この場合に困るのが、その保護者の特性が分からないことだ。パソコンが使えるのかというところから始まって、何の仕事をしているのか、プライベートな付き合いがなければ、まったく情報がない。
かといって、PTA役員が保護者の職業を把握し、それに応じた仕事が割り振られていくとなると、不公平感が出る。全部自分に仕事が集中しているような気がするのだ。公平な負担感を求めていくと、究極的には全員が未経験な仕事を、やたら効率悪くやったほうがいいということになる。誰か1人でも効率良くやれる人が出てくると、「何よあの人」が始まってしまう。そういう様々な面倒が重なって、誰もPTA活動をやりたがらず、しかたなしに役割が強制的に割り振られる、の悪循環を辿るわけである。
PTAは規模が大きくなるほど組織としても人間関係としても複雑になり、うまく回すのが難しくなる。あの人が嫌いとかいった事情で先へ進めなくなるケースも出てくる。かといって規模を小さくすると、活動も小さくなってしまい、十分な成果が得られない。
PTAの委員2年目をやっている個人的な感想だが、全員の公平負担は、もう成立しない時代にさしかかっているのではないかという気がする。「やって欲しいことリスト」をバッと提示して、能力がある人が「あ、これやっとくから」で回るのが、本来は一番いい。それに近い形に向かって、少しずつにじりよっていくしかないんじゃないかと思う。(了)
本連載では、読者の皆さんからの、ご意見、ご質問、とりあげて欲しいトピックなどを、広く募集しています。編集部、または担当編集の風穴まで、お気軽にお寄せください。(編集部)
変更履歴:
2015年10月02日:記事末が「(つづく)」となっていましたが、正しくは「(了)」でした(「PTA」シリーズがこの回で終了し、次回は「子供会」シリーズなので)。お詫びして訂正いたします。
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