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地域ボランティアの労働コストを考える──コデラ総研 家庭部(51)

この記事のAI要約
Target この記事の主なターゲット
  • 地域ボランティアに興味がある人
  • PTAや自治会活動に関心がある人
  • 地域コミュニティに貢献したいと考えている人
  • 家庭生活と社会活動のバランスに悩む人
Point この記事を読んで得られる知識

この記事では、地域ボランティア活動における労働コストについて考察しています。PTAや子供会、自治会などの活動が地域ボランティアとして紹介され、会費とは別に、実際の体を使った労働コストが重要であることが指摘されます。具体的に、PTA活動での会議の非効率さや伝達方法の問題が取り上げられ、労働力の無駄が発生する原因が探られています。また、地域での互助関係、つまり「面倒を引き受け、面倒をかける」というサイクルの重要性が語られています。これらの関係性が希薄になりつつある現代社会において、いかにして地域とのつながりを保つかが課題とされ、多くの住民が地域活動に参加することの意義が強調されます。

Text AI要約の元文章

tech

地域ボランティアの労働コストを考える──コデラ総研 家庭部(51)

テクニカルライター/コラムニストの小寺信良さんによる「techな人が家事、子育てをすると」というテーマの連載(ほぼ隔週木曜日)の第51回(これまでの連載一覧)。今回のお題は「地域ボランティアの労働コストを考える」。

文:小寺 信良
写真:風穴 江(tech@サイボウズ式)

PTAや子供会、あるいは自治会活動などは、総称すると地域ボランティアということになるだろう。それぞれに会費という形で金銭的コストを負担するわけだが、それ以外にも会員活動として、実際に体や手を動かす労働コストも負担することになる。

大人が普通に働く場合、月収50万円と仮定すると、1日8時間労働、20日出勤で計算すれば、時給換算で大体3000円強となる。つまり私たちの労働力は、ざっくり1時間3000円の価値があるということになる。PTAの仕事のために4時間働いたとするならば1万2000円分の労働力を、10分学校に立ち寄って書類を届けたり受け取ったりするだけで500円の労働力を、それぞれ提供したということになる。

こう考えていくと、会費という金銭的コストは実は大したことはなく、本当に厳しくコスト計算をしなければならないのは、実働時間であるということが分かる。つまり、最小限の労働力で最大限の成果が出るようタスクマネージメントしなければ、目に見えない大量の労働コストが無駄になるわけである。

しかし実際の地域ボランティアがこのようなコスト計算をすると、途端に破綻してしまう。そこには、「どうせ暇だから」「空いてる時間を提供してもらうだけだから」という甘えの構造がある。すでに定年退職した人が多い自治会活動ではそのような考え方でもさほど不都合がないが、ほとんどが現役の労働者であるPTAや子供会では、ちょっとしたことで簡単にコスト効率が悪化する。

例えばこんなことがあった。うちの小学校のPTAでは、書面による活動資料が目に見えて少なくなってきている。その代わり、全員を集めて口頭での指示が増えた。

こうすると、一見指示を出す本部役員の労働力が削減できているように見える。だが口頭の指示では、意味がきちんと伝わらなかったり、メモに漏れがあったりする。今回は文化祭の事後書類の提出に関して、すべての資料をまとめて提出するということになっていたようだが、17クラスのうち13クラスが、書類ができた順に提出してしまった。実に76%が、指示を把握できていなかったことになる。

結局これらの書類はまとめて出し直すため、各クラスから1名ずつ学校のPTA室に出向いて、引き取らなければならない。これに1人10分/500円程度の労働力かかるわけで、全体とすれば6500円分の労働力が無駄になる。当然、書類を取りに来いと指示を出すのにもコストがかかっている。確かにまとめて出てくれば本部役員の労働力は削減できるだろうが、そこまで厳格に対応しなければならないことか、というレベルの話でもある。安物買いの銭失いとはまさにこのことだ。

そもそもPTAの伝達手段は、双方向性が低い。一斉連絡は子供を経由したお手紙だし、関係委員への連絡は担当役員からの一斉メールで、こちらからの問い合わせにもレスポンスが悪く、返事が1日以上かかることも珍しくない。おそらく役員間の連絡もメールでやっていて、意思決定できる人間が少数なので、時間がかかっているのだと思われる。もっと各自に裁量権を与えてフレキシブルにやらせればいいのだろうが、それをやった結果どんな不都合があるのか、経験不足で分からないため、結局会長以下経験の長い役員の返事待ちになっている。

つまり、予定の軌道から外れた不具合を吸収できるだけの知識マージンがないため、追加の労働力を投入して無理やり軌道修正するという構造が、無駄働きを生んでいるわけである。

「面倒を引き受け、面倒をかける」というお互い様サイクル

話は変わるが、筆者が取材などで出かけているときに、うちの子が鍵を持っていくのを忘れて、家に入れず締め出しを食らっていることがよくある。そういうときは、僕が帰るまで面倒を見てもらっているお宅が何軒かある。おやつをもらったり、遅くなったときはご飯をご馳走になってたりすることもある。

普通こういうことになれば、その家とうちと1対1で、世話になったお礼などをすることになる。当然そういうこともしているが、こっちが世話になっている分に追いついていないのが現状だ。

だが筆者は自治会の広報紙を発行したり、町内清掃の手配をしたりといった地域活動をしているということをご存知なので、それでトントンということになっている。つまり、僕が他の人にできない面倒を引き受けている代わりに、ご近所はうちの子の面倒を引き受けてくれる。

これなどは、まったく金銭に換算できないコスト収支だ。その地域に住み続ける以上、世話になったり、世話をしたりという関係が永遠に続く。したがって、前回世話になったからとか、何回世話したからという貸借りというか、バトンの渡し合いみたいなカウントは無意味だ。さらに自治会の活動に何時間費やしたからいくら、という金銭換算も無駄だ。どれだけの労働力を提供したかの量とは関係なく、地域の面倒を見ている人ということで、地域に面倒を見てもらっている。

おそらくこういったサザエさん一家みたいな地域関係性を持っている家庭は、今どき少ないだろう。だが、日本の社会は大きく変わったように見えて、地域に暮らす人の心というのはそれほど大きく変わってしまうわけではない。地域住民同士の関係性が薄なる中で、どうすればそういう関係になれるのか、きっかけもなければやり方も分からなくなっているというのが実情だ。

その地域が大嫌いだから関係を持ちたくない、という人も中にはいるだろう。そういう場合は早く引っ越したほうがいい。隣近所のベタベタした関係が嫌い、という人もいるだろう。自分の家族だけで、核シェルターのように暮らしたいということだろうか。おそらくそれは、どうせそこに長く住むつもりはないと考えているからかもしれない。

実はこういうタイプの、顔が分からない住人が、地域にとっては一番の負担になっている。自治会費も払わず協力もしないが、毎日ゴミは出すし火事になれば消火器は使うし災害時には避難所に逃げてくる。「面倒を引き受け、面倒をかける」という、「お互い様サイクル」の外側にいるのだ。これらを運営する自治会は、お前など知らぬ帰れとは言えず、全員を受け入れなければならない。

PTAなどは、正直子供が学校を卒業したら終わりだ。だが、生活はずっと続く。子供にとっては、今住んでいる場所が故郷になるのだ。家庭を持ち、子供を持ったら、できる限り地域との関係性を良好に保つために、いくばくかの労働コストは提供するべきと考える。(了)


本連載では、読者の皆さんからの、ご意見、ご質問、取り上げてほしいトピックなどを、広く募集しています。編集部、または担当編集の風穴まで、お気軽にお寄せください。(編集部)


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